フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

3月28日(木曜日) 亡くなった母と夫を想い出し、懐かしんでいました…

2024-03-28 22:34:51 | 老人一人暮らし
今日は木曜日。長女がやって来ました。
此の処、わたしも多少認知になってきているようで、気になっています

それは、役所からの郵便物は、富士宮に行った時、チェックしていました…。
母は、郵便物の封を切らず、状差しに刺してありました…。
その時は、”どうして自分で出来ないの…?と、不思議に思っていましたが、
今のわたしが、まさに当時の母と同じ事をしていると気づき、唖然…。

最近は、わたしも長女に丸投げしています。
申し訳ないと思い、その旨を伝えますと”順番だから…”と言い聞き流します。
わたしが母にしていたことを見ていたようで、”順番だから…”の一言…。
申し訳ないと思いながら、感謝です。

更に、わたしの母は、大森の自宅も、横浜のわたしの自宅も拒否して、
富士山と駿河湾が見える、富士宮の家に一人で住み続けました…。
スーパーは勿論、お店が全くない処ですから、独りでの生活は出来ません。

わたしは、定期的に、東名高速を走り母の家に通っていました…。
川崎に住む長女は”遠くないから気にしないで…”と言います。感謝です。
ただ、少額でも、通行料金が気になっています…。

と言うのは、月に数回、東名高速とバイパスの料金は高額でした…。
夫が亡くなり、遺族年金だけの収入になってからは、大変でした。

富士宮に行き、家のお掃除は勿論、1階と2階の冷蔵庫のチェックをし、
医院から投薬を頂いて来たり、美容院への送り迎えなども必須でした…。

”日帰りで…”が条件でしたので、夕食の支度をして横浜に戻るのですが、
どうしても帰宅は22時頃になってしまいます…。
暗くなってからの東名高速を走るのが嫌でした…。


気が付いたら、夫が亡くなって17年、母が亡くなって13年経過。
あっという間のような気がします。
あの東北地震の日が、母の通夜でした。絶対、忘れられません。

今振り返りますと、母の我儘さとわたしの夫の我儘さが、似ていましたので、
その時は大変でしたが、未だ良かったのでは…、と思えるようになってます。
時間の経過を感じています…。
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