エスペラント原作小説の大作、本の形では592ページになる。William Auld による Baza legolisto de la originala Esperanto-literaturo に入っているが、すでに絶版になっていて再版の見込みもなさそうである。ところがデジタル版が出ていて楽天で買うことが出来た。
作者の John Francis(1924-2012) はスコットランドの詩人・作家。若い頃に会ったウィリアム・オールドの影響でエスペランチストになり、のちにオールドらとともにスコットランドの4人の詩人(Kvaropo)の一人となる。
この長大な小説は戦争下における人間の生活、戦争への関わり方、逆に戦争が人間に与える影響などを描いているが、やや読みにくい面がある。
それぞれに独立した沢山のエピソードを交えながら、第一次世界大戦と第二次世界大戦の時代が交互に語られる。時代を決めるヒントは出されているが、当時のヨーロッパ、とくにイギリスについて詳しくないと、どちらの時代を描いているのかが分かりにくい。これは結局は5人の主要登場人物でわかるのだが、周辺の人々も多く、その人間関係も初めのうちは分かりにくい。この点については、Sten Johansson の書評がネット上にあるのであらかじめ読んでおくとよい。私はこれに気づくのが遅かったので少々苦労して読んだ。
普通の人間の目を通して世界を見ているので、描かれている世界が狭くて全体像が分かりにくい。このあたりは2つの大戦のヨーロッパ戦線について、必要に応じて調べながら読んだ。
主人公の一人 Donard を少し追ってみよう。
彼は音楽好きで情熱的な恋多き青年である。親友の Bob は祖国防衛戦争に出征するが、彼は良心的兵役拒否を選び、そのために職場で孤立して辞めざるを得なくなる。法定で自分の意志で兵役拒否を選んだことを証言させられる。彼の政治的背景(社会主義者とのつながりなど)を執拗に追求する司法官とのやりとりはこの小説の一つのハイライトである。家族・親戚の人たちの中にも戦争に出ていった人たちがいる。国全体が「祖国防衛・反ファシズム」に沸き立っているとき、彼の立場は微妙にならざるを得ない。自分の信念を貫きながら、人生をどう作っていくのか、苦悩ともがきは続く。そんなとき、負傷して障害者になって帰ってきた Bob とは、お互いに完全にはわかり合えないながらも、変わらぬ友情を確かめ合う。読む者をほっとさせる場面である。
文学者は単語をいろんな使い方をする。易しい単語をあまり使わない単語に置き換えるだけではあまり面白くないが、単語の可能性を広げる使い方に出会うのは楽しい。ただし、その特別なニュアンスが無くなってしまうのであまり多用してはならない。Regulus からいくつか変わった使い方の単語を適当に拾ってみた。
まず、いわゆる語尾なし単語に語尾をつけて使う用例がかなりあった。
kvankame
ankauxa
tamena
tieo
la pordo meme malfermigxis
kialigi
tiamigxi
ambauxope
その他のちょっと目に止まった用例をいくつかあげてみる。見慣れない単語もあるが、辞書には載っている。
ridetanta de unu orelo al la alia
mefite odoris
posttagmezmeze
momentis silento
en la tempo de salivgluto
li estis bobenita kiel kolbaso:Galvin が誘拐される瞬間。
Staren!:立て!
tial... retial...
je tuja nuneco
(vino) jam estis transujigxinta. De flakono al stomako...:trans-uj-igx-int-a
malsxtopi botelon(飲み干す)
la menso piroteknike funkciis
io najpas en la masxino:身代金を用意したのに誘拐者たちが動かない。何か彼らに異変が起きたのか?
forpeli piedalpuge:蹴飛ばして追い払う
kun kiu sauxco ili estas mangxitaj:どういう状況にあるのか
しばらくぶりの読書ノートは「アルセーヌ・ルパン」である。これも「ドリトル先生」と同じく Literaturo en Esperanto で見つけた。2018年に翻訳されたとある。
ルパンシリーズも私の好きな本の1つである。シャーロック・ホームズに比べるとルパンはより人間的で読んでいて楽しい。若い時に日本語訳を古本で少しずつ集め、ひととおり揃えてある。いつかまた読み直したいと思っていたところに、1冊だけとはいえ、エスペラント訳を見つけてうれしい思いである。
読書ノートは「ドリトル先生航海記」である。これは、最近出来たネット上の図書館 Literaturo en Esperanto でダウンロードしたものである。この図書館には様々な分野のエスペラント文献が1000以上 PDF で保存されていて、誰でもダウンロードして読める。原作文学はもちろん、トールキンの「指輪物語」なども読める。文学だけでなく雑誌や音の本もある。分野別に整理してあるが、一覧表にしたり検索するような機能は見当たらなかった。
「ドリトル先生航海記」は「Infano:子供向け」のところで見つけた。中学生の頃だったか、この本に出会ってすっかり魅せられてしまい、その後全巻を揃えて読んだ。もともとが子供向けの本なのでエスペラント訳にも「文学的な」ややこしい表現がほとんどなく、スラスラ読める。320ページほどになるが、原作(英語)版と同じページ構成で、挿し絵も同じ位置に入れてあるという。
作者はイギリス出身でアメリカで活躍した児童文学・絵本作家、ヒュー・ロフティング(1886 - 1947)である。ドリトル先生シリーズは1920年の「ドリトル先生アフリカゆき」が最初で、「航海記」は2作目になる。ストーリーの順序では第4作「サーカス」や第6作「キャラバン」よりもあとになる。
主人公のドリトル先生は動物の話が出来る自然科学者・医師である。第一次世界大戦に従軍していたロフティングが、負傷した馬が治療も受けずに銃殺されるのに心を痛め、自分の子供に送る手紙に動物と話の出来る医師の話を書いたのが原型となった。ドリトル先生のモデルはその子供の一人という。
