脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

魂の修行って泥を被ってから磨く?(^。^)

2017年11月15日 12時28分11秒 | スピリチュアル
生まれたばかりの赤ちゃん(^。^)
可愛いですね。なんの汚れもなくピカピカ(^。^)
その赤ちゃんが成長とともに、やがて自我に目覚める時か来ます(^。^)
その頃から『欲』が強くなり始め大人になるに従い欲の風船🎈は膨らんでいきます。

『欲』は適度にあるのが一番ですが。
それが中々、難しいから人は苦しみます。

欲は魂を曇らせ汚れを付けていくのです。
この世に生まれての魂の修行は欲のコントロール
自分の利益、快楽、名誉などが強くなればはるそど利他愛が無くなり自分本位の考えが強くなり周りが見えなくなっていきます。

そこで、人は過ちを犯すことも。悪いと分かっていながら
やってしまったり。場合によっては犯罪まで犯す人もいます。
泥まみれになった魂。
むしろこの世は一旦、泥まみれになる事が必要なのかも知れません。
泥まみれになってから?
人間関係、失業、別れ、貧困、孤独、病、などなど
それらを通じて付いていた泥
心の曇りを
取り除いていく。

人は生まれて、必ず魂を曇らせ汚れを付けてから磨く方法を学ぶのかな?
磨いて磨いて(^。^)
そして生まれた時のピュアな魂へ戻る??

戻ると
人に優しくなれたり
人の痛みを分かったり。
愛とは何なのかを学ぶ事が出来るのかなあ。

そんな事を思う今日この頃です。
コメント
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