ぐるぐる自転車どこまでも

茨城県を自転車で散歩しながら,水戸藩の歴史について考え,たまにロングライドの大会に出場,旅する中年男の覚書

那珂湊を歩く

2019-01-13 09:10:04 | 徒歩
今回は、歩きです。

那珂湊の街を歩いてみました。
勝田駅から那珂湊駅までディーゼル車両に乗りました。ひたちなか海浜鉄道湊線です。
電化されていません。
一両編成です。
あっという間に那珂湊駅に着きました。
駅で記念に切符を買いました。
勝田駅から金上駅へ切符です。
買った、金運が上がるという意味です。
商売上手です。



駅から歩くと、面白い神社を見つけました。
勇稲荷神社です。
社殿がユニークです。
なぜこのような不思議な社殿が建てられたのかは謎です。
他の人のブログによると、設計者が勝手に?作ってしまったとかありますが、本当でしょうか。




街中を歩きながら那珂湊おさかな市場へ向かいました。
ほとんど人が歩いておらず、寂れたさみしい感じがしました。

市場へ着くと、観光客がたくさんで賑わっています。
ぶらぶら売られている魚を見ました。
新鮮で安そうです。







市場の後は、湊の公園に行きました。
高台にあり、眺めがよいです。
昔、ここには湊御殿がありました。
い賓閣跡です。
徳川光圀公の命により1698年に建築された光圀公の別荘です。
残念ながら、元治甲子の乱、天狗争乱のときに焼けてしまい、今は、かなり立派な松だけが残っていました。この松は樹齢300年を超えています。天然記念物です。






なぜ那珂湊に水戸藩が立派な御殿を建てたかというと、ここが舟運の拠点だったからです。
東方地方の物が船でここに運ばれてきたのです。
そして、那珂川上流に位置する水戸へ、あるいは涸沼川を通って江戸へと運ばれていたのです。

江戸時代は、物流のメインは舟運でしたが、その後、汽車、自動車へ変わりました。
それに伴い、那珂湊という街は取り残されていったということでしょうか。


そのあと、華蔵院へ行きました。
立派な真言宗のお寺ですが、やはり、幕末の天狗争乱のときにほとんど焼けてしまい、現在の建物はほとんど再建したものです。





華蔵院の後は、明治からの建物でお菓子を売っているお店に立ち寄りました。稲葉屋さんです。



反射炉の鉄砲飴です。
素朴な手づくり飴です。


面白い看板を見つけました。
御祈祷の看板です。
願い事が2つで、割引きされるということですね。なんだかバーゲンみたいです。




少し、歩いて、山上門、反射炉も訪ねてみました。
山上門は、水戸藩の小石川屋敷から運ばれたものだそうです。
昔、西郷さんが水戸藩の小石川屋敷を訪ねたときにこの門をくぐったのではないかと言われています。



反射炉は、幕末に斉昭公が大砲などを鋳造するために作らせたものです。
なぜ反射炉というかというと、炉の中が、鉄を溶かすときに熱を反射させる構造になっているからです。
この反射炉も幕末に焼けてしまい、現在あるのは実物大の模型です。



熱を反射するためには、耐熱性のレンガを焼かなければなりません。
レンガを焼く施設です。登り窯ふうですね。


那珂湊は小さな街なので、歩きでも十分に回れます。
いつも、自転車で回るのですが、たまに歩くのもよいと思いました。

水戸までは、那珂川沿いを歩いて帰りました。












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