岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

米博物館・パートⅩ

2007-09-10 00:18:25 | 建見楽学


移築保存された際の改修点として良かったのは、こうした収納階段が取り付けられたこと。

かなり上るのが急でちょっと怖いが、上がると、めったに見られない屋根裏構造を目にすることが出来る。この仕掛けを知らない入館者も多いので、興味のある方は、是非担当の方にお願いしてみよう。

また、天井の照明器具や天井板、屋根瓦、あるいは土壁などもその時にリニューアルされている。

米博物館・パートⅧ

2007-09-10 00:08:06 | 建見楽学


窓の影絵、その二。

かつて、移築前の現役校舎だった頃には、この土間は三和土(たたき)土間だったように思ったが、ハテ・・・。
現在はコンクリート土間になっている。

米博物館・パートⅥ

2007-09-10 00:04:16 | 建見楽学


こちらが旧第一校舎、間柱が無い。

ここで“雑巾がけレース”が行われる。
「米博物館」の主体はこの建物で、各教室が展示室となっている。

現在、手前側(入り口からは一番奥の教室)の部屋では、宇和盆地から出土した埋蔵文化財の展示がされている。

米博物館・パートⅢ

2007-09-09 23:50:35 | 建見楽学


山すそから、視点を高くして眺めた旧第二校舎。

元々、この校舎と講堂は、大正期に坪ヶ谷(宇和町中町の山手、今の宇和聾学校)に建てられた建築物で、昭和初期に宇和町小学校を現在地に移転する際に移築利用され、昭和の終わりの保存運動を経て、平成になってからこの場所に再移築された。
解体されて産廃となる、現況のよくある公共建築物の末路に較べれば余程ましな保存活用だが、人間側の勝手都合で翻弄された建物たちでもある。

米博物館について。

2007-09-09 23:32:12 | 建見楽学


西予市宇和町の松葉城の麓、旧宇和町小学校を移築保存し衣替えした米博物館が建っている。

左がかつての講堂、正面が旧第一校舎、右側が旧第二校舎。
手前はトイレ棟。