松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

聖地・松山櫨 その4

2007-02-28 22:08:05 | 復活奮闘日記
中川社長は橋本さんの奥さんに
知り合いの櫨農家の方々の名前を
次々に尋ねましたが、
ほとんど全員が亡くなっていました。
「ああ、私が一番若かったけんの。」
と中川社長はつぶやきました。

まだ櫨産業が盛んだった頃、
中川社長は最も若き櫨蝋業者として、
生産した木蝋を海外までも輸出しており、
その木蝋はJAPAN WAXとして
高い評価を得ていたのです。
時代は移り代わり、
その中川社長も今では78才になります。

私はふと、中川社長が私と一緒に来てくれたのは
自分の目で、もう一度松山櫨を見ることと、
櫨農家の方々に、もう一度会いたくなったからではないかと気づきました。

櫨の実を介して、
互いに情熱を注いだ時代を共有できる人たちに、
もう一度会えないだろうかと。

「櫨蝋はね、物は抜群に良いとばってんか…。」
製蝋業を続けられたならどんなによかったか。
口には出さずとも、中川社長の
櫨蝋に対する切ない想いが伝わってきました。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

聖地・松山櫨 その3

2007-02-27 21:54:52 | 復活奮闘日記
坂を登って松山櫨の持ち主であり、
櫨農家だった橋本家に立ち寄ることになりました。
玄関に出迎えたのは奥さんの方でした。
「(ご主人は)元気しよんなさるですか?」
中川社長が聞くと、
「ううん。もう年やけん。」と、
奥さんは少し悲しそうな笑顔で答えました。

「私が嫁にここ(橋本家)に来たとき、
大きなカゴがいくつもあって、
何やろか~って思っとった。
ほら、櫨の実の収穫の時に、
カゴを背負って木に登ると。
そりゃもう、トラックに何台分も。
たっくさんの櫨の実を採りよったとよ。」と
懐かしげに当時の様子を話してくれました。

奥さんによると、昔は他の場所にも
多くの松山櫨を植えていたそうですが、
その全てが宅地開発やレジャー施設のために
切り取られてしまったそうです。
また後継者がおらず、高齢となり
病気にかかったご主人は、
唯一残った櫨の木に登って採取することも
到底かないません。

私は振り向いて櫨の木を見上げました。
日が傾き、松山櫨に巻き付いたツタの葉に
その影を落としています。

もう何年も前から、櫨の実はちぎられていなかったのです。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

聖地・松山櫨 その2

2007-02-26 23:35:18 | 復活奮闘日記
いろいろと回り道をしながら、
ついに本物の松山櫨にたどり着きました。
朝倉市矢野竹集落。
櫨蝋屋さんが断言する、
たった一箇所のみの生息地です。

樹齢100年はたっているような、
大きな櫨の木が、高い崖に沿って
静かに力強く根を下ろしています。
しかし、その幹にはツタに囲まれ、
手入れされていないのが一目瞭然でした。
櫨の実がまだいくつも残っています。
実が2月上旬になった今でもついているというのは、
もうすでに誰も採取していないことを意味しています。
実の付き方を見て、中川社長は、
少なくとも二年以上は採取してないと指摘しました。

「松山櫨の実は本当は白いのに、
採取しないから病気になって茶色になっとる。
きちんと採取すれば、ちゃんと大きな実がつくのに、
今は木に登って実を採るもんがおらんとよ。」
中川社長の深い嘆きが身にしみました。

櫨の実は磨けば輝く「珠」なのだ、と例えた人がいます。
磨かなければ、ただの石になってしまう。

昔、光輝いていた松山櫨は、
今また、ただの石に戻ろうとしていました。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

櫨の木を見つけた

2007-02-25 23:05:04 | 美しい風景
今日はちょっと一休みです。
朝のジョギングでコースをちょっと変えたら、
偶然、なんと櫨の木を見つけました。
最近櫨の事ばかり考えているので、
なんとなく出かけると植木とかに
目が行くようになったせいかもしれません。

ジョギングコースといっても、
以前からよく通るコースだったのに、
今まで全く気づきもしなかった事にも驚きです。
櫨の木は昔からそこにあったのに。
自分が目の前にあるものをいかに見ていないか
思い知らされました。

櫨の木は例外なく水路の土手などに残っているようです。
今回の木もそうでした。
以前はもっと畑にたくさん植えてあったそうですが、
そんな居心地のいい場所は
すでに柿とか葡萄に取られてしまいました。
土手の改修工事があれば、
まっさきに伐採されてしまいます。
たまたま人の目にとまらない場所に生息した櫨だけが
かろうじて生き延びているといった感じです。
できることなら、このまま生き延びて欲しい。
そう願わずにはいられません。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

