戦中から戦後にかけて混乱と激動の時代に生きた、イタリア青年と娘の青春の軌跡を描いた1963年の作品でした。
ドイツと手を結んで連合国と戦っていたイタリアのフアッショ政府に、ゲリラとして抵抗を続けているブーベ(ジョージ・チャキリス)は、兄をフアッショに殺されたマーラ(クラウディア・カルディナーレ)と恋仲になります。
彼はフアッショ派の憲兵を殺したため国外に脱出しますが、それからマーラのところには何も連絡がありません。彼女は仕事などで親切にしてくれたステファンに惹かれていくのですが‥
ブーベはマーラを愛しながらも、マーラが期待する愛になかなか応えようとしません。ブーベのためらい‥それは彼には祖国解放と云う使命がありました。彼女を愛するが故に、彼女を幸せに出来る‥と云う保証がない戦時下の今は‥
これも彼の真実の気持ちであり、ある意味では一つの愛のかたちではなかったか‥とも思います。
平和が戻りましたがブーベは囚われの身になり、裁判で懲役十四年の判決を受け刑務所送りとなります。
この映画のラスト・シーンも駅でした。ブーベと面会のために駅へ来たマーラは、ホームで偶然にもステファンと出会います。彼女は明るく云いました。
「あと七年よ‥少し遅れた晩婚と思えばいいのよ‥」
彼女のこの言葉になにか救われたような気持ちになったのは私だけ‥だったでしょうか。(あと七年‥長いようでも月日はすぐに立つよ‥)と、私は二人を応援してやりたい気分になりました。
「ウェスト・サイド物語」で観たジョージ・チャキリスと、この映画のブーベとは少し変わったような気がした‥ゲリラにしては少しソフトな印象だったのだけれど‥これも「私だけ‥」だったのかな?
この作品も主題曲が映画を引き立てていました。映画の内容も題材は戦中から戦後の出来事になっていますが、ほのかな愛とロマンの香りが感じられて、なにかフランス映画みたいな感触になって来たように思いました。
これが長年にわたって「食わず嫌い」だったイタリア映画見直しの、きっかけになればいいがな‥と思います。
ドイツと手を結んで連合国と戦っていたイタリアのフアッショ政府に、ゲリラとして抵抗を続けているブーベ(ジョージ・チャキリス)は、兄をフアッショに殺されたマーラ(クラウディア・カルディナーレ)と恋仲になります。
彼はフアッショ派の憲兵を殺したため国外に脱出しますが、それからマーラのところには何も連絡がありません。彼女は仕事などで親切にしてくれたステファンに惹かれていくのですが‥
ブーベはマーラを愛しながらも、マーラが期待する愛になかなか応えようとしません。ブーベのためらい‥それは彼には祖国解放と云う使命がありました。彼女を愛するが故に、彼女を幸せに出来る‥と云う保証がない戦時下の今は‥
これも彼の真実の気持ちであり、ある意味では一つの愛のかたちではなかったか‥とも思います。
平和が戻りましたがブーベは囚われの身になり、裁判で懲役十四年の判決を受け刑務所送りとなります。
この映画のラスト・シーンも駅でした。ブーベと面会のために駅へ来たマーラは、ホームで偶然にもステファンと出会います。彼女は明るく云いました。
「あと七年よ‥少し遅れた晩婚と思えばいいのよ‥」
彼女のこの言葉になにか救われたような気持ちになったのは私だけ‥だったでしょうか。(あと七年‥長いようでも月日はすぐに立つよ‥)と、私は二人を応援してやりたい気分になりました。
「ウェスト・サイド物語」で観たジョージ・チャキリスと、この映画のブーベとは少し変わったような気がした‥ゲリラにしては少しソフトな印象だったのだけれど‥これも「私だけ‥」だったのかな?
この作品も主題曲が映画を引き立てていました。映画の内容も題材は戦中から戦後の出来事になっていますが、ほのかな愛とロマンの香りが感じられて、なにかフランス映画みたいな感触になって来たように思いました。
これが長年にわたって「食わず嫌い」だったイタリア映画見直しの、きっかけになればいいがな‥と思います。
フレンチ・タッチは、どこかで『哀愁』を意識したのでしょうか?。
シルヴァーナ・マンガーノヤジーナ・ロロブリジータなどは依然として、アレルギーですね。
有難うございました。