化学系エンジニアの独り言

時の話題や記事の備忘録

石油会社の再編

2008-12-28 | 石油
新日石と新日鉱の合併報道がありました。ほかの業界と同じように石油業界も再編にもまれてきました。

新日石は三菱石油の合併、(三菱商事が見放した三石を拾った問いいう言い方もありますが)興亜石油の合併、東北石油、吸収石油をおっと間違った九州石油も取り込んできました。

一方、新日鉱は日本鉱業と共同石油が合併してできた会社です。その際に、銅事業部門を日鉱金属として切り離しましたが、後年またいっしょになりました。新日鉱というのは持ち株会社で、ジャパンエナジーと日鉱金属の二つの会社があります。

さて、新日石と新日鉱が合併した新たな会社の社名はどうなるのでしょうか。
ちまたでは
全日本石油
大日本石油
などといわれています。
しかし、現在も昔も新日石の英文名はNippon Oilです。したがって、合併後の社名は日本石油に戻ったりして。

しかし、新日石はもはや自分たちを石油会社とは考えていないのでは。少なくとも将来は石油会社ではなくなると志向しているはずです。したがって、新社名に石油の文字を残すことはないでしょう。
新日石は総合エネルギー会社を思考しています。競争相手は、東京ガスであり東京電力だと考えているのでは。
そう考えると新社名はジャパンエナジーがよいかも。
エナジーという社名で銅精錬をやるのはちょっとミスマッチかもしれませんが。
いかがでしょうか。

2008年という年

2008-12-27 | 社会
まさに激動だった2008年が終わろうとしています。一体どんなことがあったのか思い出そうとしても、下期以降の金融危機、経済危機のことで頭が一杯で、他にどんな出来事があったのか思い出せません。
これは単なる老化現象に過ぎないのでしょうか。

個人的に1年を振り返って見ます。
○○の練習を45回した。週一回に少し足りないペースです。この程度で体を鍛える面でも上達という面でも足りないですね。せめて週に1.5回くらいにはペースを上げないと。来年は100回を目標にしましょう。

今年読んだ本で印象に残ったもの
イスラム、繁栄の弧のゆくえ:イスラム諸国の近代化(何を持って近代化というかは議論の余地はあるが)についてかかれている。原油価格が147ドルなんてときがあったのがうそのようですが、夏ころに読んだのでイスラム諸国(産油国ですが)の勢いを感じました。でも、この原油価格の急落で繁栄の持続に黄色信号です。

ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座:一挙に3つの宗教について学んでしまえるかと思って読みました。ある程度は分かりました。特にこの3つの宗教の関連というか順番を理解するにはいい本です。石油を理解するにはイスラムは避けて通れない、と誰かが行っていたのを思い出して買い求めたものです。前著の世界宗教講座を来年は読んでみよう。

プロ野球の一流たち;面白くて一気に読んだ。でも、具体的に何がかいてあったのか頭の中に残っていない。お酒飲んで夜読むからか。二宮清純さんは好きな人なので本屋でタイトルを見つけて買ったもの。また来年読み返そう。

パンツの面目・ふんどしの沽券;ずいぶんと変わった内容の本なのだが、いたってまじめなものです。ロシアのことが少し分かったような。でも、少々自分の趣味には合わないかな。

シモネッタのデカメロン;これは本当に面白かった。人生一度きりしかないのでそれを楽しむというイタリア人のように、生きて生きたいものです。

偽善エコロジー;何事も多面的に見ないといけない、ということを考えました。著者の主張には大いに同意してしまいます。早速、マイバッグはやめてペットボトルの回収もやめて、アルミの缶ビールのみリサイクルするようになりました。

幕臣たちの明治維新;篤姫をづっと見ていたせいではありませんが、他のブログに紹介されていたので。江戸から明治にすんなりと移行したように学校では習いますが、その時代を生きていた人はとっても大変だったのでしょうか。それに比べたら現下の経済危機はたいしたこと無い?そんなことは無いでしょうが、100年に1度を経験できることは幸運なのかも。

