読書ノートは Anna Lowenstein のエスペラント原作小説である。作者は世界エスペラント協会の会長を2001年から2007年まで務めたイタリアの Renato Corsetti の奥さんである。1951年にロンドンに生まれ、13才の時にエスペラントを独習、1977年から世界エスペラント協会の事務所(ロッテルダム)で働く。女性解放運動の雑誌「Sekso kaj egaleco」を創刊・編集。若者向けの雑誌「Kontakto」にもしばしば投稿した。現在はローマ近郊に住む。1982年に初めてローマを訪れて巨大な石の建造物を見たときの強い印象がこの小説を書く発端になった。このご夫婦とはキューバで行われた世界エスペラント大会(2010年)でお会いして少しだけ会話をしたことがある。Corsetti さんには私が編集・印刷して自費出版した「Raportoj el Vjetnamio」を高く評価して頂いたし、奥さんにはこの世界大会での折り紙についての私の講演を評価して頂いた。
巻末に「Klarigoj pri la traduko」という一文がある。ここではこの小説で使用した単語について書いてあるのだが、これがなかなか面白い。
「詩人はすでにある単語、malproksima, fora, distanca に満足できないで、lontana という語を使うのが良いと考える。他の人は代わりに dista を使う。おそらく彼らにとってはエスペラントが生きている言葉ではなくて、半煮えのスープの一種であり、その中に誰でも自分の人参を放り込んでも良いような物なのだろう。そして上の2つの単語は今の辞書に取り入れられている。これは辞書に英語同様の複雑さを急速にもたらす恐れがある。」
社会の発展に従って新しいものや概念が生まれ、それに従って言葉も発展していくが、すでに存在するものに新しい言葉をつけ加える必要はない。ということで、作者は原則として基礎単語(Akademio による追加語を含む)のみを使用し、どうしても必要な場合や、すでに広く使われている語のみそれ以外の語を使った。いくつかの専門用語(植物名、ローマの貨幣など)以外では全くの新語はケルト民族の祭り Beltono と Samono の2つだけである。
というわけで、この本はほとんど辞書を引かずに読むことが出来た。上に示したコピーは、作者が使った「基礎単語以外」の単語である。ほとんどは比較的よく見る単語である。
他にも直接話法・間接話法における時制など、重要なことが書かれているので、本文を読む前にこの部分を読んで置いた方がいいと思う。
ekvojis:旅に出かけた
trovi dungon:仕事を見つける
liberigxis cxiuj diabloj de la infero:地獄の悪魔が全部出てきた。(ののしり言葉の1つ)
ajnulo:他人
dormi nur one-duone:仮眠しかできない
ajnafoje:いつだって
iras glate, kiel oleite:油を差したように順調に行く
tielas:そんなふうだ
Stumpita Lando:敗戦国(?)
marprofunda silento:海の底のような静けさ
nuris la respondo:返事はそれだけだった
ne emigeblas:やろうとは思えない(?)
kiomas la orgojlo:高慢でいっぱい
「ほら吹き男爵の冒険」という題でも知られている荒唐無稽な物語である。調べてみて驚いたのだが、ミュンヒハウゼン男爵というのは実在の人物である。18世紀のプロイセンの貴族で、自身が周囲に語ったという話が元になっているという。かれの話をこっそり記録した人が無断で出版したのが始まりで、多くの人によって加筆されて100以上のバリエーションがあるいう。
このエスペラント版では原作者が Rudolf Erich Raspe となっている。非常に古い版だが、物語の中にはミュンヒハウゼン以外の出典から流用されたものもあるらしく、ウィキペディアにはこれが却ってミュンヒハウゼンの評判を落としたとある。
江上不二夫「生命を探る」(岩波新書)を松葉菊延がエスペラント訳したものである。1971年発行。原著は1967年。その後1980年にかなりの改訂がされて第2版が出ているが、これは初版を訳したものである。
そもそも生命とは何か? から始まって宇宙生物学まで「化学」の立場から解き明かす。かなり本格的な入門書である。部分的に難しくて消化不良になるところもあったが、ノートをとりながら何とか読み通した。
