「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

意義ある「すれちがい」対談―『科学を語るとはどういうことか』:「ブクログ」より移行

2020年06月04日 | Science
☆『科学を語るとはどういうことか』(須藤靖・伊勢田哲治・著、河出書房新社)☆

  数年前に購入しツンドク状態だったものを読了。
  科学哲学について科学者(物理学者)と哲学者(科学哲学者)との対談をまとめた本である。これまで科学哲学に関する本は何冊か読んできたが、そのどれとも異なる印象を受けた。対談本だからということもあるだろうが、科学哲学という学問そのものを、深いところで問い直しているように思える。妥当な表現かどうかわからないが、「科学哲学」を哲学しているような感じだろうか。
  須藤さんは宇宙物理学者として著名な方である。宇宙を研究対象としているからだろうか、一般的な(これまた妥当な表現かどうかわからないが)物理学者よりも哲学(とくに科学哲学)に対して期待感を持っているため、逆に現在でも古色蒼然とした(物理学者から見て)議論を続けている科学哲学に不信感を抱き、科学哲学の存在意義をも疑問に感じてるようである。科学者(とくに物理学者、あるいは物理学に親近感を抱く人)は須藤さんのツッコミにほぼ同意するのではないかと思う。
  対する伊勢田さんは、一見すると防戦しているように見えるが、須藤さんの疑問を真摯に受け止め、非常に丁寧に対応することで、より深い問いへと導こうとしてるように思える。正直なところ、哲学者というのはここまで深くかつ広く問いを極めようとするものなのか、と驚かされた。
  お二人の対談は結局すれちがったままで終わるが、各々得るものはあったようである。少々科学哲学のテキストを読んできた一読者としては、テキストからは得られない「科学哲学」像が感じられた本であった。
  最後に伊勢田さんも書いているが、本書は「科学哲学全体のバランスのとれた解説書」ではないことに注意すべきだろう。「科学する」ことを問うのが一般的な科学哲学のイメージだとすれば、本書はタイトルのように「科学を語る」ことを問うているのだから。誤解を招きやすいタイトルと言えなくもない。

  


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