愛国経済・中国の全球化;中国というのは広くて、大きな国です。面積だけでなく人々の暮らしも、そして経済も。最近の中国事情が良く分かります。

日中の経済関係はこう変わった;円借款というものが少し分かったような。中国人にはもっと日本に感謝してもらわないと、と思った反面、戦後日本もいろいろな国から援助を受けたことを忘れちゃいけない。もちろん、自分の会社がいろんな会社・人からの支援で成り立っていることも忘れちゃいけない。

ルポ貧困大国アメリカ;少々奇妙に感じる題名ですが、そのとおりの事実があることを納得。確かに、アメリカ出張の折に現地の人に聞いた医療保険制度は日本と比べようもありませんでした。どうしてあんなに医療費が高いのかね。と同時に日本の医療保険、年金制度はたいしたもんです。もっともそれを運用している社会保険庁がだめなことが良く分かった一年でもありました。

ラーメン屋VSマクドナルド;日米比較をステレオタイプに捉えないようにするには良い本です。物事を的確に比較する、あるいは例えることが出来るのは、それを本当によく理解している証拠です。勉強になりました。

ニッポンの評判;日本の評判て案外いいんだ、と思った本。きっと、各レポートを書いている人がまじめな生活をしているので、このように周りの外国人からの日本の評判を聞くことが出来るんでしょう。思いもかけない見方をされているもんだと気づくことがたくさんありました。

んー、こうしてみると日本、アメリカ、中国、イタリア、ロシア、イスラムと結構満遍なく読んでいるもんです。ただ、小説の類がほとんど無いなー

そうだ、チームバチスタの栄光を読んだ。面白かったので、映画も見てしまったしドラマもづっとみてしまった。でも、ドラマはあんまり面白くなかった。一番面白かったのは小説でした。最初に見たからかな。映画もドラマもストーリーが分かっているので、(もちろん原作と違うとこは一杯あるけど)なのかな。

今年のドラマでよかったのはだいすきと風のガーデンかな。風のガーデンは最終回を見逃してしまった。残念。

来年は自己研鑽の年にしたいもんです。



緊急経済対策

2008-12-19 | 社会
100年に一度かどうか分かりませんが、金融危機であり経済危機です。円の高騰もすごいものがあります。ドル100円と想定していたのに、下期はどうしたらいいんでしょうか。大手のように、海外に生産拠点があるところは現地生産比率を上げる、という方法がありますが中小はそういうわけには行きません。

金融と経済は当然リンクする、車の両輪のようなものですから、実体経済の成長率を大きく上回る金融の成長はありえない、と今にして思えば当然のことです。どこかの時点でトラブルとなります。単に、金融の成長率が実体経済の成長率まで落ちてくるというのならいいのですが、実体経済の足を引っ張るようになってしまったのは大変です。

実体経済言い換えれば民需が落ちてきてしまったのだから、それを補完すべく政府の出番と成ります。しかし、旧態依然とした公共事業の積み増しや地域振興券の二の舞は辞めてほしいもんです。

多くの識者が指摘しているように将来にわたって有効となる事業に支出してほしいもんです。そこで思いついたのが、「高校の義務教育化」です。

政府の経済対策の財源は過去の貯蓄ではなく、将来からの借金になります。埋蔵金というかこの貯蓄を使うのは、それはそれでいいのですがまったく貯金ゼロの状態になっていいとも思いません。したがって、国債発行による将来からの借金に行き着くはずです。

しからば最も主体となる受益者は将来その付けを払わねばならない子供たちであるべきです。これが高校義務教育化案の発想です。

現実には高校進学率はほぼ100%といってもいいのでしょうが、あえて義務教育化にして、高校の授業料を少なくとも公立高校はただにするというものです。私立の場合は、公立との差額だけを集めればいいでしょう。余裕があれば、教員の給料を上げてもいいです。その代わり、査定により格差をつけるようなことも考えたほうがいいと思います。

義務教育となれば、進学率は100%です。しかし、入学試験をどうすればいいのでしょうか。もし希望の高校の試験に落ちた場合は、行けないことになってしまいます。高校生くらいになれば、能力や興味に個々人の差が出てきているので、中学までのように学区内の高校にエスカレーター式に入学させるというわけにも行きません。

ここが難しいのですが、実業高校の役割をもっと広くして、職業訓練校のような高校も作ったらいいのではないでしょうか。それに、希望者は試験をするが全員合格させるとか、第二、第3希望まで受験時に申請出来るようにするとか。

