ぐるぐる自転車どこまでも

茨城県を自転車で散歩しながら,水戸藩の歴史について考え,たまにロングライドの大会に出場,旅する中年男の覚書

天狗党を追う~内山峠越え

2012-12-10 07:12:18 | 自転車
天狗勢が下仁田を出発したのは11月16日で,現在だと12月の終わり頃になる。
下仁田の町を流れる鏑川沿いに西に向かった。
途中,銃撃されたり,橋を落とされたり,ふさがれたりしたため16日は本宿で泊まった。

下仁田を出てしばらくすると妙義方面に行く道と分岐する,天狗勢は17日早朝に本宿を出発し,およそ四里西にある内山峠へ向かった。
この道は昔,姫街道と呼ばれていた。姫街道とは,wikiによると,「本街道に峠道・川越えなどの難所、厳しい関所などの面倒があった場合に、それらを避けるための別ルートが選ばれる場合があった。また、本街道と比べると人通りが少なく、犯罪に巻き込まれる可能性が少ない・警備が楽、といった事情もあった模様である。女性旅行者がこれらの理由から選ぶ道というイメージがあったことから、それらの別ルートが「姫街道」「女街道」と呼ばれることがあった」という。


本宿にある西牧関所跡。現在は建物はなく,案内板だけがあるのみだ。下仁田の町を出てからずっと上りになる。交通量はそれほど多くはないが,トラックなども走っている。


しばらく走ると,旧道との分岐を示す標識が出ていた。もちろん,旧道を行く。旧道は鏑川沿いを上流に向かう。旧道に入ると極端に自動車の通行はなくなった。


旧道沿いに集落がある。しかし,人を見かけない。鏑川の刻んだ谷に道路が作られ,その脇に家が建てられている。平地がないのでどうしても道路沿いに縦長に集落が形成されてしまうのだろう。


最後の集落を過ぎると,傾斜する岩を削った道路がくねくねと続く。それなりに斜度はあるので,ギアを軽くしないと上れない。ハアハアと息をつきながら,ゆっくりと上っていく。


途中で,新道が見える場所に出た。ほぼ斜め上を見上げると新道が走っている。新道が上下に2本見える。新道もS字を描きながら高度を上げているのがわかる。


さらに旧道を進む。途中で鏑川の水の流れる音が左側の谷底から聞こえていた。路面は,ご覧のように荒れている。谷間から見える紅葉した木々に太陽の光があたっていて輝いていた。温度も5度ほどで,日陰だったので,深呼吸をすると落ち葉の香を含みながらも乾燥した冷たい空気が肺に届き,心地よかった。


ある程度上ると,谷が深くなり瀬音はかすかになるが,さらに上り頂上に近づくにつれて谷が浅くなり渓流となる。両側は岩とほぼ垂直に近い壁のような谷だが,上を見上げると青空と岩肌と紅葉がすっきりと見えた。
奥深い谷間で,せっせと落ち葉拾いをしていた老夫婦がいた。年は70歳くらいだろうか。なんとなく人の良さそうな感じがにじみ出ていたので,声をかけてみた。
「道路掃除されてるんですか」
「いや,肥料にするんだ」
「下仁田の方ですか?」
「そう,ネギを作っているんだ」
落ち葉を集めて,腐敗させて肥料にするらしい。
少しの時間だが,人と他愛の無い話しをすることが楽しかった。思えば,昨日から旅館の人をのぞいては会話らしい会話をしていなかった。
別に人が嫌いだというわけではなく,自転車で走っていると下りているときくらいしか人と話す機会がなく,今回,走ってきたルートに人があまりいなかったこともある。
「お元気で」と声をかけてさらに進むことにした。


また,新道が現れた。新道はなんども折り返すようにグニグニとしており,坂道をのぼるトラックやら自動車がエンジン音をあげて坂を上っていく音が聞こえてきた。
内山峠を越えようとする天狗勢を阻止しようと峠に近い村の農民は橋を落とし,大木を切って道を塞いだが,天狗勢は大木を倒して橋を架け,その上に戸板や布団を敷き,土をかけて通行できるようにしたという。


