脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

人生を振り返って・・貧困

2014年12月28日 13時49分34秒 | わが半生
私は昭和30年代に東京都目黒区に生まれ父は板前・寿司職人。父が東京に修行で来た頃に母と出会ったそうです。最近、叔父に聞いたのですが当時、母には彼氏がいたそうで、学校の先生だったそうです。なぜ母が公務員の彼氏でなく寿司職人の父と結婚したのか?既に母は他界してますので謎のままです。父と母は結婚と同時に大阪で四畳半1間のアパートで暮らし始めたのです。父は当時23歳。若く下っ端の職人ですから給料も安く暮らしは苦しい日々であったと思います。母の実家は目黒区の閑静な住宅地にあり敷地も広く、そこそこの暮らしをしていたみたいで私が生まれて、まもなくは耐えられず幼い私を抱き実家に帰ることも屡々あったようです。もちろん各駅停車のローカル線で大阪~東京は、かなり疲れたとことでしょう。そのたび、父が母を迎えに行ってたと聞いています。四畳半・・風呂なんかありません。トイレはアパートの共同トイレ。電話も当然ないのです。父は下っ端で地方に行くことが多いためなのか・・テレビだけはありました。そう14インチくらいの画面で白黒映像です。たぶん地方回りの多い父は母が寂しいと思ってテレビだけは買っていたのだと思います。昭和30年代後半・・東京オリンピックを私もテレビで観たことは、ハッキリと記憶しています。当時、テレビ・冷蔵庫・洗濯機は3種の神器といわれるほど高価で庶民にとっては高嶺の花であったのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 拒食症・・真の回復を望んで... | トップ | 倒れてからでは遅い! 会社は... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

わが半生」カテゴリの最新記事