聖地・松山櫨 その1

2007-02-24 18:56:27 | 復活奮闘日記
朝羽大橋を渡って、一路朝倉市へ。
巨大な寺内ダムへ登っていく時、
重力がかかって耳がキーンと鳴りました。
「ああ、山奥へ入っていくんだなぁ。」
と実感しているうちに、もう到着です。
あれ?
2時間くらいかかると覚悟していたんですが
意外にも車で15分くらいで到着。
ちょっと拍子抜けです。
こんなに近かったとは!

車を止めて、坂を歩いてゆるゆる登ると、
山の崖に数本の大きな櫨が生えています。
「これが松山櫨じゃ。」
と中川社長が見上げながらつぶやきました。

私は、とうとう本物の
「松山櫨」にたどり着いたのでした。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

中川製蝋 その4

2007-02-23 16:41:26 | 復活奮闘日記
中川社長の好意により、思い立ったが吉日。
もうすぐお昼だというのに、お昼御飯も食べないで、
なんと寺内ダムの向こう、
朝倉市矢野竹集落へ行くことになりました。

中川社長が車をとってくる間、
私はガソリンスタンドで待機しながら、
ちょっと落ち着かなくなりました。
なんせ寺内ダムの向こうです。
飲み物とか食べ物が必要になるかもしれません。
あわてて自動販売機を見渡しますが、
手近にあったのはリポビタンDでした。
持って行って山で捨てるのもなんなので
とりあえず気を落ち着かせるために
リポビタンDを一気飲みです。
ふぅ~。

そうこうしているうちに、
中川社長が車を運転してきました。
黒いベンツです。
いい車に乗るのは緊張するものですが、
実際には後部座席に乗って快適な山への旅です。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

中川製蝋 その3

2007-02-22 19:14:40 | 復活奮闘日記
朝倉市寺内ダムは、ダムですから、
当然山の中にあります。
正直言って、私は基本的に街中でしか
車を運転したくないタイプです。
誰も通らないような山道を上ったりするのは
あまり好みませんが
今度ばかりは、そうも言っていられません。

ダムの近くに生えているってことは、
人間が踏み入ることのできる場所だといいんですが。
自分が行って、もし山の中で迷子になったら?
考えてると、次々に不安が押し寄せてきます。
しかし、松山櫨の復活のためには、
実際に自分でその場所に行かなくては。

私は中川社長に聞きました、
「その松山櫨、どの辺りにあるんですか?」
中川社長は場所を説明しようと、
う~んとうなってから、
「ちょっと行ってみようか。今から。」
ええっ!今から??
あまりの突然さにびっくり仰天です。
その日は晴天。ドライブにはいい日よりですが、
もうすぐお昼になろうとしています。
「昼飯は、食べんでもいいや。行こう。」と中川社長。
わざわざ一緒に案内してくれるなんて
願ってもないことです。
昼ごはんなんてどうでもいい。
私は、行くしかない!と即座に決断しました。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

中川製蝋 その2

2007-02-21 20:06:11 | 復活奮闘日記
竹野の実を「松山櫨」だとお墨付きをもらうために、
筑後地域中の櫨蝋屋さんを訪ねる予定だった私ですが、
最初の一軒目、中川製蝋から即否定されてしまい、
そうそうに行き詰まってしまいました。

結局、自分が聞き回ってわかった事は
どうやら自生・あるいは野生化した櫨の品種を
突き止めるのは、非常に困難だって事です。
採取した実は状態が悪いし、
櫨の品種は約100種もあり、
しかも松山櫨の基本的なデータが不足しています。

当惑する私に、中川社長は断言しました。
「松山櫨はもう朝倉市寺内ダムの矢野竹集落しかない。
そこだけは確かやけん。」

そうでした!
森林林業技術センターで聞いた、
朝倉市寺内ダム近くの『伝・松山櫨』です。
こうなってみると、もうそこが最後の砦です。

かくなる上は、朝倉市寺内ダム近くの
『伝・松山櫨』の在りかへ行って、
松山櫨がまだ生息しているかどうか
自分の目で確認しなければなりません。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

中川製蝋 その1

2007-02-20 16:49:21 | 復活奮闘日記
いよいよ竹野の櫨の実を持って
中川石油(元中川製蝋)に行く日です。
ガソリンスタンドの事務所で
中川社長にご挨拶し、
今までの経緯を説明しながら
私は竹野の実を取り出しました。
いったい何と判定されるでしょうか。