やっと新道に出た。旧道を進むつもりが道を誤り,ちょっとだけ新道を走ってしまった。新道は深い谷にいくつも橋をかけている。


途中で看板があったので,旧道の入り口がどこにあるのかがわかった。上ってきた道を下り,旧道へ入る。しかし,誰も通らないのだろう。藪になっていた。晩秋なのでそれほど草木も障害とならないと考え自転車を降りて押していくことにした。


新道にかかった橋の上からほぼ真下をのぞいたところ,ヘアピンのような形のカーブを描いている。


旧道を走る。勾配がきつい。カーブを曲がって後ろを振り返ったところ。相当にきついカーブだ。


旧道は急激に高度を上げて新道を見下ろすくらいになった。写真の真ん中にあるのは峠のドライブインで,その上にある白い物が旧道のガードレール。
カーブを曲がって旧道はこの写真の視点の位置になり,新道はほぼ真下に見える。この高さを比べてもらえると旧道がいかにひどい斜度であるかがわかる。
つい,こんなにひどい上りだったのかと感心して写真を撮ってしまった。
下仁田での戦闘で負傷した天狗勢の何名かは内山峠を越える際に絶命したというが,なるほどと納得した。


現在は,ほとんど自動車は通行しないが,昔は通行していたらしく,転落しないように呼びかける標識があった。道が細く,斜度もある急カーブなのでガードレールがないところが多いので,うっかりとカーブで曲がりきれずに転落してしまう事故が多かったのだろう。


くねくねと続く。上っていて,まだ続くのか,この上りはいつ終わるのかと何度も思ってしまった。


荒船山がみえる。まるで航空母艦のような形だ。


やっと上りきった。ここからは峰沿いに行く道になる。


まっすぐ行くと内山峠に至る。向こうから,たぶん牧場を目指す自動車が現れた。


分岐点。ここを左に下りると新道のトンネル入り口あたりに出るらしい。下りそうになって,地図を確認してまっすぐに行くことにした。


ほぼ内山峠の頂上付近から下仁田方面,高崎方面を眺めてみた。標高は1066m。
あの谷底からここまで上ってきたと思うと,達成感がわき上がってきた。
しかし,寒い。走っていないと温度が低いのですぐに体が冷えてしまう。ほぼ0度ではなかっただろうか。
ゆっくりすることもできず,写真を撮ってすぐに走り出す。


山頂付近は,木々は葉を落として丸裸で,寒々しい。
風が吹くとヒューという風を切る音がしていた。
峠の頂上付近には,荒船山へ登山をする人たちの自動車が何台も停まっていた。内山峠はここが頂上だという標識がなかった。頂上付近はフラットな道路なので最高点が分かりづらく、気付かずに通り過ぎてしまったようだ。
ところで、天狗勢は午前9時頃には峠の頂上に着いたらしい。きつい上りにもかかわらず,かなりにスピードで進軍をしていたことが分かる。大砲もあったし相当な荷物を抱えての行軍である。峠には当時無人の茶屋があり,そこで休憩し,長野側の内山村を目指したという。現在は茶屋らしいものは見当たらない。


下りは快調である。しかし,走ったことが無い道路なので路面がどのようになっているのか想像がつかない、また、自動車が上ってくる可能性もあり、道が狭いので30kmくらいでゆっくりと下りていく。
少し下ると新道に合流する。下ってきた道,内山峠方向を振り返ってみた。


新道は路面が良いので,走りやすい。ただ,トラックなどの轍の跡もわずかにあるため,気を遣いながら下る。
下りは,体力を使わないので楽なのだが,風があたり寒い。
上りでかいた汗がインナーにしみこみ,乾かないうちに冷やされていくので,寒い。
途中で,意味も無くペダルを漕いでしまった。


内山峠の長野県側のふもと。このあたりが昔の内山村だろう。
天狗勢は,内山村で昼飯をとったという。


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