「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『神の意志の忖度に発す』

2007年02月01日 | Science
『神の意志の忖度に発す』(村上陽一郎、豊田有恒・著、朝日出版社)
  本書は村上陽一郎さんと豊田有恒さんとの科学史に関する対談録である。対談といっても、科学史の専門家である村上さんがSF作家である豊田さんに講義をするかたちになっている。もともと科学史に興味があったので、村上さんにはもちろん関心があった。豊田さんのSF自体はあまり読まなかったが、医学部をドロップアウトしてSF作家になったという経歴には少なからず関心があった。そんなお二人に対する興味関心からこの本を買ったのだと思う。本書のあとづけを見ると、もう20年以上前のことだ。
  ところで、買ったのはいいが、「忖度」という漢字が読めなかった。読めないから意味もわからなかった。だから、タイトルの意味するところもよくわからなかった。辞典で読み方と意味を調べ、そして本書を読んで腑に落ちた。「忖度」の辞書的な意味だけではなく、この本に書かれている科学の歴史における「忖度」の意味付けが理解できたように思った。そのことで、通常の「発明発見物語」や「勝利者史観」(たとえば、ニュートンの万有引力の発見によって科学は進歩した、といった見方)とは異なる科学史の見方を教えられ、ひじょうに新鮮に感じた。
  科学というものが、黄門様の印籠のように感じることがある。印籠の前では皆がひれ伏してしまう。科学的だと言われれば、誰もが反論できなくなる。ところが、黄門様のドラマは勧善懲悪を前提としてストーリーが組み立てられているけれども、現実の世界はそれほど単純ではない。実は黄門様自体が悪役的な存在だったりするのである。そういうと科学技術による環境破壊のことなどを思い浮かべがちだが、人が科学的データに踊らされている実態のほうが、むしろ専制君主的な黄門様のイメージに近いような気がする。そこまでいわなくとも、黄門様の判断が必ずしも正解や妥当とはかぎらないということだ。たとえば、病気になれば病院へ行き、ふつうは西洋医学的(科学的)な治療を受ける。しかし、西洋医学的な治療で直らなくとも、漢方で直る場合もある。漢方を西洋医学的に解明しようとする動きもあるが、漢方は基本的に西洋医学とは異なる立場にあるものだ。漢方と西洋医学とでは、各々のよって立つ文化が異なっているといえるだろう。
  いま「西洋医学的(科学的)」と書いたが、われわれがふつう「科学」と呼んでいるものは、実はキリスト教的な世界観に基づいている。キリスト教では、人間は神の被造物であり、理性を与えられた存在である。一方で、この世界(自然)は神が創造したものであり、そこには神の意志が反映しているはずである。人間はその理性でもって自然を探求し、そこに神の意志を読み取ろうとする。その営みこそが科学なのである。すなわち「科学」は「神の意志の忖度に発す」るのである。そのように捉えると、科学もまた世界を解釈する一つの方法、あるいは世界観や知の体系の一つにすぎないことに気づかされる。中国にはヨーロッパとは異なる知の体系があり、その反映として漢方がある。「科学」は「サイエンス」の訳語として当てられた言葉だが、「科学」の「科」が「一つの分野、分化したもの」といった意味であることを知ったのも、本書によってだった。結局のところ、科学の「エスノメソドロジー(民族方法論)」的な捉え方ということに集約されるだろうが、これは従来の科学観とは180度ちがうように感じられた。
  天気予報では、科学的な気象情報よりも土地のお年寄りの「観天望気」のほうが当たることがしばしばある。それは、天気予報の科学的な解明がまだ不完全だからだと考えることもできるだろう。そう考えれば、土地の人たちの知恵もいずれは科学的な知識となっていくのかもしれない。しかし、そうすることで、その土地に特有な世界観が抜け落ちていくように感じられる。いまや科学は全世界的に“絶対的”な権威をもっているように思われる。それは科学が科学技術を生み出し、現在の世界や世界観を築く上で有効であったからにほかならない。しかし、その源流を探れば、科学がけっして“絶対的”ではないことにも気づかされる。本書は、革新的ともいえる科学観を自分の内に構築するきっかけを与えてくれた重要な本である。そのためか、「忖度」という言葉を見聞きするたびに、村上陽一郎さんのお名前や科学史のことが、いまだに反射的に思い浮かんでくる。
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