先日、神戸の六甲にのぼった。
といっても、正確には摩耶ケーブルに乗り、摩耶ロープウェイを経由して、摩耶山に上がった訳だから、六甲ではない。
ただ神戸の人には申し訳ないが、松山辺りから神戸を認識する程度は、街の背後の山は全て「六甲」だと思っている。今回、現地に行ってみて、初めて地理的な違いを理解した。阪神タイガースの「六甲おろし」のインパクトのせいか、摩耶山の概念が欠落しておりました。西側に摩耶山、その東に六甲山が連なっている。モチロン、かの甲子園は六甲山よりである。
この写真のケーブルカーは、味のある年代モノで、昭和30年製の躯体だから、ほぼ岡目八目の同級生感覚。それでも、30度に達しようかという全国有数の傾斜をたくましく登る姿は、思わず声援を送りたくなる。
元々、歴史のあるケーブルのようで、大正十四年に営業開始し、戦中戦後の休止期間を除き、昭和30年から再開されている。
ケーブルカーという特殊な鉄道は、別府の楽天地と香川の屋島くらいしか知らないが、全国的にはどうなんだろう。余談ながら、松山城のリフトは、スキー場以外では珍しいレアな施設なんだとか。
といっても、正確には摩耶ケーブルに乗り、摩耶ロープウェイを経由して、摩耶山に上がった訳だから、六甲ではない。
ただ神戸の人には申し訳ないが、松山辺りから神戸を認識する程度は、街の背後の山は全て「六甲」だと思っている。今回、現地に行ってみて、初めて地理的な違いを理解した。阪神タイガースの「六甲おろし」のインパクトのせいか、摩耶山の概念が欠落しておりました。西側に摩耶山、その東に六甲山が連なっている。モチロン、かの甲子園は六甲山よりである。
この写真のケーブルカーは、味のある年代モノで、昭和30年製の躯体だから、ほぼ岡目八目の同級生感覚。それでも、30度に達しようかという全国有数の傾斜をたくましく登る姿は、思わず声援を送りたくなる。
元々、歴史のあるケーブルのようで、大正十四年に営業開始し、戦中戦後の休止期間を除き、昭和30年から再開されている。
ケーブルカーという特殊な鉄道は、別府の楽天地と香川の屋島くらいしか知らないが、全国的にはどうなんだろう。余談ながら、松山城のリフトは、スキー場以外では珍しいレアな施設なんだとか。