「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

幻影がもたらした悲劇―『原子の力を解放せよ』

2022年01月01日 | Science
☆『原子の力を解放せよ』(浜野高宏・新田義貴・海南友子・著、集英社新書、2021年)☆

  きっかけは一昨年(2020年)夏にNHKで放送された『特集ドラマ 太陽の子』を見たことだった。このドラマは昨年(2021年)同じ出演者、同じタイトルで映画化され全国公開された。わたしは映画の方を見ていないが、ネットで検索してみると、結末が若干ちがうとも書かれいるが、どちらもメインテーマやあらすじは変わりないようである。もともと映画として公開されるように制作された作品を、ドラマ用に若干編集して、映画公開の一年前にドラマとして放送されたのかもしれない。
  メインテーマは、太平洋戦争の前後、日本で原爆開発が行われていたのか、その問いに答えることにある。NHK取材班は答えを求めて綿密な調査を開始し、その過程で別の実として結んだのがドラマ(映画)である。ドラマでは「原爆開発」(正確には「F研究」)に関わった若い研究者たちの葛藤が描かれている。しかし、本書はドラマのあらすじを紹介するものではなく、取材の結果、明らかになった日本の原爆開発の真相と、それに関わった研究者たちの葛藤を通して、科学の原罪に迫ったノンフィクションである。
  日本の原爆開発と言えば、日本陸軍と著名な物理学者であった仁科芳雄(理化学研究所所属)が関わった「ニ号研究」がよく知られている。しかし、本書はもう一つの原爆開発である「F研究」に焦点が当てられている。「ニ号研究」は陸軍が主導したが、「F研究」は海軍が主導した軍事研究であり、その中心的な役割を果たしたとされる物理学者が荒勝文策(京都帝国大学理学部所属)である。
  「ニ号研究」や仁科芳雄と比べれば、「F研究」や荒勝文策の名前はあまりにも知られていないのではないだろうか。わたし自身も「F研究」や荒勝文策については、どこかで聞いたことがあるような、ないようなといった有様で、本書を読んで初めてその存在を認識した次第である。
  荒勝と同じく京大物理学科出身の湯川秀樹は、戦後まもなく日本人初のノーベル賞に輝いたこともあって、あまりにも有名だが、いま荒勝文策の名前を知る人はごく僅かに過ぎないだろう。しかし、本書によると、当時すでに原子核物理学の実験分野では著名な研究者だったという。湯川の専門は理論物理学であって、荒勝とは対照的であるが、湯川もまた「F研究」に関わりを持っていた。基礎的な理論物理が専門であった湯川が「F研究」に関わったいきさつと、戦後なぜ湯川が平和運動に向かったのか、その点についても本書ではかなり詳しく触れられている。
  荒勝は京大に招聘される前、当時日本の植民地下にあった台湾(旧台北帝国大学)でコッククロフト・ウォルトン型の加速器を建設し、アジア初の人工核変換に成功していた。そしてさらに、京大に移ってからも、本格的なサイクロトロンの建設に取りかかっていたという。荒勝は、「原子の力を解放」することで、人類がいわば無限のエネルギーを手に入れることを夢見ていたのだろう。
  ところが、時あたかも第二次世界大戦(太平洋戦争)の時代であり、ヒトラーが率いるドイツの原爆開発に対して疑念を抱いていたアメリカなどは、日本の荒勝たちの研究成果や動静にも注目していたようである。太平洋戦争の終戦からわずか数ヶ月後、京大で建造中であったサイクロトロンはGHQによって破壊された。荒勝はアメリカ軍将校に、サイクロトロンを軍事的に利用するつもりなどないことを説明したが、無駄だった。荒勝の落胆と心中を察すると、こころが痛む。
  そもそも荒勝は「F研究」に積極的に関わったわけではなかった。それは学術的な研究を続けるための方便のようなものであったように思う。海軍から研究に対する援助を受けていたことも協力せざるを得なかった理由の一つだったという。軍事研究の名目で若い研究者たちが徴兵の免除を受ける可能性を探る思惑もあったらしい。ところが、原爆投下によって「F研究」は終結し、原子核を研究していた荒勝に衝撃を与えた。広島での原爆投下直後、調査にも赴いている。しかし、だからといって、荒勝が軍事研究である「F研究」の責任者であった責任から逃れることはできない。
  近年、政府によって防衛(軍事)分野への応用につながる研究に予算をつけて、研究の課題を募る動きがある。日本学術会議会員の任命拒否問題も、こういった動きと無関係ではないように思える。このような現状を見ていると、優れた研究者であった荒勝文策のような悲劇を繰り返してはならないと強く思う。軍事研究云々は脇に置くとしても、科学技術の振興は基礎的な分野を蔑ろにして、実用的な分野に集中する傾向が見える。予算獲得に血道を上げるだけでなく、基礎研究の重要性を国民に対していかに説いていくか、研究者はこのことも真剣に考えてほしいと思う。そして、基礎研究であっても悪用される可能性があることを常に留意すべきである。
  結局、日本の「原爆開発」は研究段階のレベルに留まっていて、実現までの道のりは遠かったようである。それにもかかわらず、アメリカは二度も原爆を投下し、戦後サイクロトロンの破壊という愚挙を犯した。「原爆」という幻影に怯えていたのだろう。荒勝の悲劇は「幻影」が招いたと言っては言い過ぎだろうか。
  その後も「大量破壊兵器を保有している」という名目でイラク戦争へと突入していったのは、今世紀に入ってからのことである。もちろん「大量破壊兵器」は実在しなかったとされている。戦端は、幻影に対する怯えによって開かれることも少なくないにちがいない。それはいま「敵基地攻撃能力」云々という議論にも当てはまるように思える。日本の周辺環境の脅威に対して熱い議論を闘わすだけでなく、いま一度、冷静な議論を求めたいと思う。

  


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