方法はいろいろあると思います。要は、国の力を維持するには教育が一番大事であることは間違いありません。そして、現下の緊急経済対策の受益の主体はそのスポンサーである子供たちで無ければいけません。

そうする事で、足元の直接の受益者は高校生を持つ親になりますから、緊急の経済対策としても機能を発揮するのではないでしょうか。

いいアイデアと思いますが、どうですかね。



ガソリンが下がった

2008-12-15 | 石油
IEAなどいろいろな機関から2008年の原油消費量が前年を下回りそうだという発表がなされています。なんでも1983年以来のことだそうです。今春以降の原油価格急騰によるガソリン価格の高騰で、北米、ヨーロッパ、日本などで消費量は一気に落ち込みました。ここ一月くらいの原油価格下落によりガソリンは下がってきましたが、消費は戻っていないそうです。

そりゃ、これだけ経済危機が騒がれればガソリンが安くなったからドライブにどんどん行こう、という人はいませんね。

さらに経済の減速により石油消費は落ち込んでます。これまで石油需要増の大半を占めていた中国やインドでもその伸びは著しく鈍化しているそうで、結局2008年の総消費量は前年を40万BDないし80万BDだか下回りそうだといいます。さらに2009年も減少は続く、というよそうです。

それにつれてという因果関係ではないでしょうが、原油価格は40ドルそこそこまで下がってきました。8月ころの高値から1/3になってます。確かに昨日ガソリンを入れたら106円でした。夏の高値のときは180円くらいでしたから、ずいぶんと安くなったと実感しました。でも、だから満タンに入れようとは思いません。いつもどおり、20Lだけ入れました。

さらにさらに13年ぶりにドル90円を割ったというニュースです。8月ころは108円くらいだったので、20%近く下がっています。円があがることはいいことですが、これだけ急激に上がるとちょっと大変です。あのトヨタでさえ、2008年下期の想定為替レートは100円といいます。何もしないで、売上げが10%も下がってしまうのはとても恐ろしいわけです。もっとも、アメリカ国内での清算比率を上げて、為替変動に対応するでしょうが、全体に販売が落ちているので、それだけでしのげるわけでもありません。

このような需要現象を受けて、サウジは生産量引き下げを発表しました。これを受けて原油価格は48ドルくらいになったようです。しかし、消費の下げ基調はまだまだ続くのですから、これで原油価格が落ち着くとは考えられません。

あの夏の高値のときにこんな事態を想定できた人がどれくらいいるのでしょうか?もちろんあたしゃ、まったく予想できませんでした。でも、注意深く世の中を見ていた人には、金融危機に続く経済の減速とそれに伴う消費量の減少、したがって原油価格の低下は普通に予測できていたのかもしれません。

電気自動車

2008-12-14 | 省エネルギー
今日の日経新聞に電気自動車に関する特集記事があります。多面的に書かれていて分かりやすい記事だと思います。電気自動車と(ハイブリッド)ガソリン車の走行時の効率の比較、自動車の製造・使用・廃棄までを通じてのCO2排出量を比較するライフサイクルアセスメントでの比較、さらに材料・原料のアベイラビリティの観点をあげています。

単に走行時のCO2排出量のみを比較しているのではない点がよいですね。
あたしの意見は、電気自動車の導入には賛成ですが、それですべてが解決するというものではありません。

考えてみれば、日常生活に使われるものはほとんど電化されてきました。家庭内で燃料を使っていたのは、炊事、お風呂、暖房です。炊事をみればIHヒーターが普及してきました。オール電化で無い家庭でも、安全のためにIHクッキングヒーターを導入する人が増えていると聞きます。炊飯器はほとんど電器でしょう。お風呂はまだガスや灯油を使っている家庭のほうが多いですが、暖房は電気毛布や電器コタツ、エアコンなど電気機器を使っている家庭がほとんどでしょう。

鉄道も蒸気、ディーゼルから電車になりました。そう考えると電化の流れは時代の必然のような感じですから、自動車も電化されるのは不思議ではありません。もっとも、船や飛行機まで電化されるとは思いませんが。

