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エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて28年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

巨大な大なべ

2020-08-09 | 読書ノート


 エスペラント原作小説の大作、本の形では592ページになる。William Auld による Baza legolisto de la originala Esperanto-literaturo に入っているが、すでに絶版になっていて再版の見込みもなさそうである。ところがデジタル版が出ていて楽天で買うことが出来た。

 作者の John Francis(1924-2012) はスコットランドの詩人・作家。若い頃に会ったウィリアム・オールドの影響でエスペランチストになり、のちにオールドらとともにスコットランドの4人の詩人(Kvaropo)の一人となる。
 この長大な小説は戦争下における人間の生活、戦争への関わり方、逆に戦争が人間に与える影響などを描いているが、やや読みにくい面がある。
 それぞれに独立した沢山のエピソードを交えながら、第一次世界大戦と第二次世界大戦の時代が交互に語られる。時代を決めるヒントは出されているが、当時のヨーロッパ、とくにイギリスについて詳しくないと、どちらの時代を描いているのかが分かりにくい。これは結局は5人の主要登場人物でわかるのだが、周辺の人々も多く、その人間関係も初めのうちは分かりにくい。この点については、Sten Johansson の書評がネット上にあるのであらかじめ読んでおくとよい。私はこれに気づくのが遅かったので少々苦労して読んだ。
 普通の人間の目を通して世界を見ているので、描かれている世界が狭くて全体像が分かりにくい。このあたりは2つの大戦のヨーロッパ戦線について、必要に応じて調べながら読んだ。

 作者自身も参加した第二次大戦については具体的な描写はほとんどない。第一次大戦の塹壕戦の凄惨な様子は主人公の一人 Dunkan の目を通して描かれているが、どこかさめた描写になっている。必要以外の情景描写(天候や町・家・部屋など)もほとんどない。しかし人間関係の感情の動きなどは非常に丁寧である。好戦的な人物も登場するが、登場人物の多くは戦争に懐疑的である。しかし、実際にその場におかれたときの対応は様々である。戦争にあくまで反対して社会運動を続ける Gxon Maclean (実在の革命家)、良心的兵役拒否を選ぶ者、仕方なしに戦場に行く者、愛国心に燃えて戦争に行く者、そして送り出した夫・息子・恋人を待つ女性たち・・・。それぞれの人物とその生き方がしっかり描かれている。

 主人公の一人 Donard を少し追ってみよう。
 彼は音楽好きで情熱的な恋多き青年である。親友の Bob は祖国防衛戦争に出征するが、彼は良心的兵役拒否を選び、そのために職場で孤立して辞めざるを得なくなる。法定で自分の意志で兵役拒否を選んだことを証言させられる。彼の政治的背景(社会主義者とのつながりなど)を執拗に追求する司法官とのやりとりはこの小説の一つのハイライトである。家族・親戚の人たちの中にも戦争に出ていった人たちがいる。国全体が「祖国防衛・反ファシズム」に沸き立っているとき、彼の立場は微妙にならざるを得ない。自分の信念を貫きながら、人生をどう作っていくのか、苦悩ともがきは続く。そんなとき、負傷して障害者になって帰ってきた Bob とは、お互いに完全にはわかり合えないながらも、変わらぬ友情を確かめ合う。読む者をほっとさせる場面である。
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Jakobo k. c.

2020-08-05 | 読書ノート


 Hans Harald Zetterstrom(1877 –1946) はスエーデンのユーモア作家である。50ページ少々の中に13編の様々な味わいの短編小説が収められている。シュラジーのエスペラント訳は読みやすい。

 1つだけ紹介しておこう

 Ordema virino (きちんとした女性)

 ーかわいい Susana、一つ約束しておくれ。Olivia おばさんが言った。
 ー何なの、おばさん。ずいぶん真剣なのね。
 ー私が死んだらお墓を掃除してほしいの。
 ーおばさん、そんなこと言わないで、死にはしないわ。
 ー何が起こるかわからないわ。だけど、何があっても自分の周りはきれいにしておきたいの。時々夜中に目が覚めると思うのよ、私の死んだあとにお墓が片付いていなかったらって。花もいらないし毎日でなくてもいいから、あなたがそう思ったときだけ掃除をしてほしいの。
 Susana は涙でくもる目を拭いて約束しました。そして2か月後にOlivia おばさんは亡くなりました。

