松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

聖地・松山櫨 その4

2007-02-28 22:08:05 | 復活奮闘日記
中川社長は橋本さんの奥さんに
知り合いの櫨農家の方々の名前を
次々に尋ねましたが、
ほとんど全員が亡くなっていました。
「ああ、私が一番若かったけんの。」
と中川社長はつぶやきました。

まだ櫨産業が盛んだった頃、
中川社長は最も若き櫨蝋業者として、
生産した木蝋を海外までも輸出しており、
その木蝋はJAPAN WAXとして
高い評価を得ていたのです。
時代は移り代わり、
その中川社長も今では78才になります。

私はふと、中川社長が私と一緒に来てくれたのは
自分の目で、もう一度松山櫨を見ることと、
櫨農家の方々に、もう一度会いたくなったからではないかと気づきました。

櫨の実を介して、
互いに情熱を注いだ時代を共有できる人たちに、
もう一度会えないだろうかと。

「櫨蝋はね、物は抜群に良いとばってんか…。」
製蝋業を続けられたならどんなによかったか。
口には出さずとも、中川社長の
櫨蝋に対する切ない想いが伝わってきました。

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