中川社長は実を触りながら確かめます。
ちょっと渋い顔です。
私は心なしか上目づかいに中川さんを見て
「これ、松山櫨です…よね、ね?」
「…いや、違うごたる。」
またまたガックリです。
なんとか松山櫨だと
言ってくれないかなぁと心の中で訴えてましたが、
そこはやっぱり櫨蝋のプロ。
妥協するワケがありません。

おまけに実について厳しく批評し始めました。
「松山櫨より粒が小さいごたる。
それに病気持ってるから色も変わってるし、
これじゃ値がつけられん。
こんなに状態の悪い実を扱った事ないもんな。」

まるで現役の櫨蝋業者から
ケチョンケチョンにけなされた
櫨農家の新米みたいな気分になってきました。
「こうやって房全体を持って触るやろ?
そうすると蝋のたっぷり入った実は
ほら、柔らかくて弾力があるとよ。
松山櫨は蝋分がたくさん入っていて
2割増しで買い付けせんといかんかった。」
まるでつい昨日、
松山櫨を買い付けたかのような話しぶりです。

とはいえ、一件目から判断不能と鑑定された以上、
私の櫨巡礼は早々に行き詰まってしまいました。
こんなはずじゃなかったのに…。
思わず目が虚ろになってしまう私。

次はどんな行動をとればいいんだっけ?
それを思い出させてくれたのは
目の前にいた中川社長でした。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

最後に残った竹野の実

2007-02-19 20:36:13 | 復活奮闘日記
最後に残った田主丸町竹野の櫨の実(画像)。
この実を櫨蝋屋さんに見てもらい
「松山櫨」だとお墨付きをもらうのが
「松山櫨」証明書への必須条件です。

櫨蝋屋さんが今も現役なのは
福岡県で荒木製蝋だけですから、
すでに廃業されている櫨蝋屋さんの所にも
行く必要があります。
以前、福岡県筑後地域には、荒木製蝋の他に
歴史のある3軒の櫨蝋屋さんがありました。

まず私は、三軒の内、家から一番近い
うきは市吉井町の中川製蝋(現・中川石油)から
訪ねることにしました。
おそるおそる電話をして、
「櫨の実を見て下さい」と頼むと
「いいですよ。見てみまっしょ。」
と快い返事が返ってきました。

果たして竹野の実は、
無事松山櫨と判定されるのでしょうか。

こうして、期待と不安を感じながら、
またまた櫨の実を持って
私の「松山櫨」を探す旅が始まりました。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

庄山

2007-02-18 19:51:16 | 美味しい食事
今日はまたちょっと一休み。
こないだ、うきは市吉井町にある庄山に行きました。
っていうか、実をいうと
最初は「香森の館」へ行こうとして、
のれんをくぐってみたら、
なぜか「庄山」に入ってました。
この二つは同じ建物の隣り合わせだったのです。
しかも二つとも似たような感じで、
「庄山」に至ってはのれんでしか
店の名前がわからない。
ま、どっちでもよかったんですけどね。
それに美味しかったので結果オーライってことで。

食べたのは「香草焼き定食 820円」
ハーブの香りのする豚肉を口にいれると、
ふんわりと柔らかくて食べやすかったです。
でも、後で他の人が頼んだカツカレーを見ると
無性に食べたくなったりして。
どうして、他の人が食べてるものってのは
いつも美味しそうに見えるんでしょうね。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

今までのまとめ その1

2007-02-17 19:09:19 | 今までのまとめ
江戸時代に久留米市田主丸町の
耳納山で発見された松山櫨。
現在では、松山櫨どころか、
美しかった櫨の紅葉も
すっかり失われてしまいました。

その松山櫨を復活させるためには
まずは松山櫨の木を探さなくてはなりません。
そこで、松山櫨を求めて、
耳納山にわずかに自生している櫨の実や、
福岡県緑化センターに生えている櫨の実を採取して
荒木製蝋へ行きましたが、わからずじまい。
その後、新たに田主丸町竹野で採取された櫨の実を加えて
森林林業技術センターへ行きましたが
やっぱりわからずじまい。

しかし唯一わかったことは
竹野の実を経験豊かな複数の櫨蝋屋さんから、
櫨の実を判定してもらい、
「松山櫨」だとお墨付きをもらいさえすれば
それは「松山櫨」になるということ。
私は手持ちの櫨の実を持参して
櫨蝋屋さんを回る巡礼旅?に
出ることにしました。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