 Susana は金物店で自分に合う小さくて可愛い熊手を買いました。それをもっておばさんのお墓に行きました。お墓の周りに数人の人が黙って立っているのが見えました。近づくと Maria, Agnes, Elin, Berta, Gurli, Amalia、みんな Olivia おばさんの友だちです。全くいい友だちというわけではありませんでしたが。
 真ん中に公証人の Holmen が立って何か話しています。Susana がもっと近づくと、全員が同じような可愛い熊手を持っていることがわかりました。Susana が挨拶をすると、Berta が言いました
 ー彼女はあなたとも話したの?
 ーええ、私、約束しました。
 ー私もなのよ。
 ー私たちも。全員がそう言いました。
 ー私もそうなんですよ。公証人が言いました。彼は大きな長い熊手を持っていました。それを運ぶために自動車が必要だったのです。
 そこに大きくて強そうな男がやってきました。彼も公証人と同じような熊手を持っています。彼は帽子をあげて言いました。
 ー私は墓の管理所から来ました。亡くなられた方は、墓の管理をずっとするようにと頼まれたので、私が個人的に引き受けたのです。私が生きている間は。
 公証人は熊手を放り投げて言いました。
 ーじゃあ、そうして下さい。彼女は実際、恐ろしくきちんとした人だったんだ。
 小さな Susana は一度も Olivia おばさんの墓の掃除をしませんでした。必要なことだとは思わなかったのです。しかし、しばらく後に彼女は公証人 Holmen のお嫁さんになりました。彼はお墓から彼女の家まで送ってくれたのでした。人生って不思議なものです。
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Regulus から

2020-07-28 | 読書ノート


 文学者は単語をいろんな使い方をする。易しい単語をあまり使わない単語に置き換えるだけではあまり面白くないが、単語の可能性を広げる使い方に出会うのは楽しい。ただし、その特別なニュアンスが無くなってしまうのであまり多用してはならない。Regulus からいくつか変わった使い方の単語を適当に拾ってみた。
 まず、いわゆる語尾なし単語に語尾をつけて使う用例がかなりあった。
  kvankame
  ankauxa
  tamena
  tieo
  la pordo meme malfermigxis
  kialigi
  tiamigxi
  ambauxope
 その他のちょっと目に止まった用例をいくつかあげてみる。見慣れない単語もあるが、辞書には載っている。
  ridetanta de unu orelo al la alia
  mefite odoris
  posttagmezmeze
  momentis silento
  en la tempo de salivgluto
  li estis bobenita kiel kolbaso:Galvin が誘拐される瞬間。
  Staren!:立て!
  tial... retial...
  je tuja nuneco
  (vino) jam estis transujigxinta. De flakono al stomako...:trans-uj-igx-int-a
  malsxtopi botelon(飲み干す)
  la menso piroteknike funkciis
  io najpas en la masxino:身代金を用意したのに誘拐者たちが動かない。何か彼らに異変が起きたのか?
  forpeli piedalpuge:蹴飛ばして追い払う
  kun kiu sauxco ili estas mangxitaj:どういう状況にあるのか

 これくらいにしておこう。私の記憶ではこれらの表現はこの小説の中でそれぞれ一回しか使われていない。
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犯罪小説

2020-07-26 | 読書ノート


 エスペラント原作の小説、340ページの長編である。表紙の文字では REGVLVS のように見えるが、実際は REGULUS である。表紙の絵はパリの街、中央左にシテ島、その奥にノートルダム寺院、手前がポン・ヌフ(橋)である。作者の Lorjak についてはこの読書ノートで「Neologisme」というナンセンス小説で紹介したことがある。
 舞台は17世紀のパリ、当時の街の様子がいきいきと描かれている。電話も車もない時代だから、情報伝達の最も早い手段は伝書鳩である。
 Galvin は金細工証人の親方で、パリの助役の一人でもある。その重要人物がパリのど真ん中で白昼に誘拐され、その自宅に高額の身代金を要求する手紙が届く。Galvin 家では対応しきれる額ではなく、市の重役たち全体で金を工面することになる。もちろん、人質の身の安全のために公然と活動は出来ないが、警察は Galvin 救出・犯人逮捕のために動く。そこに新聞記者も独自の捜査をして事件について次々に発表し始める。Galvin の次男、15才の Alcibiade はとんでもない対抗手段を考えついて、使用人の Aneta、Jonas の協力を得て実行に移す。これが事件をますます複雑にしてしまう。その Aneta は犯人一味の一人に脅かされていた。一方、誘拐された Gaivin は犯人たちに堂々と対していた。
 さらに様々な登場人物がからまって話は思いもかけぬ方向に動き・・・。

