東多田の町並みに大梅寺という臨済宗の寺院がある。
そこに掲げられた扁額に大書された「大梅寺」は、宇和島藩主伊達宗紀(むねただ)の書である。
幕末期の殿様で百歳まで長生きした春山(しゅんざん)侯の書。
その後を継いだ殿様宗城(むねなり)は、幕末の四賢候(しけんこう・四人の賢い殿様)と呼ばれた中の一人で、司馬遼太郎が小説にしている。
その中央政界で活躍する背景の藩財政の基を築いたのが春山侯だと言われる。
そこに掲げられた扁額に大書された「大梅寺」は、宇和島藩主伊達宗紀(むねただ)の書である。
幕末期の殿様で百歳まで長生きした春山(しゅんざん)侯の書。
その後を継いだ殿様宗城(むねなり)は、幕末の四賢候(しけんこう・四人の賢い殿様)と呼ばれた中の一人で、司馬遼太郎が小説にしている。
その中央政界で活躍する背景の藩財政の基を築いたのが春山侯だと言われる。