森林林業技術センター その6

2007-02-16 19:36:05 | 復活奮闘日記
Iさんは、昭和の初めに記録された書類とかを
めくって松山櫨の記述を探してくれました(画像)。
また、私が長いこと松山櫨のことで粘って
帰らないので少々疲れていたのかもしれません。
それとも早いところ松山櫨の話にケリをつけたいと
思ったのか、それはわかりませんが、
ともかく松山櫨として証明される手段として
ある条件を私に提案したのでした。
「もし、この竹野の実を複数の櫨蝋屋さんが
「松山櫨」だと言ったら、
それは松山櫨と言ってもいいでしょう。」
なんと!
みんながこれを「松山櫨」だと言えば
それは松山櫨なんだ!

まるで署名活動みたいですが、
経験豊かな櫨蝋屋さんの判断を積み重ねる事で、
高い確率で「松山櫨」だと証明できます。
そもそも100%の松山櫨が存在しない以上、
真の松山櫨に近づくにはこの方法しかありません。

新たな展開です。
この竹野の実を持って
筑後地域中の櫨蝋業の方々を訪ねて
松山櫨というお墨付きをもらいさえすればいいのです。
私はやっと光明が見えてきたような気がして
ようやく森林林業技術センターをあとにしたのでした。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

森林林業技術センター その5

2007-02-15 20:08:18 | 復活奮闘日記
Iさんが何かを思い出したような素振りだったので、
私は思わず
「緑化センターの櫨の木は松山櫨だった!」
とかなんとか、Iさんが言い出すのではないかと、
つい期待してしまいました。
「そうです。この櫨の実は、緑化センターのSさんが
わざわざ園内の櫨の実を拾ってくれたんです。」
と私はSさんの写真を指さしました。
Iさんはコクンとうなずくと、
「あの櫨の木は私が植えたんです。
あれは松山櫨じゃありません。
これだけは間違いない。」

がーん
わざわざ4種類の櫨の実を採取したのに、
全てハズレだったとは。
泣きっ面に蜂とはこの事です。

結局、松山櫨かもしれない櫨の実はたったの2種類。
そのうち1種類はミイラになっていて判別不可能。
最後に竹野に自生している櫨の実のみが
松山櫨候補となりました。
竹野の実は外見上、非常に『伝・松山櫨』に似ています。

現在、朝倉市の松山櫨の木がどうなっているのか、
状況がまったく不明なので
すぐに朝倉市の『伝・松山櫨』に
飛びつく気にはなれません。

できれば竹野の実が松山櫨であってほしいけど、
どうやったら竹野の実が松山櫨だと証明できるのか…。
頭を抱える私に、Iさんは見かねたように
ある助言をしてくれました。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ

森林林業技術センター その4

2007-02-14 19:54:48 | 復活奮闘日記
たった一箇所しか
確認されていない『伝・松山櫨』
私がその在りかを尋ねると、
Iさんは、その『伝・松山櫨』の実を取り出しました。

「朝倉市の寺内ダムの近くにある櫨の木だけが
今のところ松山櫨だと言われています。」

これこそが本当の松山櫨…。
私はじっとその『伝・松山櫨』を見つめましたが、
どうもさっきの宇佐市産松山櫨が
「松山櫨じゃない。」
と否定されてしまったショックで、
これも本当に松山櫨なのか?と
疑念の方が先に立ってしまいました。

それで、さっきの宇佐市産松山櫨と
『伝・松山櫨』や他の品種とを
丹念に比べていくことにしました。
すると、次の事が判明。
○サンプルの宇佐市産松山櫨は、
明らかに昭和福櫨よりも大きいので、
昭和福櫨ではない。
○伊吉櫨は実の粒が大小あるのが特徴で、
宇佐市産は比較的粒が揃っていることから、
伊吉櫨でもない。
○朝倉市の『伝・松山櫨』より若干大きいので、
同じ松山櫨でもない。
○結論・どうやら宇佐市産松山櫨は葡萄櫨に一番近い。

葡萄櫨に恨みはありませんが、
まるで我が子だと思ってたら
実は他人だったとわかった時のようで、
喉に苦いものがこみ上げてきました。
これ以上、この宇佐市産にはこだわらない方が良さそうです。
その時、Iさんがふと、
「これ、緑化センターの櫨の木なんですか?」と
急に何かを思い出したような顔をしました。

↓押してくださると励みになります。

人気blogランキングへ