 紹介はこれくらいにしておこう。ユーモアに満ちたエスペラント文はなかなか楽しい。エスペラント原作の娯楽小説としては屈指の作品だと思う。ウィリアム・オールドがあげた「Baza legolisto de la originala Esperanto-literaturo」にも入っている。
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Imenlago

2020-07-18 | 読書ノート


 最近読んだ本。「白い馬に乗る男」の Theodor Storm の40ページほどの短編小説である。老人が若い頃を思い起こす、詩のような、美しい物語である。
 物語は Rejhardo が10才、Elizabeto が5才の時から始まる。彼らはまるで兄妹のように育っていく。Rejhardo は童話を作って Elizabeto に語る。それは Rejhardo が少し離れた学校に通い始めても、手紙の形で続けられる。Rejhardo が大学に進むとき、2人は2年後の再会と変わらぬ愛を誓う。しかし・・・。

 これくらいにして物語にはあまり入り込まないようにしよう。短いので、ちょっとエスペラントの本でも読んでみようか、といったときに手に取るといいと思う。
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アルセーヌ・ルパン

2020-07-10 | 読書ノート


 しばらくぶりの読書ノートは「アルセーヌ・ルパン」である。これも「ドリトル先生」と同じく Literaturo en Esperanto で見つけた。2018年に翻訳されたとある。
 ルパンシリーズも私の好きな本の1つである。シャーロック・ホームズに比べるとルパンはより人間的で読んでいて楽しい。若い時に日本語訳を古本で少しずつ集め、ひととおり揃えてある。いつかまた読み直したいと思っていたところに、1冊だけとはいえ、エスペラント訳を見つけてうれしい思いである。

 私にはなじみのない単語がいくつか使われているが、エスペラント訳はとくに難解なところはなくて読みやすい。
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ドリトル先生航海記

2020-06-24 | 読書ノート


 読書ノートは「ドリトル先生航海記」である。これは、最近出来たネット上の図書館 Literaturo en Esperanto でダウンロードしたものである。この図書館には様々な分野のエスペラント文献が1000以上 PDF で保存されていて、誰でもダウンロードして読める。原作文学はもちろん、トールキンの「指輪物語」なども読める。文学だけでなく雑誌や音の本もある。分野別に整理してあるが、一覧表にしたり検索するような機能は見当たらなかった。
 「ドリトル先生航海記」は「Infano:子供向け」のところで見つけた。中学生の頃だったか、この本に出会ってすっかり魅せられてしまい、その後全巻を揃えて読んだ。もともとが子供向けの本なのでエスペラント訳にも「文学的な」ややこしい表現がほとんどなく、スラスラ読める。320ページほどになるが、原作(英語)版と同じページ構成で、挿し絵も同じ位置に入れてあるという。
 作者はイギリス出身でアメリカで活躍した児童文学・絵本作家、ヒュー・ロフティング(1886 - 1947)である。ドリトル先生シリーズは1920年の「ドリトル先生アフリカゆき」が最初で、「航海記」は2作目になる。ストーリーの順序では第4作「サーカス」や第6作「キャラバン」よりもあとになる。
 主人公のドリトル先生は動物の話が出来る自然科学者・医師である。第一次世界大戦に従軍していたロフティングが、負傷した馬が治療も受けずに銃殺されるのに心を痛め、自分の子供に送る手紙に動物と話の出来る医師の話を書いたのが原型となった。ドリトル先生のモデルはその子供の一人という。

 エスペラントは易しくて読みやすいが、見慣れない単語がいくらか使われている。sob, hide, pigra, povra, morna といった「雅語」である。forde という語が出てくるが、for de のミスプリントでなければ、これも新しい合成語だと思う。fadantaj cindroj de la fajro の fadi も見慣れない(cindro は複数で使うのだろうか?)。