この日経の記事に突っ込みを入れるとすれば、二つ。効率比較の数値の取り上げ方がちょっとおかしいこと、走行可能距離に触れていない点です。

エネルギー効率の比較のデータとして、慶応大学清水教授の試算(電気自動車とガソリン車の比較)と三菱自動車の試算を載せています。清水教授の試算のほうが大きく取り上げられていますが、どう見ても比較の数値は三菱自動車の試算のほうが妥当と思います。電気自動車の効率は28.5%、ハイブリッド車は24.8%というものです。まー、ほとんど同じだが電気自動車のほうが少し効率が良いのでは、といった感じでしょうか。清水教授の試算は電気自動車はガソリン車より3倍効率が高い、というものですがこれは誤解を生む数値です。

どうして三菱自工よりも清水教授のデータを大きく取り上げているのか、その点は解せません。三菱自工が「あんまり自分のデータを前面に出さないで」と遠慮したのか、清水教授が自分のデータを中心に据えろと言ったのか、あるいは編集者の判断なのか。

記事で触れていない観点に走行距離があります。
あたしの例で恐縮ですが、自家用車の使い方はこんな感じです。平日は時々通勤に使うので、10km程度。週末は買い物、子供の用事、ドライブなどで50kmくらい。夏休みや冬休みは帰省や旅行で500kmくらいの走行です。
ここで電気自動車に乗り換えようとしたときの問題が出てきます。電気自動車の弱点のひとつに走行距離が短いという点があります。そう、電気をためるのはなかなか難しいのです。現在は一回の充電で100kmくらいでしょうか。

そうすると週末の用事には耐えられますが、夏休みの旅行にはいけません。そのときにはレンタカーを借りればいいかということになりますが、国民の多くが旅行に出かける分だけレンタカーを準備するのもどうかという感じです。

以前ロサンゼルス空港の駐車場に充電用のスタンドが50台くらい並んでいる光景を見たことがあります。実際に充電している車は2-3台しかありませんでしたが、電気自動車が浸透していく風景を見たような気がします。

なんでもこれで決まり、となるような技術や製品はありません。電気自動車もその利便性と高効率を生かせる場所で活用していくことが大事です。


ビッグスリーの行く先

2008-12-13 | 社会
どうしてこんなに円高が進んだのかと思えば、ビッグスリーの救済策(要は誰もお金を貸してくれないから、政府から借りる)が上院で否決されたためという。金融再生法案のときのように修正して出しなおす、ということは無いらしい。ブログ上ではそんな意見が多いようです。

ビッグスリーが倒産しても、トヨタやホンダの車を買えばいいから大丈夫、というのが消費者目線からの正直な意見でしょう。ビッグスリーの車が売れないのは、日本の自動車会社のせい、あるいは日本がアメリカ車を買わないから、という10年前のような意見はまったく聞かれません。それだけトヨタもホンダもアメリカの会社(工場)として認知され、事実雇用を創出しているからでしょう。

数年前は、燃料電池自動車開発の先陣をGMは切っていました。トヨタのハイブリッドを燃料電池自動車完成までの繋ぎ技術でしかない、と言い切って馬鹿にしていました。ところが、燃料電池技術の開発の壁が相当高いこと、一発のブレークスルー技術ではなく多くの技術の総合化が必要なことがわかってきて、GMのFCV開発は停滞したのでしょう。もちろんトヨタもホンダも2007年にはFCV5万台を走らせるなんていっていたころもありました。FCV開発にてこづっているのはGMばかりではありません。

だからといって、FCV開発がままならないから会社がつぶれそう、というのは理屈になりません。足元ではこのハイブリッド技術を持っていない自動車会社はさっぱりです。

一方、生産者・会社員の目線で見ると、GMつぶれてもいいよとはいきません。日本の部品メーカーや装置メーカーの大部分はビッグスリーとの取引もしています。現在の売掛金が回収できなくなったら、結構大変なことになります。かといって、危なそうだから部品供給をやめますとは成りません。それでは自工場の操業率を維持できなくなりますから。んー、ことはアメリカの自動車会社だけのことではありません。

