化学系エンジニアの独り言

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省エネの本質

2008-12-09 | 省エネルギー
面白い本を読みました。武田邦彦著「偽善エコロジー 環境生活が地球を破壊する」という題名です。確かに最近では、国や地方自治体、そして企業までが環境とかエコをキーワードに使っています。全てのことがエコとか環境に良い方向で無ければいけない、という強迫観念的な感じです。確かに、エコや地球環境を保全することは大事ですし、それに真正面から反対する人はいないでしょう。

ところが、企業や自治体などのうたい文句を聞いていて、それって本当に環境保全になるの、エコや省エネにつながるのかね、と首をひねりたくなるような気分になることが多々あります。
国の補助金申請時にはとにかく環境に良い、CO2排出量削減に寄与するという言葉を入れないとまず採択されないので、とにかく何でも良いからこのフレーズを入れておくなどなど。

この本は、生活者にかかわる身近な事例を取り上げて、その行為(例えばレジ袋追放運動など)が本当にエコにつながっているのかどうかを検証しています。
そしてほとんどの事例はエコではなくて単なるエゴという判定を下しています。

一読しての感想は、今まで釈然としなかったことがなーるほどとずいぶんと納得できた、ということです。如何に大企業や役所が自分たちの都合でいい加減な運動を推進しているものだ、と合点がいきます。
またこの著者は国や大企業を敵に回してここまで主張するのは、大変なものと感心します。

数年前ですが大学の恩師から「少しまじめに家庭でやっているリサイクル運動を検討したら、何もしないことが一番いいという結論に達した」と聞きました。とある学会にかかわる検討結果なのですが、さすがにそのまま発表するわけにも行かず、困ったということでした。
古紙のリサイクル、プラスチックのリサイクル、牛乳パックのリサイクルなどが、家庭でできる省エネ省資源のための運動として推進されています。ですが、無駄な労力、資源を使ったリサイクルなどせず、ごみとしてそのまま燃やし、そしてその熱エネルギーを回収するようにするのが一番効率的という結論だそうです。
こういうとプラスチックなど燃やしたらダイオキシン問題が起こるのではないか、という反論が必ずありますが、焼却炉の運転をダイオキシンが発生しない温度領域で行えば良いですし、現実にそういった焼却炉が導入されているそうです。

この本の著者は、レジ袋の追放はその原料となる石油の使用量減少に直接的にはつながらない。逆に、マイバッグを新たに作らねばならず、さらにレジ袋で代用していたゴミ袋も新たに作らねばならないので、石油の使用量は増えてしまうと主張しています。
レジ袋追放を推進しているのは、レジ袋費用が削減できるスーパー、マイバッグが売れると儲かる人たち、これに役所が加わっているが、何れも自分たちの利益につながることが追放運動の推進力になっているとしています。

最近は余り聞かなくなりましたが、割り箸の使い捨て使用を止めるといった運動についても、割り箸の使用が貴重な森林資源を浪費している野ではなく、割り箸を使用したほうが森林の消費と再植林という循環に寄与するので良いこと、と主張しています。

ほとんどの主張には同感です。ただ、一つ納得できない部分があります。水の使用に関する項などに顕著ですが、全体の使用量に対する削減量の寄与が1%未満のような小さな方策をやっても意味がない、と片付けていることです。確かに、手洗いの時にこまめに水道を止めるとか、シャワーを出しっぱなしにしないなど、効果の小さい方策はあります。それによって水不足や水にかかわる資源の保全が出来るわけではありません。しかし、省エネ、もっと言ってしまえば石油使用量削減のためにこのような小さなことを生活者がやることは意味があるでしょう。
著者の主張したいのは、このような小さなことさえやっておけば環境保全は大丈夫と思い込ませるような、国やマスコミの考え方は間違っている、といいたいのでしょう。

マスコミや各種の広告で環境に配慮した、あるいはこの環境を子供たちに残す、なんていうコピーを目にすると実はその裏で違うことやってんじゃないの、と益々疑ってみたくなります。