フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

中野孝次著「風の良寛」が衝撃を。

2010-03-10 21:11:35 | 読書会
3月10日 水曜日 雨のち晴れ

昨日の雪が庭に残っていました。でも写真を撮ってみたいという気にはなりませんでした。
朝まで降った雨が雪をとかして車の通行には支障なかったようです。

10時から読書会でした。お一人の欠席がありましたが、皆さん集まってこられました。
今日は中野孝次著「風の良寛」を読みました。
読書会の前に、私の方からメンバーにお願いを一つしました。

先月の読書会の、直木三十五著「南国太平記」を読んだ時、あまりに分厚い本を読み上げたと言う充実感、
それが影響したのでしょうか、著者の直木三十五の事は話しにでましたが本文の意見交換はなかったのです。
何でも楽しめればよいと思うのですが、読書会の時はやはりその本のことを話さないと駄目ですよね。

それで、テーマ本の話の合間に雑談をすることをお願いしたのです。(笑い)
お茶を飲み、御菓子をいただきながら、そうしながらの、楽しい良い時間を過ごしたいです。

メンバーのかた達は、何となく知っていただけで、全く知らなかった良寛の私生活を読んだのです。
初めて知って驚いたとか、著者が違う良寛の事を書いた本を読んでみたい・・・等々、意見が飛び交いました。
それに良寛がこんなに良い短歌を読んでいたとは知らなかったという意見も多かったです。

わたしは学生の時、良寛が好きでした。自然体で率直な良寛の短歌に共鳴しました。
それまでは古今集とか新古今集などの短歌しか読んでいませんでしたから、とっても感銘したのです。
良寛の短歌の出会いが、短歌に初めてわたしが関心を持ったと言っても言いすぎでは無いと思います。

それから佐々木信綱短歌に触れ、斎藤茂吉記念館へバス旅行で偶然立ち寄ったことで茂吉の歌に出会いました。
わたしも短歌を作ってみたくなったのです。

そのころのわたしは、メニエル氏症候群に悩まされ、鬱状態になっていました。
バス旅行も両親たちのメンバー不足のために、無理矢理連れて行かれたのです。
記念館で歌集を買い、茂吉の母親を亡くした時の和歌を読み、何かに打たれたような衝撃を受けたのです。
多くの言葉を使わないのに、母を亡くした悲しさがはっきりわたしに伝わってきたのです。

文学青年でしたあるじも一緒に短歌の同人誌の端っこに入れて頂き、一緒に投稿していました。
この短歌を作ったことで、わたしは欝から脱出出来たのです。
31文字に入れ込むのですから、気持ちを整理したり物事を整理したり、その作業が良かったようです。

その作業がわたしの混沌とした心の悩みの整理が出来たような気がします。
短歌的には決して良い物が出来ていませんでしたが、それ以上に嬉しい副産物産物になりました。

「風の良寛」を読みながら、昔のいろいろなことを思い出していました。
学生の頃は、良寛の全てを尊敬していたはずですのに、娘を持ち孫を持つ今のわたしは変化していたのです。
もしわたしの大切な娘や孫たちが良寛さん的な生き方を希望したら、許せるだろうか・・・。

裕福な家で育ちながら全てを捨てて、欲を持たず、貧しくも心はいつも豊かな生活をする良寛。
辛いことは辛いと短歌で素直に詠い、独りで病んで苦しむ様をそのまま詠う良寛。
その率直な欲のないところが好きだったのですが、今のわたしは其処に問題があると思っている・・・。
そんなわたしに愕然とさせられました。読みながら何時もそのギャップに悩まされました。

メンバーの方もやはりわたしのように思った方も居られたようでした。
蟹工船を読み直した時も、やはり若い時の感情とあまり違うのに驚きましたが、それ以上の違和感でした。
音楽も本も年齢でこれほど受け止め方が違うものかと、ただ驚くわたしです。
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