2002年の学習指導要領改訂以来、中学校の各教科の教科書は、ご承知の通りさらに薄くなりました。
数学の図形では、それまで高校入試の証明問題の花形であった接弦定理や「円に内接する四角形」の定理がスッポリと消え去りました。
それ以来、証明問題に関しては、出題する方もかなり苦労しているのがわかります。
高校入試のレベルに耐え得るような問題を作ろうにも、「円」関係で使える定理は円周角、中心角に関するものだけで、せいぜいそれに平行線の同位角、錯角や三平方の定理を絡めるくらいしかできません。
当然の結果として、今の証明問題は入試でも定期テストでも、以前より数段易しくなっていると言えます。
簡単でしかも配点が高いのですから、これを見逃す手はありませんが、生徒は驚くほどに証明が苦手です。
サービス問題と思える初歩の証明でも、全くの白紙か、1行目からおかしな答案のオン・パレード....。
証明は初めから捨てている子も多く、もったいない限りです。
ひとり一人に確認してみると、証明のルールがわかっていないだけという軽傷の子もいますが、大半はそもそも証明って何なのか、何のために証明するのか、その意義と目的からよくわかっていないようです。
証明は民主主義の前提という言葉を聞いたことがあります。
ボスが言ったことに対して誰もが「その通り」と従う社会には証明は必要ありません。
「なぜだ?」と問いかけ、納得行く答が得られるまで質問を繰り返す。
一言で説得できる(証明終わり)場合もあるし、質問と説明が延々と続く場合もある。
説得できなければ(証明失敗)ボスの負け....。
これが民主主義の原点だという話でした。
確かにそうですね。絶対主義なら証明はいりません....。
ということは、民主主義を守るためにも証明に強い子を育てなければ....。
考えてみれば、中学生でも日々の暮らしの中で、今までにたくさんの証明問題を解いているはずです。
何も「仮定」や「結論」「定義」「定理」などの用語から入らなくても、いきなり三角形の合同から始めなくても、証明の考え方自体をわからせることは可能です。
たとえばケーキを食べた犯人を捜すには証拠が必要です。
状況証拠でも説得の技術があれば証明できるでしょう。
定番の三段論法は証明そのものだし、算数や数学の計算だってそういう部分はあります。
三角形の底辺が10,高さが6のときは「三角形の面積=底辺×高さ÷2」という定理を使って30という面積を出しますね。
a=4,b=2のときab=8になることを証明するには、「abはa×bのことである」と「4×2は8である」という2つの定理を使えばいいわけです。
そう考えると、パズルやクイズまで含めて、いろいろな題材が証明の導入に使えそうです。
証明は論理的思考力や正確な文章表現力をつけるためにも理想的!
さっそく証明入門の独自教材を作ってみることにします。
最終的に開発したいと思っている「考え方の練習」教材にも流用できそうなので楽しみです。
※応援してくださる方はクリック(↓)をお願いします!