では、ビッグスリーに簡単にお金を貸すしかないのでしょうか。それでビッグスリーは息を吹き返すのでしょうか。

ビッグスリーを再生(救済ではない)させるためには、やはりここはいったん倒産してもらうしかないでしょう。その瞬間に株は紙切れですから、しゃれにならない人も多いでしょうが、既に充分にその可能性はあったわけです。
その上で、トヨタに買ってもらえばいいのです。トヨタが経営するようになれば、余計なもの(工場、設備、人)の整理をしたうえで、立派に再生することが出来ると思われます。

しかし、アメリカの代表的産業である自動車が日本の一企業に牛耳られるようになることには、アメリカ政府は良しとしないでしょうね。ゆえに、一体どうなるのか分からないのです。

省エネの本質

2008-12-09 | 省エネルギー
面白い本を読みました。武田邦彦著「偽善エコロジー 環境生活が地球を破壊する」という題名です。確かに最近では、国や地方自治体、そして企業までが環境とかエコをキーワードに使っています。全てのことがエコとか環境に良い方向で無ければいけない、という強迫観念的な感じです。確かに、エコや地球環境を保全することは大事ですし、それに真正面から反対する人はいないでしょう。

ところが、企業や自治体などのうたい文句を聞いていて、それって本当に環境保全になるの、エコや省エネにつながるのかね、と首をひねりたくなるような気分になることが多々あります。
国の補助金申請時にはとにかく環境に良い、CO2排出量削減に寄与するという言葉を入れないとまず採択されないので、とにかく何でも良いからこのフレーズを入れておくなどなど。

この本は、生活者にかかわる身近な事例を取り上げて、その行為(例えばレジ袋追放運動など)が本当にエコにつながっているのかどうかを検証しています。
そしてほとんどの事例はエコではなくて単なるエゴという判定を下しています。

一読しての感想は、今まで釈然としなかったことがなーるほどとずいぶんと納得できた、ということです。如何に大企業や役所が自分たちの都合でいい加減な運動を推進しているものだ、と合点がいきます。
またこの著者は国や大企業を敵に回してここまで主張するのは、大変なものと感心します。

数年前ですが大学の恩師から「少しまじめに家庭でやっているリサイクル運動を検討したら、何もしないことが一番いいという結論に達した」と聞きました。とある学会にかかわる検討結果なのですが、さすがにそのまま発表するわけにも行かず、困ったということでした。
古紙のリサイクル、プラスチックのリサイクル、牛乳パックのリサイクルなどが、家庭でできる省エネ省資源のための運動として推進されています。ですが、無駄な労力、資源を使ったリサイクルなどせず、ごみとしてそのまま燃やし、そしてその熱エネルギーを回収するようにするのが一番効率的という結論だそうです。
こういうとプラスチックなど燃やしたらダイオキシン問題が起こるのではないか、という反論が必ずありますが、焼却炉の運転をダイオキシンが発生しない温度領域で行えば良いですし、現実にそういった焼却炉が導入されているそうです。

この本の著者は、レジ袋の追放はその原料となる石油の使用量減少に直接的にはつながらない。逆に、マイバッグを新たに作らねばならず、さらにレジ袋で代用していたゴミ袋も新たに作らねばならないので、石油の使用量は増えてしまうと主張しています。
レジ袋追放を推進しているのは、レジ袋費用が削減できるスーパー、マイバッグが売れると儲かる人たち、これに役所が加わっているが、何れも自分たちの利益につながることが追放運動の推進力になっているとしています。

最近は余り聞かなくなりましたが、割り箸の使い捨て使用を止めるといった運動についても、割り箸の使用が貴重な森林資源を浪費している野ではなく、割り箸を使用したほうが森林の消費と再植林という循環に寄与するので良いこと、と主張しています。

ほとんどの主張には同感です。ただ、一つ納得できない部分があります。水の使用に関する項などに顕著ですが、全体の使用量に対する削減量の寄与が1%未満のような小さな方策をやっても意味がない、と片付けていることです。確かに、手洗いの時にこまめに水道を止めるとか、シャワーを出しっぱなしにしないなど、効果の小さい方策はあります。それによって水不足や水にかかわる資源の保全が出来るわけではありません。しかし、省エネ、もっと言ってしまえば石油使用量削減のためにこのような小さなことを生活者がやることは意味があるでしょう。
著者の主張したいのは、このような小さなことさえやっておけば環境保全は大丈夫と思い込ませるような、国やマスコミの考え方は間違っている、といいたいのでしょう。