 ドリトル先生がどのように動物の言葉を習得していくか、荒唐無稽だが面白い。ある魚の言葉は古代ヘブライ語に似ているという。太古から生きている軟体類は地球生命の歴史を語ることが出来るというので、ドリトル先生は軟体類の言葉を覚えたいと思っている。ついに見つけた海に住む巨大軟体動物(カタツムリ)と話をするのに、最初は「カタツムリーヒトデーウニーイルカードリトル」の順に通訳を介して話す。ヒトデがやや間抜けだったので会話はまことにまだるっこいが、そのうちにドリトル先生はカタツムリと直接話せるようになっていく。

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Gosta Berling

2020-06-21 | 読書ノート


 スエーデンのノーベル賞女性作家セルマ・ラーゲルレーヴ(1858-1940)の長編小説、eLibro では500ページに近い大作である。この作家は日本では「ニルスのふしぎな旅」で知られている。Gosta の o には字上符が付いていて、実際にはイェスタに近い発音である。
 セルマ・ラーゲルレーヴはスエーデンの南部、ノルウェーと国境を接し、製鉄業の盛んなヴェルムランド地方で生まれ育った。教師を務める傍ら小説を書き、この作品で世界的な作家になった。女性としては初めてウプサラ大学名誉博士号を修得し、スウェーデン・アカデミー会員にも選出された。その存在自体が女性解放の象徴となった。
 以上はウィキペディアからの受け売りである。実のところ、この作家、とりわけ「Gosta Berling」についての日本語の解説はネット上にあまり見当たらない。

 Gosta Berling はヴェルムランド地方を舞台に、この地に伝わる民話を元にした「スウェーデンの田舎暮らしの壮大な叙事詩」である。ストーリーを簡単に紹介するのは難しい。製鉄工場の工場主、農園の貴族、貧しい人々、そして12人の騎士などが様々な物語を繰り広げる。中心となるのは騎士の一人 Gosta Berling だが、全36章の中には他の騎士や貴族の一人に焦点を当てた短い挿話もいくつか含まれる。
 Gosta Berling は追放された元牧師で詩人、その奔放で真摯な行動で何人かの女性と恋をするが、最後は男らしく物語を締めくくる。
 40近い言語に翻訳され、1924年にはグレタ・ガルボ主演で映画化もされている。エスペラント訳はトレントシリーズの Engholm で1934年に発行された。日本では野上弥生子が訳しているが、子供向けに書かれていて完訳ではない。私にはエスペラントでしか読めない世界的名作である。
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ターニャ通りの人たち