専門用語が大量に出てきて、とくに動植物名などはエスペラントの辞書だけでは不十分で、学名から調べることも多かった。専門用語だけでなく、例えば「La komuniko kaj manifestacio de informo(情報の発現と伝達)」といった普通の単語で書かれていてもその意味をつかむのはなかなか大変だった。半分ほど読んだところで、原著(第2版)を取り寄せて時々参考にした。こういった科学のいろんな分野の啓蒙書がもっとエスペラント訳されるといいと思うが、あまり売れないだろうな・・・。
興味ある内容が満載だが、少しだけ紹介しておこう。
しばらくぶりの読書ノートは長編原作小説「Cx li?」である。作者の Henri Vallienne(1854-1908)はフランスの医師でエスペラント初期の作家、Kabe に続く美文家といわれる。1903年にエスペラントを知り、翌年には翻訳作品を出版している。1905年に心臓病で倒れ、外出も出来なくなるがエスペラントの創作活動を精力的に続け、1908年に亡くなる短い間に2編の長編小説などを書いた。これがエスペラント界で初めての長編原作小説である。「Cxu li?」はその2冊目である。上の写真はネットで拾った物で、私自身は eLibro で読んだ。本の形では447ページ、eLibro では627ページの大作である。単語の使い方に違和感を憶えることが多かったが、エスペラント文は易しくて読みやすい。ストーリーはとても面白いが、文学的評価はあまり高くないと思う。1938年にはカロチャイが大幅に書き直して Literatura Mondo に発表したが、一部分だけに終わっている。
ストーリーは複雑で簡単にはまとめられないが、少しだけ紹介しておこう。舞台はフランスである。
Beatrico と Regxino、2人の美しい女性はいとこ同士である。2人は幼馴染みの Fernando を愛していて、Fernando も出来れば両方と結婚したいと思うほどだったが、結局 Beatrico と結婚する。結婚後すぐに Beatrico が病気になり、夫婦生活が出来ない Fernando は Regxino と関係してしまう。
Fernando は殺人容疑で逮捕され、終身刑で送られた先で脱走する。Regxino はスイスで遭難していた Fernando を見つけて連れ戻すが、この男は自分は Ferdeko だと名乗る。実際、彼は Ferdeko の名でパスポートなどを所持していた。しかし周りの人たちは脱獄した犯罪者が偽装していると信じて彼を守ろうとする。Ferdeko は Regxino と結婚するが、Beatrico との仲を疑って嫉妬に狂う Regxino とはじきに破局に至る。Regxino は Beatrico を殺そうとして失敗、行方不明になる。Ferdeko と Beatrico は実質的な夫婦関係になり、Beatrico は妊娠する。そこに本物の Fernando が帰ってきて・・・。
話は Fernando の出生にまでさかのぼり、Fernando の養父である Maziero という銀行家が特に重要な役割を果たしているのだが、ここには書けなかった。またFernando と Ferdeko は容貌・体格だけでなく声や性格もそっくり同じで、しかも2人とも熱心なエスペランチストである。エスペラント自体はストーリー上ではちょっとした小道具に使われているに過ぎないが、それでもその「世界性」がうまく使われている。
今回の読書ノートは Jean Codjo の「聞こえない人たちの対話」である。Jean Codjo はアフリカ・ベニン出身のエスペランチスト、最初は国立大で、次いでドイツで言語学とドイツ語学を学び、のちにカナダに渡る。アフリカのエスペラント運動で中心的な役割を果たしている。本人のページが Facebook にもある。
Jean Codjo は3編の比較的短い本を書いた。異なる文化を持つ人々の出会いと相互理解の難しさがその主なテーマとなっている。今回紹介するのはその2冊目で、2002年の作品。私は eLibro で読んだ。上の表紙写真はネットで拾ったものである。
Dege はアフリカの小さな村 Koaga で家族とともに生活していた。あるとき、白人の船がやってきた。Dege はその船のボーイとして雇われ、仕事をしながら白人の言葉を覚える。船が出航するとき、Dege も一緒に行ってしまう。それからずいぶん時間が経って、Dege が突然自動車で村にやってきた。彼は白人の国で養子になり、学校へも通って、今では教師になっていた。村では驚くべき成功者であり、blankulo kun nigra hauxto:黒い肌の白人とさえ言われる。彼はその後も時々やってきて、村の生活改善の企画を持ち込み、村人にいろんな話をする。村人もその時を心待ちにするのだが、一向に理解は出来ない。自由恋愛やら民主主義やら、村の長年の風習や年功序列の村社会に反することばかりである。小説の最後では、村人たちも物質文明の便利なものを使うようになるのだが、それが村人を幸せにしたのかどうか?