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沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

マレー・ジレンマ

2005-10-10 | マレーシア
”マラヤ(半島)は豊かなのに、マレー人が貧しい。”マハティール,「マレージレンマ」,1970年。

独立後10年を経ても改善されないマレー人の貧困。独立の父ラーマン首相の政策を批判し、首相の辞任要求して党を除名されたマハティールが書いた発禁本。マレー人優位の経済構造への変革とマレー人自身の自己改革を求め、当選一回で落選時の45歳の時に書いたこの本は、シンガポールでは読むことが出来、多くのマレー人に読まれた。

民族融和と民族間の分業体制(華人は商工業、マレー人は農業)では華人との経済格差は縮まらず、歴史的につくられた民族間の経済格差を解消するためにはマレー人優遇政策が必要との主張は、ブミプトラ(土地の子)政策につながった。

74年にマハティールは再び当選すると直ちに第2代首相ラザクに教育相に抜擢され、第3代首相フセイン・オンには副首相を命じられた。そして1981年から2003年まで22年間にわたりマハティールは第4代首相を務め、ルック・イースト政策(西欧ではなく日本や韓国に学べ)を推し進め、国産自動車、国産モノレール、電子製品の輸出国など工業化に成功した。
[マハティール語録] NNA: Global Communities

*ジレンマ:自分の思い通りにしたい二つの事柄のうち、一方を思い通りにすると他の一方が必然的に不都合な結果になるという苦しい立場。板ばさみ。
マレー・ジレンマとは「民族融和とマレー人優遇策」のことと思われる。初代と第3代首相は民族融和策を取り、第2代と第4代首相はマレー人優遇策を推進したといわれる。多民族国家という状況下で政策が揺れ動いていたが、このジレンマを克服し、両立させていくことの必要性を訴えた。

ブラジル屋台

2005-10-10 | 浜松のくらし
今日は浜松サンバフェスティバルが開催された。浜松駅前のギャラリーモールというJRと遠州鉄道の乗換広場では、ステージと屋台村テントが設けられブラジル人や日系ブラジル人の家族やカップルが大勢集まっていた。
屋台で珍しいブラジル菓子があったので、昼飯代わりに買ってみました。ココナッツ焼菓子(右)はドーナッツみたいな感じ。グアバビスケット(手前)は食べやすくて人気。クッキー(奥)も美味。ブラジルのパン セルビパン
パステウという、薄いパン生地のような揚げ物の中に肉、チーズ、ピザなどの具が入っているお菓子も食べました。
お腹一杯になり、結局夕飯も不要でした。