2020-06-17 | 読書ノート


 La strato de Tanja の作者 Kalle Kniivila は1965年フィンランド生まれのジャーナリストである。1982年にエスペラントを学び、全世界エスペランティスト青年機構(TEJO)や世界エスペラント協会(UEA)などの役員や、各種の雑誌の編集者などとして活躍。2018年からモスクワのスエーデン大使館で働いていた。しかし、その年の年末にロシアから追放される。それはスエーデンがロシアの秘密機関との関係を疑われた2人のロシア外交官にビザを出さなかったことへの報復であった。翌年1月からはウクライナのスエーデン大使館で働いてる。
 彼はこの100年間のロシアの日常生活の歴史を書こうと考え、サンクトペテルブルクの2番通りの一角の家を選んだ。そこには Savicev の一家が住んでいたことが広く知られていたからである。最初、この本は「ターニャの家」と名付けられるはずだった。現在、その家には Aleksandr Urasov が住んでいる。彼は自分と周囲の人たちについて話してくれた。そして作者のインタビューはこの通りに住むいろんな人たちに広がっていき、本も「ターニャ通り」に変わっていった。
 Aleksandr Urasov はソ連崩壊後のロシアで不動産業者として成功する。もともと私企業が禁止されていたソ連時代には不動産業はなかった。お互いにもっとふさわしい住居を求めて住居を交換したりするのがきわめて困難だった。彼はその仲立ちを始める。当初はボランティアだったが、アメリカの不動産業を学ぶ機会もあって、次第に本格的になっていく。彼によるソ連・ロシアの住宅事情や、自家用車を手に入れる話などはなかなか興味深い。
 何人かの住人の歴史が書かれているが、その中からもう一人を紹介してみよう。
 1938年3月、Korina Klodt の家の前に黒い車が停まり、彼女の両親を連れて行った。それ以来彼女が両親に会うことはなかった。当時彼女は3才だった。作者は82才の彼女にインタビューしたのである。
 Korina の父親はサンクトペテルブルクで生まれ育ったが、ドイツの血を引いていた。当時ドイツ系、またはドイツ的な名前を持っているだけで危険にさらされていた。サンクトペテルブルクに1000人いたといわれるエスペランティストも、外国との関係を持つということで危険にさらされていた。
 逮捕された年の10月、彼らはドイツのスパイとして処刑された。スターリンの死後、1958年に名誉回復されるまで、Korina は両親の運命を全く知ることが出来なかった。
 ドイツとの戦争が始まったとき、7才になっていた Korina は他の多くの子供たちと一緒に市外に避難する。戦争の早期終結が見込まれていったんサンクトペテルブルク(レニングラード)に戻ろうとするが、列車が途中で動かなくなり、彼らはさらに東へ移動する。これが彼女の命を救ったのかも知れない。この頃、彼女は自分の家族名 Klodt がドイツ系であることを意識するようになる。
 彼女は極東の地、アムール川のほとりの新興工業都市で7年以上を過ごし、技術者として成長する。サンクトペテルブルクに戻り、工業デザイナーの資格を取り、新しい仕事に就く。この新しい仕事を見つける顛末も当時のソ連社会の様子をうかがわせて興味深い。ソ連社会の中で彼女がどのような人生を歩むのか、全編にわたって少しずつ語られていくのだが、これくらいにしておこう。

   写真はネットで見つけた「ターニャの日記」
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ターニャ通り

2020-06-15 | 読書ノート


 ターニャ通りというのはロシア・サンクトペテルブルグの1つの通りである。長さは1.5kmほど。この街路の一角にあった共同住宅にターニャの一家が住んでいた。第2次世界大戦中の1941年9月から1944年1月まで約900日間続いたレニングラード(サンクトペテルブルクの旧称)包囲戦で多くの市民が餓死した。ソ連の公式発表では67万人、一説には100万を超えるともいう。当時の人口が250万ほどだったというからその悲惨さが想像できる。レニングラードを包囲した後、ドイツ軍が食糧倉庫やガス・水道・電力の供給施設を攻撃したので、市内では飢餓が始まる。死体から人肉を食い、人肉を扱う店まで現れた。
 ターニャは当時11才の少女だった。こまめに書いていた日記は極寒のなかストーブにくべるものがなくなったときに燃やしてしまった。行方不明になった姉(実際には街から脱出していた)が残した小さな手帳に彼女はごく簡単な日記を残す。それは次のようなものである。

 1941年12月28日の午前12時、ジェーニャが死んだ。
 1942年1月25日の午後3時、おばあちゃんが死んだ。
 1942年3月17日の午前5時、リョーカが死んだ。
 1942年4月13日の深夜2時、ヴァーシャおじさんが死んだ。
 1942年5月10日の午後4時、リョーシャおじさん
 1942年5月13日の午前7時半 ── ママ
 サヴィチェフ家は死んだ
 みんな死んだ
 残ったのはターニャだけ

 ターニャは離れたところにいた親戚の家に行き、さらに1942年8月、140人の子供たちと一緒に救出されてクラスヌイ・ボールという村に行く。しかし弱った身体を持ちこたえられず、1944年7月に死亡した。

 この本はターニャについてだけ書いた本ではない。副題にも「Vivo en Rusio 1917-2017」とあるが、この通りに住んでいた人たちの話を織り交ぜながら近代100年間のロシアの歴史を描いたドキュメンタリーである。おもな事件や歴史的転換点で章を区切っているが、連続する歴史を様々な観点から描いている。例えばスターリンの圧政時代にどのように人が消えていったかといったことなどから、テレビや冷蔵庫・洗濯機などがどのように普及していったかといったことまで。
 各章のタイトルを次に書いておく。
 La tago de la revolucio:革命の日
 1917. La kolapso:虚脱
 1927. Pasxo reen:後戻り
 1937. La granda teroro:恐怖政治
 1942. La siegxo:包囲
 1957. Sputniko:スプートニク
 1967. La iama bona tempo:かつてのよき日々
 1979. Afganio:アフガニスタン
 1987. Perestrojko:ペレストイカ
 1998. La bankroto:破産
 2007. La bona nova tempo:新しいよき時代
 2017. Pasis cent jaroj:100年が過ぎた
 Noto de la auxtoro:著者のノート
 
