岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

明石寺、その十。

2007-06-21 11:04:12 | 建見楽学


地蔵堂正面を右手から見上げたところ。

籠彫り(かごぼり)状になった“手挟(たばさみ)”や、海老虹梁(えびこうりょう)と呼ばれる部分の美しい佇まい。

明石寺、その七。

2007-06-21 10:44:18 | 建見楽学


本堂に上がる前に、実は右手にこの地蔵堂があり、これがナカナカの建物。特に彫刻意匠が素晴らしい。
明治35年に起工、同42年に完成している。棟梁は伊方亀浦の清水太三郎と仙治郎の親子、やはり半島大工である。
(写真は昨年11月のもの)

明石寺、その三。

2007-06-21 09:27:25 | 建見楽学


山門(仁王門)を背面から見たところ。
この門と本堂は、石州瓦(赤瓦)が葺かれている。

いつもはお遍路さんが絶えず行き交う所なので、こうした静寂のワンカットを撮るのも容易くはない。

明石寺、その二。

2007-06-21 09:09:23 | 建見楽学


まずは山門。
明治29年に起工し、同34年に完成している。棟梁は伊方中浦の亀井千代治と川永田の宇都宮梅太郎。
旧宇和町誌よりも、伊方町誌の方の記載に詳しい。

佐田岬半島の大工は、昔から岬(三崎)大工とか半島大工とか呼ばれ、宇和盆地の建築文化を支えている。例えば、国重要文化財となっている開明学校(明治15年)の棟梁都築熊吉も三崎の出身だし、農家の棟札にも半島出身の大工の名が出てくる。

第43番札所明石寺

2007-06-21 07:46:50 | 建見楽学


このほど、西予市宇和町明石(あげいし)にある四国八十八箇所の第四十三番札所「明石寺(めいせきじ)」が、国の登録有形文化財に答申された。

これで県下では84件の登録選定が誕生することになるが、西予市では初の登録文化財である。

9件一括申請の物件それぞれを見てみよう。