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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

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英語学習法(116)

2006年07月25日 | 比較
EG105、EG106、EG115の続きです。比較の構文‘as ~ as ・・・’です。今回、ちょっとした変則例です。以下、見ましょう。

(1)John is as old as Tom. (ジョンはトムと同じ年齢だ。)

(1)は、比較の構文‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」で、その述語には‘old’「歳を取った」が使われています。「歳を取った」という意味は、誰にでもわかるとおり、高年齢である、ということですが、(1)でのジョンやトムは、そのような年齢に達しているのでしょうか。

(1)は、もちろん、ジョンとトムが共に80歳といった場合も考えられますが、一方、ジョンとトムが共に10歳といった場合も考えられます。もし、ジョンとトムが共に80歳の場合ならば、これは、‘old’のもつ意味が、そのまま活かされていますが、一方、ジョンとトムが共に10歳の場合ならば、(1)では、‘old’のもつ意味は活かされていない、ということになります。

にもかかわらず、(1)では、ジョンとトムが共に10歳といった場合でも、OKになるわけですから、ちょっと不思議な感じがします。ところで、一般的に、‘old’「歳を取った」の反対の意味を表す表現には、‘young’「若い」があります。

(2)John is as young as Tom. (ジョンとトムは同じくらい若い。)

(2)では、比較の構文‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」に、その述語として‘young’「若い」が使われていますが、「若い」の意味は、もちろん、低年齢であり、その判断に個人差はあっても、一般的に、40歳や50歳、または、それよりも高年齢のヒトが、若い、などとは通常考えられません。

そこで、(2)には、ジョンとトムが共に80歳といった解釈はなく、共に10歳や20歳といった場合など、一般に「若い」と見なされる年齢での解釈になります。つまり、比較の構文‘as ~ as ・・・’の中で、‘young’が使われる場合は、その単語がもつ「若い」という意味が活かされていなければならない、ということになります。

このように、(1)と(2)の差異は、普段、あまり意識されることはないのですが、よくよく考えてみると、これは、ちょっと難しい問題です。と言うのも、一般には、「老いた」と「若い」は正反対の概念だと考えられていますから、単純に考えるならば、(1)と正反対の解釈が(2)になければおかしい、または、(2)と正反対の解釈が(1)になければおかしい、と思ってしまうからです。

しかし、事実として、(1)と(2)の間には、解釈上の不均衡があるわけですから、「老いた」と「若い」の間には、ただ単純に、「正反対」の概念である、とは言えないような何らかの別の概念が存在するように思われます。そこで、以下のような例も併せて考えてみましょう。

(3) a. John is as tall as Tom. (ジョンはトムと同じくらいの背丈だ。)
   b. John is as short as Tom. (ジョンはトムと同じくらい背が低い。)

(4) a. This book is as heavy as that box. (この本は、あの箱と同じくらいの重さだ。)
   b. This book is as light as that box. (この本は、あの箱と同じくらい軽い。)

(5) a. This entrance is as wide as that exit . (この入り口は、あの出口と同じくらいの幅だ。)
   b. This entrance is as narrow as that exit . (この入り口は、あの出口と同じくらい狭い。)

(3a-b)で使われている述語は、‘tall’「背が高い」と‘short’「背が低い」、(4a-b)では、‘heavy’「重い」と‘light’「軽い」、そして、(5a-b)では、‘wide’「広い」と‘narrow’「狭い」というように、いわゆる、正反対の意味となるペアであり、これら各ペアが、‘as ~ as ・・・’の構文で使われています。

(3a-b)~(5a-b)で、正反対の意味をもつ述語の各ペアは、‘as ~ as ・・・’の構文の中で使用されると、(1)と(2)の間にある解釈の関係とほぼ類似した関係をもつことになるのがわかります。つまり、(3a)の‘as tall as’は、ジョンとトムの身長が高くても低くてもどちらでもよいような解釈を許しますが、一方、(3b)の‘as short as’は、ジョンとトムの身長が高い解釈を許さず、両者の身長が低い解釈しか許しません。

(4a)の‘as heavy as’は、本と箱の重さが重くても軽くてもどちらでもよいような解釈を許しますが、一方、(4b)の‘as light as’は、本と箱の重さが重い解釈を許さず、両方とも軽い解釈しか許しません。(5a)の‘as wide as’は、入り口と出口の幅が広くても狭くてもどちらでもよいような解釈を許しますが、一方、(5b)の‘as narrow as’は、入り口と出口の幅が広い解釈を許さず、両方の幅が狭い解釈しか許しません。

このように、正反対の意味を表すとされているペア表現が、比較の構文‘as ~ as ・・・’の中では、正反対と呼べるような関係にならないことは数多く確認できます。そこで、今回見てきた表現の各ペアにおいて、一般法則として言えることは、高い数値をマークする方にのみ中和作用がはたらいている、ということです。

つまり、‘old’「年齢値が高い」、‘tall’「身長の値が高い」、‘heavy’「重さの値が高い」、‘wide’「広さの値が高い」、というように、これらの表現は、数値で表す上での値が、ペアの相方となる表現のカバーし得る数値よりも高いという特徴があり、そのような表現は、‘as ~ as ・・・’の中では、ペアの相方がカバーする数値をもカバーできるように意味的な中和がはたらいている、と言えます。