数学の図形では、それまで高校入試の証明問題の花形であった接弦定理や「円に内接する四角形」の定理がスッポリと消え去りました。
それ以来、証明問題に関しては、出題する方もかなり苦労しているのがわかります。
高校入試のレベルに耐え得るような問題を作ろうにも、「円」関係で使える定理は円周角、中心角に関するものだけで、せいぜいそれに平行線の同位角、錯角や三平方の定理を絡めるくらいしかできません。
当然の結果として、今の証明問題は入試でも定期テストでも、以前より数段易しくなっていると言えます。
簡単でしかも配点が高いのですから、これを見逃す手はありませんが、生徒は驚くほどに証明が苦手です。
サービス問題と思える初歩の証明でも、全くの白紙か、1行目からおかしな答案のオン・パレード....。
証明は初めから捨てている子も多く、もったいない限りです。
ひとり一人に確認してみると、証明のルールがわかっていないだけという軽傷の子もいますが、大半はそもそも証明って何なのか、何のために証明するのか、その意義と目的からよくわかっていないようです。
証明は民主主義の前提という言葉を聞いたことがあります。
ボスが言ったことに対して誰もが「その通り」と従う社会には証明は必要ありません。
「なぜだ?」と問いかけ、納得行く答が得られるまで質問を繰り返す。
一言で説得できる(証明終わり)場合もあるし、質問と説明が延々と続く場合もある。
説得できなければ(証明失敗)ボスの負け....。
これが民主主義の原点だという話でした。
確かにそうですね。絶対主義なら証明はいりません....。
ということは、民主主義を守るためにも証明に強い子を育てなければ....。
考えてみれば、中学生でも日々の暮らしの中で、今までにたくさんの証明問題を解いているはずです。
何も「仮定」や「結論」「定義」「定理」などの用語から入らなくても、いきなり三角形の合同から始めなくても、証明の考え方自体をわからせることは可能です。
たとえばケーキを食べた犯人を捜すには証拠が必要です。
状況証拠でも説得の技術があれば証明できるでしょう。
定番の三段論法は証明そのものだし、算数や数学の計算だってそういう部分はあります。
三角形の底辺が10,高さが6のときは「三角形の面積=底辺×高さ÷2」という定理を使って30という面積を出しますね。
a=4,b=2のときab=8になることを証明するには、「abはa×bのことである」と「4×2は8である」という2つの定理を使えばいいわけです。
そう考えると、パズルやクイズまで含めて、いろいろな題材が証明の導入に使えそうです。
証明は論理的思考力や正確な文章表現力をつけるためにも理想的!
さっそく証明入門の独自教材を作ってみることにします。
最終的に開発したいと思っている「考え方の練習」教材にも流用できそうなので楽しみです。
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証明問題をいっぱい解いてると、数学に限らず「~は……である」なんて断言する人がいたとき、本当にそう言い切れるかどうか、反例を探す癖がつきます。(あんまりそれを口にすると嫌われちゃいますが)
ところで今思い出したのですが、小学校低学年のころ出された問題文は「~をかきましょう」だったのに、学年が上がると「書きなさい」になり、やがて(中学だったか高校だったか)「書け」になりますね。私は子供の頃、年上の従兄弟の使っている問題集に「書け」と書いてあるのをみて「なんて乱暴な命令なんだろう!」とびっくりしたことがあります。
orbitsです。
証明問題本当に困っています。
>証明入門の独自教材を作ってみることにします。
最終的に開発したいと思っている「考え方の練習」教材にも流用できそうなので楽しみです。
これ、欲しいですね、証明の独自教材も『考え方の練習』教材も。是非、勉強させていただきたいです。よろしくお願いします。
嫁の知り合いで中学生の子がいます。
勉強を教えて欲しいと言われ、夏休みの宿題が残っているらしく、つい最近教えました。
そのとき持参してもらった教科書をめくってみてビックリ!
私の頃とだいたいの流れは同じですが、詳細なところはすべて「こーなります」といわんばかりに答えづけられていました。
なんじゃこりゃ?これでは辞書ではないか!
率直にショックを受けました。
「かきましょう」→「書きなさい」→「書け」については、私も同じことを思ったものです。何なんでしょうね、あの言葉遣いは...。「書け」は、いかにも「上の立場から教えてやっている」という感じがして馴染めません。自作教材では「書きなさい」がほとんどで、たまに「書いてください」もありますね...。
証明が苦手な子って、ふつうの教材では初めから???なんだと思うのです。だから専門用語を使わない身近なレベルから入れないかと....。現在試行錯誤中です。また途中経過報告します。
教科書=辞書説、的確な例えだと思います。アメリカの教科書など見ると、絶対結論は書いてありませんね。「考えてみましょう」の段階までで終わっています。教科書って本来そういうものだと思うのですが....。いきなり解法があっては考えようとしませんよね....。
そうなんです。まさにこのブログのタイトルの目指すところが証明問題の中にあるのです。英語のproofには「耐えるようにする」という意味ももあるそうで、他の人からの攻撃に耐え得るだけの論理を組み上げるのが証明なんですね。とりあえず、たたき台の教材を作ってみます。