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ハムレットのセリフから

2020-06-11 | 読書ノート


 ハムレットにはいくつかの重要なセリフについて異なる解釈がある。これらについて Zamenhof と Newell がどう訳しているかを調べてみた。

 1幕2場:Frailty, thy name is woman.
 「弱気ものよ、汝の名は女なり」が有名だが、これは坪内逍遙の誤訳で、後に次のように改訳している。
 坪内逍遙訳:あゝ、脆きものよ、女とは汝が字(あざな)ぢゃ
 Zamenhof:Malforto! via nom' estas : virino!
 Newell:Malforto, ≪Virino≫ oni nomu vin!

 3幕1場:To be or not to be, that is the question.
 「(復讐を)すべきかすべきでないか」ともとれるが、近年の訳では「生きるべきか死ぬべきか」という訳が多い(Wikipedia)。
 坪内逍遙訳:世にある、世にあらぬ、それが疑問ぢゃ
 Zamenhof:Cxu esti aux ne esti, - tiel staras / Nun la demando
 Newell:Cxu esti, aux ne esti: jen demando / Kiu plej gravas

 3幕1場:Get thee to a nunnery.
 「尼寺へ行け」なのか「売春婦になれ」なのか。
 坪内逍遙訳:こりゃ、寺へ往きや、寺へ。
 Zamenhof:Iru en monahxejon!
 Newell:Iru en monahxinejon!

 最後に5幕2場から、とくに解釈に問題があるところではないが、訳を比較してみる。
 If it be now, 'tis not to come; If it be not to come, it will be now; If it be not now, yet it will come: the readiness is all
 坪内逍遙訳:今来れば後には来ず、後にこずば今来う、よし今は来ずとも、いつかは一度来うによって、何事も覚悟が第一ぢゃ。
 Zamenhof:Se gxi farigxos nun, gxi ne farigxos poste ; se gxi ne farigxos poste, gxi farigxos nun ; se gxi ne farigxos nun, gxi devas ja jam farigxi en estonteco. Oni devas cxiam esti preta.
 Newell:Se gxi okazos nun, gxi ne okazos poste; se gxi ne okazos poste, do gxi okazos nun; se gxi ne okazos nun, tamen iam gxi nepre okazos - sole la preteco gravas.
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ハムレット

2020-06-07 | 読書ノート


 シェークスピア「ハムレット」のエスペラント版である。2010年のエスペラント世界大会(キューバ)の大会書店で買ってきたものなので、10年近くわが家の本棚で眠っていたものである。「ハムレット」にはザメンホフの訳があり、このブログでも取り上げた(直接の読書ノートだけでなく、他のところでも言及しているので、「ハムレット」を「このブログ内」で検索してみてほしい)。
 翻訳者は Newell (1902-1968)。ロンドン生まれのエスペランチストである。1916年にエスペラントを始め、"Literatura Mondo"発行に携わるなど、とくに文学関係で活躍した。「ハムレット」は1964年に発行された。
 この「難解」な戯曲をより深く理解できるように、非常に丁寧に構成されている。まず導入部(Enkonduko)では原作がどのような内容のものなのかが24ページに渡って解説され、次いで偉大なザメンホフ訳があるのになぜ新しく訳すのかが語られる。翻訳というのは、その時代の要求を反映する。だから優れた文学作品には複数の翻訳があるものであり、これからも新しい時代に応じた新しい翻訳が現れる。実際「ハムレット」の日本語訳も10以上ある。エスペラントではまだこのような例は少ないが、今後もっと現れてくるかも知れない。
 巻末ノートには、登場人物のセリフや状況、気持ちの動きなどなどに詳細な注がつけられていおり、これはおそらく日本語訳で読むときでも参考になると思う。
 有名な話なのでとくに内容については触れないが、Newell の「ハムレット」はザメンホフのものに比べるとかなり読みやすいと思う。たぶん坪内逍遙の日本語訳よりも読みやすいのではないかとさえ思う。
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エスペラントの言葉遊び