マスコミや各種の広告で環境に配慮した、あるいはこの環境を子供たちに残す、なんていうコピーを目にすると実はその裏で違うことやってんじゃないの、と益々疑ってみたくなります。


後期高齢者医療制度と妊婦・新生児医療

2008-12-05 | 社会
重病の新生児が入院の受入拒否をされたらいまわしにされた末、死亡したというニュースがありました。妊婦が入院拒否でたらいまわしにされ死亡したり、胎児がなくなったりといったニュースを聞くとつらくなりますね。

産婦人科医師や小児科の医師が少ない、と同時にそういった病院が少なくなっているとも言われています。これは大変な事態ではないでしょうか。少子化には歯止めをかけなければいけないのは自明です。人口を増やすことは経済成長の基礎中の基礎ですから。増えないまでも人口を減らさない方策は必要でしょう。しかし、小児科・産婦人科医が少なくなっていることは少子化対策とは反対の方向です。

少子化対策には色々ありますが、やはり安心して産む、子供が健康で育つことを最低限保障できなければいけないでしょう。今朝のニュースでは、その子供を入院させることが出来るのは特殊な設備を持った病院だけで、何れの病院もベッドに空きが無いので受入拒否したとのことです。確かに空きが無ければ闇雲に受け入れるわけには行かず、現場の医師を攻めるのは酷です。要は簡単で、もっとそのような特殊な設備のベッドを増やせばいいのです。そのために公的な支援が必要であれば、設備を増やすために補助するとか、設備の使用料(最終的には健康保険で払いますが)を高く設定して、病院が進んで設備を増やせるような仕組みにすればよいかと。

高齢者医療にお金をかけるのと、新生児医療や産科医療にお金をかけるのとどちらが良いでしょうか?高齢者を見殺しにしても良いと正面切って言い放つだけの勇気はありませんが、新生児医療に肩入れしたいものです。
しかし残念ながら新生児には選挙権が無く、高齢者には選挙権があります。更に新生児は自ら主張することも出来ません。政治家が自分も高齢者であり、選挙権のある高齢者に軍配を上げるのもまた自明です。
こんなことではいけません。

高齢者といえば、後期高齢者医療制度というものが話題になりました。端的に言えば、75歳以上の高齢者はこれまで以上に保険料が上がる、ということで大いに不満を訴えています。また、高齢者にそんな仕打ちは無いだろうという、某ニュースステーションのような主張が声高です。

この制度について完全に理解しているわけではありませんが、先の主張は少し的が外れていると思います。
現在の高齢者の医療負担が20年前に想定していた金額よりも増えていることはその通りで、また今後も増え続けていくと予想されます。健康保険の制度を設計したときに想定できなかったのですから、ここで軌道修正をしないと保険制度が破綻します。

そこで、想定と異なる部分を切り分けてどれくらい想定から金額が大きくなったのかを明確にする必要があります。そして想定よりも余計にかかる金額を、後期高齢者とそれ以外の保険料を払う人と応分に負担しようというのが、後期高齢者医療制度だそうです。

ここで大事なのは、保険料を払っている全ての人の保険料はあがるということです。したがって、後期高齢者の保険料も上がって当然なのです。ポイントは、後期高齢者の負担増加額とそれ以外の人の増加額が同じか、違いがあればどれくらいなのか、それが応分の負担という点から妥当かということです。

後期高齢者と区別するのは、この年齢層の人の医療費が想定とずれているからです。20年30年前にこれほど寿命が延びるとは予想できませんし、また医療の進歩で高度な医療が出てくるとも分からなかったでしょう。ですから、後期高齢者の医療費が想定よりも大きくなっているのは仕方が無いことです。ですから、これを踏まえて制度を見直さなければなりません。
このとき想定とずれている年齢層を分けておかないと、一体どれくらいがずれて金額が増えているのか分からなくなります。
後期高齢者と区分しているのはそういう理由なわけです。

この制度を批判するマスコミの論調は、75歳以上だけ保険料が上がる、したがって高齢者切り捨てである、のように聞こえます。老人医療費が上がるということを情緒的に主張しているだけです。

もっと物事を正確に報道して欲しいもんです。