「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

詩情で見る星空―『メロスが見た星』

2012年07月15日 | Science
☆『メロスが見た星』(名博・えびなみつる・著、祥伝社新書)☆

  星を見るのに望遠鏡はいらない。
  天文に興味を持ち始めると、たいていの人は天体望遠鏡がほしくなってくる。たしかに天体望遠鏡で月のクレーターや土星の輪を見ると、肉眼では見えないものなので感激はひとしおである。ところが、天体写真集を飾っている色鮮やかな星雲、銀河のみごとな渦巻き構造、画面いっぱいに広がる彗星の尾や惑星の表面など、ふつうの小型望遠鏡ではよく見えないことがわかってくると、どうしても気持ちは落胆へと向かってしまう。
  そんなときは、アイピースから目を離し、肉眼で静かに星空を仰ぎ見てみるのがいい。そこには、ガリレオが星界に望遠鏡を向けるまで、世界中の誰もが自らの目や五感で眺めていた宇宙が、無限の広がりを持ち、悠久の時の流れにのって迫ってくるのが実感できるにちがいない。
  本書は、専門家の目ではなく、小説や詩歌などの文学作品を題材として、いわば詩情を通して見た星空案内の書である。著者の二人は兄弟で、子どもの頃からの天文ファン。「文学編」を書いた兄は都立高校の国語教師が本職であり、「星空案内」を書き掲載写真を撮った弟は漫画家が本職とのこと。「文学編」での作品鑑賞と「星空案内」での天文(天体観測)知識とは見事なコンビネーションぶりを発揮している。
  中学高校のころ、「古文」ほど嫌いで苦手な科目はなかった(ちなみに「現代文」は嫌いではなく、どちらかといえば得意だった)。だから、いまでも古文の知識などないに等しい。さすがに『枕草子』の「星は昴」くらいは知っているものの、『更級日記』や『建礼門院右京大夫集』など、日本の古典文学にも星について書かれたものが少なくないことを初めて知った。それだけでも大きな収穫だったといえそうだ。
  「星の入試問題」など国語教師ならではの遊び心も感じられる。肩の凝らない読み物ではあるが、望遠鏡を持たない天文ファンのみならず、望遠鏡を持っている天文ファンもいちど望遠鏡をそばにおき、初心に帰って星空に詩情を感じるみるための良いガイドになるように思う。

  

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