そこで、高い数値をマークする表現 (‘old’、‘tall’、‘heavy’、‘wide’など) が、そうでない相方表現 (‘young’、‘short’、‘light’、‘narrow’など) を差し置いて、意味的な中和が起こるという、この優位性はどこからもくるものなのか、ということになるわけですが、その前に、これらの表現に関する、ある種の誤解を解く必要がありそうです。

今回出てきた表現は、全て、「メートル」や「キログラム」、といった独特の単位で表すことが可能な表現ですが、その全てが、「無」から「有」へと向かうやり方でしか表現し得ないというところにポイントがあります。つまり、数値ゼロから始まり、10、20、30、・・・、というように数値を伸ばしていく表現方法を取っているわけですね。

そこで、例えば、「背が高い」の反対表現が、「背が低い」であったとして、それを数値で表すとなれば、190cmの反対表現は、140cmである、などと単純な数値上の置きかえは不可能です。というのも、プラス (+) 190という数値の反対を、あえて言うならば、それは、マイナス (-) 190であり、「正」の数に対しては、「負」の数という概念が真の正反対ということになっているからです。

このように、コトバで表現する正反対と、数値上の正反対は、必ずしも一致するとは限りません。ここで、現実離れしていますが、架空の想定として、年齢300歳や400歳まで生きたヒトがいると考えた場合、そのようなヒトは、当然、アタマに「超」が付くほどのお年寄りであることになりますが、これが例え、500歳になろうと、800歳になろうと、それ以上になろうとも、コトバの上では、「老人」として、ひとくくりに表現されることに違いはありません。

一方、若者の場合は、ゼロ歳から始まって、精々30歳手前くらいが常識と考えると、極めて限られた狭い範囲でしか、その表現が許されないということになります。つまり、コトバの表現としては、「若さ」の概念は有限である一方、「老い」の概念は無限なわけですから、これらを正反対の概念というよりも、むしろ、「大 (老い)」の中にある「小 (若さ)」という捉え方の方が、より本質的な捉え方ということになります。

無限の中に位置付けられた有限は、言わば、相対的に、「点」の存在でしかなく、かなり特殊な概念と見なされます。ですので、無限の範囲をカバーする‘old’に対して、決められた範囲しかカバーできない‘young’は特殊な表現であると考えられるわけです。

以上のような考え方からすれば、もちろん、無限の‘tall’に対して、有限の‘short’、無限の‘heavy’に対して、有限の‘light’、無限の‘wide’に対して、有限の‘narrow’というような関係が、やはり並行的に成り立ちます。ですので、‘young’と同じく、‘short’、‘light’、‘heavy’といった表現は、やはり、特殊な表現という位置付けになると考えられます。

ここで、今回の中和作用の優位性に関して結論を述べると、中和作用の効力は、特殊な表現ではなく、一般性の高い表現に優位性がある、ということですね。では、以下のペアも併せて確認しておきましょう。

(6) a. Mary is as beautiful as Susan. (メアリーはスーザンと同じくらい美しい。)
   b. Mary is as ugly as Susan. (メアリーはスーザンと同じくらい不細工だ。)

(6a)の‘as beautiful as ’は、メアリーとスーザンが共に美しいという前提をもつ解釈が一般的です。つまり、‘beautiful’のもつ意味が中和されていません。一方、同様に、(6b)の‘as ugly as’も、メアリーとスーザンが共に醜いという前提をもつ解釈しかなく、その意味が中和されていません。というのも、‘beautiful’「美しい」と‘ugly’「醜い」は、真の正反対表現とされており、かつ、この関係は、もともと数値で表すことも困難だからです。

今回のポイントは、比較の構文‘as ~ as ・・・’「・・・ と同じくらい ~ だ」は、一見、正反対の意味をもつと思われる、‘old’-‘young’などのペアに対して、一方には意味的な中和作用がはたらくが、他方には、はたらかない、という不公平な意味的変化をもたらす傾向があり、それはどういった要因によるものなのか、ということです。

これは、‘old’「歳を取った」の反意語が、‘young’「若い」であるというようなコトバの上での常識が、数値上の関係で捉え直してみると、実は、正反対の概念であるというよりも、むしろ、「無限」の中に位置付けられる「有限」、つまり、「一般」の中に位置付けられる「特殊」というような関係であり、そういった本質的な関係が見逃されやすいために起こる一種の誤解が原因だったわけです。

今回見たように、比較の構文は、述語として使われる表現の意味に変化をもたらす場合がありますが、その要因を追求するのは容易なことではありません。今回扱った述語は、比較的、精度が高いものの、話者の個人差が出るような述語もあります。機会があったら、また改めて扱ってみたいと思います。

■注: 一見、反例になると思われがちですが、‘My grandfather is as young as my grandmother.’「俺のじいちゃんは、ばあちゃんと同じくらい若いよ。」というような表現がOKになる場合は、もちろん、年齢的な若さ、つまり、数値上の若さ、ではなく、歳の割にはピンピンしているぞ、というような意味で、いわゆる、「健康年齢」や、「精神年齢」といった別次元のものを対象にしている場合ですね。

●関連: EG105EG106EG115

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