岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

伊勢ゼミ  ②

2007-09-30 01:26:09 | 建見楽学


会場は、近鉄宇治山田駅前の伊勢市観光文化会館。

見ての通りのかつてのバブリーな建物だが、京都のナントカ会館が建てられた頃の影響下にあるという説明に納得。

ご報告

2007-09-21 22:17:51 | Weblog


先日、「全国町並みゼミ」という大会がお伊勢さんでありました。

 それはともかくですが、まずはコレを見てください。ご当地名物「伊勢うどん」。コリャたまげましたぁ真っ黒スッペの汁に四国の私は言葉無し

米博物館・パートⅩⅤ

2007-09-10 00:53:43 | 季節感


その藤棚の隣、山すその限られた場所を利用して、実験田が設けられている。あまり知られていないが、米博物館としては大事な場所で、百数十種にも及ぶ米が植えられている。

その世話も地道で、草取りや水管理など、知られざる担当職員の努力が垣間見られる。

米博物館・パートⅩⅢ

2007-09-10 00:43:44 | 建見楽学


講堂の傍らには、同じく二度の引越し(植え替え)を余儀なくされた大銀杏も。

しかも、旧宇和町小学校校舎保存運動の際には、あわや伐採の憂き目に遭う寸前だった。何とか保存署名運動で移植となったが、その移し替えの際には見るも哀れな姿だった。
根切りをしてコモで包み、枝という枝は全て切り落とし、幹だけの蝋燭のような形で植え替えられた。活着するかどうかは半々というところで、当時は随分心配したものだ。
現在の葉っぱは、移植後に芽吹いた枝によって覆われたもの。銀杏(ぎんなん)が成ったのは6、7年ほど経ってからだったろうか。それが愛媛新聞の記事に載った時、どれほど嬉しかったか。

太い幹に斜めの窪みが走っているが、これはかつての落雷の後だと、旧宇和町小卒のOBの方から伺った。従って、移植前のこの木は、銀杏にしては上が寸止めされたような、横にこんもりと枝を広げた形をしていた。

ともかく、坪ヶ谷にあった頃から二度移植され、色んな憂き目を見てきた木で、推定樹齢は約90年超。
この木を見ていると、勇気と元気が湧いてくる。


米博物館・パートⅩⅡ

2007-09-10 00:29:07 | 建見楽学


講堂内部の正面ステージ。

中央のオーダー様式の柱飾りのある扉には、戦時中における式典などでは、教育勅語やら御真影(ごしんえい・天皇陛下の写真)が鎮座ましましていたらしい。

“奉安殿(ほうあんでん)”自体は、校庭の開明ヶ丘にあったようだが、式典の際にはこちらに奉納された模様。