「ロンドン中心部、シティ・オブ・ロンドン(特別自治区:シティと呼ばれる)は、中世の時代から世界金融の中心地。ロンドン証券取引所の建物を、三菱地所がやってくれた。日本人として嬉しい。」と現地に住むガイドさん。
思い出した。都市計画で重要なセントポール大聖堂に行かなくては、と思った。
1 セントポール大聖堂の景観を守るための規制
1710年に再建後、1962年まで、英国国教会のセントポール大聖堂(高さ111m)は、シティで最も高い建物で、シンボルだった。
ロンドン建築法は、セントポール大聖堂が見えるように、新たな建物の高さは10階建て以下に規制した。
しかし、一律の高さ規制は都市の発展を妨げるため、1938年、著名な場所から大聖堂の景観を守る規制に切替えられた。
その1)大聖堂ドームが見える高さに規制
テムズ川河畔などからドームが見えるよう、規制区域内の格子点(赤点)毎に限界高を設定。ミレニアムブリッジ近くでは27mが上限。
その2)眺望回廊(ビューイング・コリドー)など
シティ外の著名な眺望点(①~⑧)から、大聖堂が見えるよう、回廊状に制限区域を設定。
制限区域内での建築計画申請が、景観に悪影響を与えないか、シティは周辺自治体と調整。
図の1~5の建物は、調整。
ネットで検索すると、こんな感じ。
高層ビル群や三角錐のザ・シャードは、コリドーから外れた場所に建設されていた。
日本は、借景など、眺望景観を大事にする文化はあるが、規制することが難しく、都市計画や景観計画には生かされていないようだ。
2 三菱地所の再開発計画(パタノスター・スクエア・プロジェクト)
セントポール大聖堂に隣接した北側エリア(英国国教会の所有地)は、1960年代に建てられたビルが老朽化し、再開発が必要だったが、複雑な権利関係と大聖堂の隣というセンシティブな場所のため、長らく手つかずだった。
英国と米国の大手デベロッパーが共同事業で計画を進めたが、頓挫したため、その持分を買取り、三菱地所が単独で再開発事業に取り組むこととなった。ゴールドマンサックス、ロンドン証券取引所など、地上8階建ての建物。
1990年に事業に参画し、マスタープランナーの任命、開発プランの見直し、ビル毎に設計者任命、変更案に基づく開発許可申請、開発許可を得て解体工事、インフラ・ビル工事着手、2003年ビル竣工、引渡。
初進出のロンドンで、米英企業が断念した難しい事業を見事にやってのけたことが、現地の日本人の誇りとなったのだと思う。
西側から見たところ。
再開発事業で作られたパタノスター・スクエア(広場)とロンドン証券取引所。
反対側から見たところ。写真はグーグル。
パタノスタースクエアは、隣にセントポール大聖堂があるため、高さ8階建ての中層ビル。
その後、成功を受け、2023年には英国では7件目の51階建てのオフィスビルをシティに完成。
また、英国子会社は欧州事業の拠点となっている。