たっきーです。
今日は0のつく日、2月20日です。
0の付く日のシリーズ第二章の始まりです。
がん患者の方、その家族の方の何かの参考になれば幸いです。
「癌から奇跡の復活 ・ 第2章①」
【抗癌剤治療第2クール】
~体力の衰えと痛みとの戦い~
第1章で入院してから化学療法や放射線治療の
副作用等についていろいろお話ししました。
第二章ではその後の治療について引き続き書いていきます。
現役をリタイヤして5ヶ月目で病気が発覚し、
入院して40日を過ぎると元の会社のことなど
全く気にならなくなっていましたが、
この日だけは会社のことが夢に出てきました。
副作用なのか睡眠不足のためなのか、ものすごく不思議でしたが、
理由はなぜかはわかりません。
この頃から放射線治療の影響で喉は、
欠伸をしただけでも痛みがあり、口の中は常に乾燥気味でした。
部屋に加湿器を置いて常にマスクを着用することにより、
痛みは少し和らぎました。
そして、化学療法の第二回目のスタートとなりましたが、
その前には吐き気止めの点滴やカプセルの服用、
そして尿の量のチェックなどいろいろなことがあります。
私は右利きですが、これまで左腕に点滴をしていたことが多く、
特に不便さを感じることはありませんでしたが今回は右腕です。
口の中は常に清潔にしておくことが大事ですので、
毎日数回のうがいや歯磨きなどで右手を使うことも多く
それが使えないということは不自由ですが、
実は左手も少しは使えるので助かりました。
しかし、病室ではベットからの乗り降りや診察を受けるには
さすがに不自由で,ベッドの向きを反対にしてもらったところ
少し楽になりました。
これも精神的にイライラしないで過ごす事ができた
大きな要素の一つでした。
ちょっとしたことかもしれませんが、自分でできる小さな改善の
積み重ねが病院でのQOL(クオリティーオブライフ)を
高める方法だと思います。
入院して44日目、放射線治療27回終了(残り6回)。
この日の体重は入院時に比べてマイナス7.3キロ。
喉の痛みで食事が十分に摂ることができず、
出てきた食事は常にお茶や水で流し込む状態で 体力は衰えていましたが、気力だけは全く衰えていませんでした。
そんな中での抗がん剤治療第2回目、
5日間(120時間)連続の点滴が始まりました。
またもや絶え間なく続く、点滴のマラソンです。
これがが始まると夜中も含めてトイレに行く回数も増え、
尿の量も計測をしなければなりません。
ちょっとした事でも点滴は落ちなくなり、 管に血が逆流してしまいます。
常に点滴に集中しているわけではないのでふと気付いて
赤くなった管を見ると心配になり、慌てて点滴中の腕を下げる始末です。
このときは利き手が使えないことが,いかに不便かを痛切に感じましたね。
抗がん剤の点滴が始まって今回も吐き気などの
副作用はありませんでしたが、
第1回目との違いは、日毎に体がだるく
何もやる気が起こらず辛くなることでした。
先生から「これで腫瘍が消えれば良いですね。
年末年始は外泊で自宅に帰れるかもしれませんよ。」と声をかけてもらいました。
自分の中に「よ~し頑張るぞ!」という強い気持ちが起こり
いつものように「必ずうまく行く」と念じながら過ごしていました。
しかし、抗癌剤治療の後半には熱も出はじめ喉の痛みは一層強くなり、
吐き出す痰には血も混じるようになっていました。
さらに白血球も減少し第2クール最後の5日目、
やっと抗癌剤を含めた点滴が終わったと思って喜んでいたら、
今度は体力の衰えがひどくなり、
続けて今度は栄養を含む抗生剤などの点滴が始まりました。
点滴をするところは、なんでも同じ場所での点滴は4日間までらしく、
今度は左腕ですがこの頃には針を刺すところがだんだんなくなり、
自分の目で見ても針の刺した跡があちこちにはっきりわかります。
「あぁ点滴はもういやだ!」と心底思いました。
この様子ではもう血管もぼろぼろになったのではと心配になります。
世の中クリスマスで楽しんでいる中、 私は食事も摂れず痛みは強くなり、
ついに痛み止の座薬を使うほどになってしまいました。
これで、楽しみにしていた年末年始に自宅に帰ることを諦めました。
この時思っていたのは、辛いのは自分だけではない!
妻も仕事が一番きつい時期で
私の面倒をも見なくてはならない状況の中で、
「弱音は吐かない!」と自分に言い聞かせていました。
入院53日目、2011年12月31日、
仕事終わりで病室に来てくれた妻と
「お互いに未来を見つめて、来年は楽しい生活を
送ることが出来るようにしょうね!」と確認し、
人生,初めて病室での年末年始を過ごすことになったのでした。
次回へ続く
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