2020-06-04 | 読書ノート


 Reto Rossetti はイタリア系のスイス人だが、イギリスで活躍したエスペランティストである。ウィリアム・オールドなどとの共著「Kvaropo」という詩集が有名である。翻訳ではシェークスピアの「オセロ」がある。
 「El la maniko」には様々な作品があるが、エスペラントの言葉についての2つの作品が面白い。

 ひとつは「La neologismologio:新語学」というエスペラントの新語の法則を考察する冗談記事。その第一の法則は「anagramismo」、例えば forfukulo(ハサミムシ)は fi-forkuro から発生した。同様に kokeriki は koke krii、molusko(軟体動物)は muskolo、pilgrimi は pli migri・・・。さらに第二の法則「signifaj ellasoj」・・・クモが壁を這っているのを見て、krure ambli > krurambli しかしこの場合 mur は不要なので、krabli になる。まだまだ続くがこれくらいにしておく。

 もうひとつは「La Esperanta vortludo」、エスペラントの言葉遊びの分類を試みた真面目な考察である。言葉遊びの大家は Sxvarco (Raymond Schwartz) である。エスペラントの言葉遊び(Rosseti は karamburi, kalamburisto という専門用語を作っている)は次のように分類できる。
 1.同音異義:これはエスペラントではほとんど見当たらない。
 1-a.特別な意味を持つ語:nova sento, stelo, verda, fundamenta など。
 2.連結・音節遊び:gratulo - grat-ulo, litera/turo, dom/agxo など。
 2-a.合成語の再分割:dom-acxeto - domacx-eto, pied-iras - pie-diras など。
 2-b.よりまじめに:solidara - solid-ara, malica から ica, malgraux から graux を作る。
 3.文字の追加:Estas (s)varme, strecxita (a)kordo など。
 4.音を少し変える:私はエスペラントで夫を見つけました、Esperanto は Edz-peranto。
 4-a.知られている引用文を少し変える:Cxu estri aux ne estri?
 誤植にも現れる:lernejo por adultoj, esperantistoj estas tro malmutaj...
 5.アナグラム:ribelo - libero, al skoto gravas kosto, latino produktis italon...
 6.エキゾチックに(エスペラントを飛び出して):harakiri - harkreskigilo - har-akiri
 7.混合:民族語が分かる人だけに通じるもの・・・むかし dankon! に不快感を持った人がいた。
 8.複合:文法や単語の分割などが混ざり合ったもの。
 最後に、これから発展するかも知れない分野として図解の分野をあげる。

 この絵を見ても私には何のことだか分からなかった。kartavo という発音法があり、それは R の音をノドで出す。kravato - kartavo なのだ。
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El la maniko

2020-05-31 | 読書ノート


 「Kredu min sinjorino」の Cezaro Rossetti (1901–1950) の弟 Reto Rossetti (1909 – 1994) の短編集である。Auld の Baza legolisto de la originala Esperanto-literaturo にあり、最近 UEA から取り寄せた本の一冊である。220ページほどで、13編の短編と2編の中編探偵小説が収められている。
 きれいなエスペラントでとくに読みにくくはないのだが、中にはなじみのない単語がたくさん使われている作品もある。ちょっとだけ拾ってみると、nimbi, tobogani, spoko, ambri, aspra, ... 巻末に難解単語の説明が3ページに渡って掲載されているが、例示した単語はその中にはないものである。巻末には使われた感嘆詞の一覧もある。

 もちろん気の利いた表現もたくさん出てくる(以下、私の文学的でない訳語を添える)。
 mis-gravitantaj pensoj:誤った方向に引き寄せられた考え
 enmurita:壁に囲まれた
 la prezo ne tiel loge-oferita kiel mi esperis:期待したほどの値引きではなかった
 gxis-saluto:さようならのあいさつ
 sur la arbo sxauxmis la juna verdo:木には泡立つような若芽が覆っていた
 faris el muso elefanton:針小棒大
 ne ekzistas terno sen nazo:火のないところに煙は立たぬ

