「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

計算で見る星空―『星の古記録』

2012年07月21日 | Science
☆『星の古記録』(斉藤国治・著、岩波新書)☆

  史料として残っている天文現象を軌道計算などの手法を用いて検証する学問を古天文学という。斉藤国治さんは古天文学分野の代表的研究者であり、本書は一般の人たちを豊富なエピソードで古天文学へと誘ってくれる良書といえる。具体的な計算や数式は出てこない。『メロスが見た星』の元ネタ本の一つでもあり、たとえば『明月記』の客星(彗星や新星を意味する)については、一章を割いてより詳しく説明されている。
  もっとも『メロスが見た星』は文学的な味わいに特徴があったのに対して、本書では科学的あるいは歴史的な実証性の立場が貫かれているといえそうだ。その裏付けの中心が天文学的な計算にあるわけだが、相当量の緻密な計算が必要だったのではないかと想像すると、計算嫌いの人間としては少々気が遠くなりそうである。もちろん、文学的な世界の先に星空を眺めるのが好きな人もいれば、計算による検証で過去の星空を再現することにこころ躍らせる人もいるにちがいない。星空の見かたにもいろいろあっていい。
  どのエピソードも興味深く、「シリウスはむかし赤かったか」のように、ときには謎解きのおもしろさも味あわせてくれるのだが、明治に入ってからの金星の日面通過観測と日食時のコロナ観測の話にもっとも驚かされた。明治といっても、前者はまだ明治一桁のころ、後者も明治二十年のことだから、近代科学が導入されて日の浅い時代である。
  たしか『日本の天文学』(中山茂・著、岩波新書)でも、この話題について簡単にふれられていたように思うが、これほどまでに大々的に国際的な協力の下で行われた観測だとは知らなかった。また、日本人が撮ったコロナの写真がイギリス王立天文協会の紀要に掲載され、別の日本人が描いた皆既日食のスケッチが当時の「ネイチャー」に載ったという。この二つは古天文学の範疇からはずれて、むしろ日本の近代天文学史の話題というべきだろうが、西洋(近代)天文学の対する明治の日本人の気概が感じられるエピソードである。

  

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