ターフの風に吹かれて

一口馬主の気ままな日記です。
キャロットクラブの会員です。

第1回 名馬物語 ~オグリキャップ~

2010年01月14日 | ブログ
のちに競馬をとりまく世界を大きく変えるその馬は、
公営の笠松からやってきた。
その馬の名はオグリキャップ。

伝説が静かに始まった。


 1988年(昭和63年)

 3月6日 ペガサスS 1着
 3月27日 毎日杯 1着
 5月8日 京都4歳特別 1着
 6月5日 ニュージーランドT 1着
 7月10日 高松宮杯 1着
 10月9日 毎日王冠 1着


ペガサスSで中央デビューを飾ったあとは、破竹の重賞6連勝。
「ハイセイコーの再来、いや、ハイセイコーを超えた」。
地方からやってきた馬に贈られる言葉としては、
たぶん最高の賛辞だろうが、
オグリキャップにとってはただの気休めにしかならなかった。
クラシック登録をしていなかったために、その芦毛の怪物は、
当時の規則でクラシックには出走できなかったのである。

その鬱憤を晴らすかのように、
「制度」という不合理なしがらみに反発するかのように、
彼は走り続け、そして勝ち続ける。
それが、日本人の判官贔屓に火をつけた。
気がつけば、天皇賞という最高の権威で、
並みいる古馬たちを抑えて、
堂々の一番人気に支持されるまでになっていた。

伝説が加速をつけて膨らんでいく。


 10月30日 天皇賞・秋 2着
 11月27日 ジャパンカップ 3着
 12月25日 有馬記念 1着


同じ芦毛のタマモクロスとのG1における三度にわたる闘いが、
個人的にはいちばん印象に残っている。
オグリキャップが唯一本気で勝てなかった相手、
それがタマモクロスだった。
そういう意味では、オグリキャップの真のライバルは、
スーパークリークやイナリワンではなく、
タマモクロスただ一頭だったともいえる。
古馬になってからもオグリキャップは、懐かしくも切なく、
タマモクロスの背中を追いかけていたように思えてならない。

それはともかく、
そのどうしても勝てなかった最強馬タマモクロスに、
三度目の挑戦で、グランプリという最高の舞台で、
しかも、タマモクロスの最後のレースで勝利するところに、
オグリキャップの他の馬とは違うカリスマを感じずにはいられない。
特別な星の下に生まれた馬。

伝説が大きく飛翔する。


 1989年(平成元年)

 9月17日 オールカマー 1着
 10月8日 毎日王冠 1着


脚部故障で春を全休したオグリキャップの復帰は秋のオールカマー。
続く第2戦が「あなたが選ぶ名勝負」なんていうアンケートを取ったら、
たぶん上位にランクされるであろう、あの毎日王冠。
イナリワンとの壮絶な叩き合いが今も鮮やかに目に浮かぶ。
脳裏に焼き付いて離れない。
まさに勝負としての競馬の面白さを堪能させてくれたレースだった。

ここらあたりからオグリキャップのレースから目が離せなくなる。
何かが違う。
ほかの馬のレースとはどこか違う。

一言でいえば「面白い」となるのだが、オグリキャップは、
確かにレースで一種独特の雰囲気を醸し出すようになる。
そういえば、場内の雰囲気が変わってきたのもこの頃だったか。
そう考えると、もしかしたらあの毎日王冠が、
エポックメーキングだったのかもしれない。
競馬の本質はもっと別のところにある。
多くの者がそう気づき始めた。

伝説が感動とともに頂点に達する。


 10月29日 天皇賞・秋 2着
 11月19日 マイルCS 1着
 11月26日 ジャパンカップ 2着
 12月24日 有馬記念 5着


この秋のローテーションには、ひとつ余分なレースが入っている。
マイルCSである。
天皇賞から中2週でマイルCS、
さらには連闘でジャパンカップと続くローテーションは、
どう考えても過酷だ。
馬の言葉も話せないくせに、
したり顔で「かわいそう」などという気は毛頭ないが、
それにしても常識はずれではある。

しかし、オグリキャップはどんなときでも全力で走る。
懸命に走る。
マイルCSでのバンブーメモリーとの死闘。
奇跡の末脚、ハナ差の勝利。
ジャパンカップでのホーリックスとの死闘。
2分22秒2、驚異の世界レコード。

その一生懸命さが胸を打った。
勝負に対するあくなき執念が人の心をつかんだ。

伝説が一気に爆発する。


 1990年(平成2年)

 5月13日 安田記念 1着
 6月10日 宝塚記念 2着
 10月28日 天皇賞・秋 6着
 11月25日 ジャパンカップ 11着


それが結末への布石ならば、
どんなミステリー作家も恥ずかしくて書けないような、
陳腐でありきたりな筋書きだが、
しかし、単純なものほど逆にトリックとしては優れている。
誰もがオグリキャップは終わったと思った。
熱狂的な信者でさえ否定できない、復帰後2戦の惨めな敗戦。
すべては布石だったのか。
すべては伏線だったのか。
ならばオグリキャップは、最高のエンターテイナーだ。

伝説がゆっくりと終焉に向かっていく。


 12月23日 有馬記念 1着


オグリキャップの競走馬としての伝説は、
激しく燃えながら幕を閉じた。

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