冒頭の短編「Ho! Egoismo」では様々なののしり言葉が使われている。
 lutita nuko!・・・あとも見ずに突っ走る相手に(次も同じ)
 cxu la nazo farigxis kompasnadlo, ke ne eblas gxin turni?
 azeno, porko, ermito, diablo
 protokreteno・・・proto- は unua, cxefa を意味する接頭辞(巻末解説)
 kio vin akaparis?
 arkiazeno・・・arki- は cxef を意味する接頭辞
 herbokrajono
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Marvirinstrato

2020-05-27 | 読書ノート


 今回の読書ノートは最近ネットでダウンロードしたものである。210ページほどに18編の短編が収められている。テーマは様々だが童話のような楽しい作品が多い。作者の Tim Westover はまだ37才のアメリカ人である。2000年にエスペラントを始めて、2001年にはアメリカエスペラント会の役員になっている。
 実はこの名前に何となく覚えがあって調べてみたら、2000年のNASK(北アメリカエスペラント講習会)の参加者の中に Timothy Westover という名前があった。同一人物なのかは分からない。資料を調べて記憶を辿ってみたが、余り印象には残っていない。もしそうだとしたら、この時はまだ17才の初心者だったのかも知れない。

 発想が面白い一編「Enanimigo」を紹介しておく。
 Doppelviv 家のトースターの調子がおかしくなった。全く焼かずに白いままのパンを飛び出させたり、灰になるまで焼いてしまったり。医者に診せると余り芳しくない診断が下された。このトースターは狂っている。家族がその仕事を十分に評価していなかったり、他の料理用具と仲良くさせなかったとかの原因が考えられるが、一番大きな原因はもともとの精神が良くなかったのではないか。安物を買うと、不幸だったり役立たずだったりした人の精神が使われているのだ。
 親戚にも最近亡くなった人はいないので、しかたなく家族(夫婦と息子・娘)で新しいトーストを買いに行く。元消防士のトースターは長年の経験で安全な機能を保証する。ベテランの主婦のものもお勧めである。しかしこれらは高価である。こういうものの値段は見た目の美しさではなく、持っている精神で決まるのである。美しいものに高い値段をつけるのは頭の空っぽな美人と結婚するようなものだ。
 美しいトースターがあった。家族みんなも気に入ったというので、それを買った。説明によると、ハンサムだがやや自堕落な男で、朝寝をすることも多かった。たぶん生涯で20回くらいはパンを焼いたことがあるだろう。最初は失敗もするだろうが、若いのでじきに仕事を覚えるだろう。
 新しいトースターにパンを焼かせると、まだ余り焼けていないままのパンを飛び出させたが、自分でも分かったらしくすぐに引っ込めてちゃんと焼けたパンを飛び出させた。というわけで一家の日常が戻ってきた。娘の Iinjo が朝の仕事を手伝うようになったのが一番の変化だった。
 しばらくして、冷蔵庫が熱くなっていた。冷蔵庫の扉を開け閉めするたびにトースターが Pon! と音を立てる。しばらくすると今度は冷蔵庫がものすごく冷えて、牛乳が凍ってしまった。そしてオーブン・ミキサー・アイロン・蓄音機・ランプたちなどなども狂い始めて、ついに医者を呼ぶことになった。
 このトースターは言葉巧みに冷蔵庫に言い寄って夢中にさせたあげくオーブンに手を出し、アイロンはトースターに岡惚れして相手にされず、長年冷蔵庫に憧れていたミキサーが怒り出し、冷蔵庫とオーブンの友だちのランプたちが仲間れして・・・医者の見立ては簡単で、トースターを戸棚の中にでも入れておけというものだった。
 数日で台所は元に戻ったが、トースターはどうしても必要なので、今度はいじけた孤児の魂を持つとても醜いトースターを買ってきた。最初は失敗続きだったが他の器具の同情を買って大事にされたので元気になり、一家の生活は再び元に戻ったのだった。
 あの美しいトースターは福祉施設にでも寄付しようというので戸棚から出そうとしたら無くなっている。息子が「お姉ちゃんが持って行った」というので娘の部屋に行くと、部屋の中から Pon! というトースターの音が聞こえる。そして幸せそうな愛に満ちた女性の笑い声が・・・。
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