フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

まどろみつつ 昔を想う 今日この頃

2014-04-13 20:07:52 | 日記
4月13日 日曜日 晴れ

家の前の道路にも落ち葉やゴミが落ちていなかったので、一歩も外に出ないで過ごしてしまう。
何となく今日は朝から気力が無く、ぼんやりしている時間が多くなっていた。
こんな時は、逆らわず気ままにするのが、最良と思っている。

作り置きしている食料が冷蔵庫にまだ残っているので、食事の支度をしなくても大丈夫。
9時過ぎに朝食を済ませたのに、お昼になっても空腹感は全くない。
気怠さがあるので、マッサージ器に座りトロトロ居眠りをしていたり…。

この頃の疲れ具合は今までとは違ってきている。歳をとった証拠と思う。
「まだ若いのに…」と他人から言われるけど、戸籍の年齢と実年齢は同じでは無いと思う。

あるじの脱サラで始めた「手作りパンとケーキの店」で、想像に絶するほどの体力酷使を。
それも足かけ20年間…。長かった…。
その20年の間に、姑が亡くなり義兄が亡くし、二人の娘が嫁ぎ4人の孫が生まれる…。

そして、わたしの父が亡くなり、独りになった母が体調を崩すと我が家にやって来るようになる。
お店の仕事をしながら、体調を崩した母の世話は辛かった。
世話が辛いのでは無い。睡眠時間が3時間くらいしかとれなかった事。

母は一人で朝食をしてくれないので、母の食事の時間までに自宅に帰って来なくてはならないし、
その為には店に入る時間を早めなくてはいけない…。
母は夕食を楽しみ、11時過ぎまで食堂に留まりわたしたちとの時間を楽しんでいた。

母は2階の奥の部屋が気に入って、我が家にいる間はその部屋をベッドルームにする。
階段を上がって2階の奥の部屋まで行くのは、母には大変なことで、一緒に行動していた。

2階の廊下を歩くときはわたしの肩に両手を置き、運動会のムカデ競争のように、
1.2.1.2とわたしの号令で、部屋まで歩くことを常としていた…。
母もわたしも結構面白がっていた…。

ベッドに横になっても節々が痛むので、小さな枕をいくつも身体の下に入れていたし、
掛け布団を自分の身体に掛ける時、痛むので手を貸しテレビのチャンネルやお水などを置き、
常夜灯にして、「お休みなさい」と声を掛けて母との一日は終わる。

台所の片付けとお店の現金出納簿を記帳し、翌日の釣り銭の準備をしてわたしの一日が終わる。
お風呂に入ってベッドに入るのは、1時過ぎ。そして翌日5時前後に店に入っていた…。

大変だったけれど、今は懐かしい良い想い出になっている。
それに、体調不良にも納得出来る。全力疾走してきたのだから当然と思っている。

こんな風に昔をいろいろ思うのは、やっぱり歳をとった証拠なかも…。
コメント
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