エスペラントは易しくて読みやすいが、見慣れない単語がいくらか使われている。sob, hide, pigra, povra, morna といった「雅語」である。forde という語が出てくるが、for de のミスプリントでなければ、これも新しい合成語だと思う。fadantaj cindroj de la fajro の fadi も見慣れない(cindro は複数で使うのだろうか?)。
この本はターニャについてだけ書いた本ではない。副題にも「Vivo en Rusio 1917-2017」とあるが、この通りに住んでいた人たちの話を織り交ぜながら近代100年間のロシアの歴史を描いたドキュメンタリーである。おもな事件や歴史的転換点で章を区切っているが、連続する歴史を様々な観点から描いている。例えばスターリンの圧政時代にどのように人が消えていったかといったことなどから、テレビや冷蔵庫・洗濯機などがどのように普及していったかといったことまで。
各章のタイトルを次に書いておく。
La tago de la revolucio:革命の日
1917. La kolapso:虚脱
1927. Pasxo reen:後戻り
1937. La granda teroro:恐怖政治
1942. La siegxo:包囲
1957. Sputniko:スプートニク
1967. La iama bona tempo:かつてのよき日々
1979. Afganio:アフガニスタン
1987. Perestrojko:ペレストイカ
1998. La bankroto:破産
2007. La bona nova tempo:新しいよき時代
2017. Pasis cent jaroj:100年が過ぎた
Noto de la auxtoro:著者のノート
1幕2場:Frailty, thy name is woman.
「弱気ものよ、汝の名は女なり」が有名だが、これは坪内逍遙の誤訳で、後に次のように改訳している。
坪内逍遙訳:あゝ、脆きものよ、女とは汝が字(あざな)ぢゃ
Zamenhof:Malforto! via nom' estas : virino!
Newell:Malforto, ≪Virino≫ oni nomu vin!
3幕1場:To be or not to be, that is the question.
「(復讐を)すべきかすべきでないか」ともとれるが、近年の訳では「生きるべきか死ぬべきか」という訳が多い(Wikipedia)。
坪内逍遙訳:世にある、世にあらぬ、それが疑問ぢゃ
Zamenhof:Cxu esti aux ne esti, - tiel staras / Nun la demando
Newell:Cxu esti, aux ne esti: jen demando / Kiu plej gravas
3幕1場:Get thee to a nunnery.
「尼寺へ行け」なのか「売春婦になれ」なのか。
坪内逍遙訳:こりゃ、寺へ往きや、寺へ。
Zamenhof:Iru en monahxejon!
Newell:Iru en monahxinejon!
最後に5幕2場から、とくに解釈に問題があるところではないが、訳を比較してみる。
If it be now, 'tis not to come; If it be not to come, it will be now; If it be not now, yet it will come: the readiness is all
坪内逍遙訳:今来れば後には来ず、後にこずば今来う、よし今は来ずとも、いつかは一度来うによって、何事も覚悟が第一ぢゃ。
Zamenhof:Se gxi farigxos nun, gxi ne farigxos poste ; se gxi ne farigxos poste, gxi farigxos nun ; se gxi ne farigxos nun, gxi devas ja jam farigxi en estonteco. Oni devas cxiam esti preta.
Newell:Se gxi okazos nun, gxi ne okazos poste; se gxi ne okazos poste, do gxi okazos nun; se gxi ne okazos nun, tamen iam gxi nepre okazos - sole la preteco gravas.
「Kredu min sinjorino」の Cezaro Rossetti (1901–1950) の弟 Reto Rossetti (1909 – 1994) の短編集である。Auld の Baza legolisto de la originala Esperanto-literaturo にあり、最近 UEA から取り寄せた本の一冊である。220ページほどで、13編の短編と2編の中編探偵小説が収められている。
きれいなエスペラントでとくに読みにくくはないのだが、中にはなじみのない単語がたくさん使われている作品もある。ちょっとだけ拾ってみると、nimbi, tobogani, spoko, ambri, aspra, ... 巻末に難解単語の説明が3ページに渡って掲載されているが、例示した単語はその中にはないものである。巻末には使われた感嘆詞の一覧もある。
もちろん気の利いた表現もたくさん出てくる(以下、私の文学的でない訳語を添える)。
mis-gravitantaj pensoj:誤った方向に引き寄せられた考え
enmurita:壁に囲まれた
la prezo ne tiel loge-oferita kiel mi esperis:期待したほどの値引きではなかった
gxis-saluto:さようならのあいさつ
sur la arbo sxauxmis la juna verdo:木には泡立つような若芽が覆っていた
faris el muso elefanton:針小棒大
ne ekzistas terno sen nazo:火のないところに煙は立たぬ
冒頭の短編「Ho! Egoismo」では様々なののしり言葉が使われている。
lutita nuko!・・・あとも見ずに突っ走る相手に(次も同じ)
cxu la nazo farigxis kompasnadlo, ke ne eblas gxin turni?
azeno, porko, ermito, diablo
protokreteno・・・proto- は unua, cxefa を意味する接頭辞(巻末解説)
kio vin akaparis?
arkiazeno・・・arki- は cxef を意味する接頭辞
herbokrajono