エホバの証人の下半身事情

厳格な性道徳を実践すると主張するエホバの証人。ほんとはどうなの?全部暴露しちゃいます。うらみつらみも全部ね。

寅午

2006-05-24 21:29:36 | Weblog
最近、大学の授業で、乳幼児期の虐待の仕組みと、回復支援についての講義を聴いたんですね。そんな虐待の話を色々聞いているうちに、ふと、「エホバの証人」のムチについて思いを巡らしてしまったわけです。
反エホ系のサイトでは必ずと言っていいほど出てくる「ムチ」の問題。
最近も人気の反エホブログで「ムチ」のテーマにかなりの感情的なコメントがついていました。でもよく考えるとコメントを書いている人が実際にムチを経験したのはたぶん10年以上前、もしくは30年近く前の話だと思うんですよね。でもそのときの様子をありありと覚えており、その時の感情や、痛み、ムチ打つ人の表情、その声、セリフ、ムチに至った経緯、ムチ打たれた後の会話、日常においてのムチにつながる状況などを鮮明に覚えており、かつそのとき(10~30年前)の体験に基づいて今現在いろいろ語り、怒り、悲しんでいるわけです。
そのように考えるとこの「ムチ」の問題はかつてエホだった人に大きな心の傷を残しているかなり深刻な問題であると言えるでしょう。
「愛のムチ」という言葉があるように、ムチが愛情の裏返しだという主張はまあ受け入れられないわけではないんですけど、エホ信者のムチがもれなく「愛のムチ」かというと、それは全く違う!!!と言えるんですね。
親たちがムチを打つ動機に関しては「はる曲げ丼で滅ぼされないため」とか「エホバから預かっている子供をエホバの崇拝者にする義務があるため」とか「未信者を信者にするには子供の良い振る舞いが不可欠だから」とかまあ表向きはそんなもんでしょうが、ムチを打たれる方としてはそんなのどうでもいいわけで、いつも腑に落ちない理由で痛みに耐えているわけです。この理解できない理由で理不尽な苦痛を与えられるということがエホの「ムチ」が悪である主な理由だと思うんですね。
万引きをしたから親に殴られるとか、スカートめくりをしたから親に殴られるとか、エロ本を隠し持っていたのがばれて親に殴られるとかの理由であれば、後々それを思い出したとしても、「俺は虐待を受けた」と主張することはまず無いかとオモイマス。でもエホの場合は「不従順」という容疑で容赦なく「ムチ」打たれますし、理由も後付けで宗教的で子供には理解不能で、オトナでも理解不能な理由ですから、後に残るのは不信と怒りだけなんです。
虐待としつけはどう違うのか?というと1000組2000人の夫婦を対象にした子供の養育に関する調査によると、
「ついイライラして子供を叩いてしまう事がある」という質問にハイと答えた夫婦が50%以上いたそうです。
「ついイライラして子供を叩いて、止まらなくなった事がある」にハイと答えた夫婦は数%だったそうです。
虐待といえるのは後者の方ですね。元エホの我々が「ムチ」の記憶を呼び起こしたときに真っ先に思い起こすのが鬼のような形相で何かにとり憑かれたようにムチを振り下ろす親の顔ではないでしょうか?感情むき出しで、「不従順ですからムチです~~~!!!」と叫ぶ姿はまさに「ついイライラして子供を叩いて、止まらない」状態ですね。つまり虐待です。
虐待の恐ろしさは子供が本来親や、社会に対して持つべき「基本的信頼」を打ち壊すかもしくは信頼が形成されなくすることです。ですから虐待経験者は自己評価が恐ろしく低い人間になる場合が多いです。自分に自身が無かったり、生きている価値がないと考えたり、その反動で、空威張りをしてみたり、危険な行為に身を晒したり、いろいろです。
そんな虐待経験のあるものが風化せずに残り、人生に多大の影響を与えるようになったものを「トラウマ」と呼んでいます。「トラウマ」の特徴は風化しない記憶であるということだそうです。「ムチ」の状況を何十年たった今でもありありと思い出すことが出来ますし、その時の声の調子や目つきを覚えていますし、虐待具を見たときに言いようのない感情が沸きあがってくる事があります。
つまり「トラウマ」、詳しく言うと「反復性トラウマ」の症状が出ているといえるかもしれないわけです。
問題はこうしたネット上でムチ体験を発言している人の症状は軽い方だということなんですね、虐待経験を語れるようになっているということは回復の兆しとも言われています。まだ自分の経験を語れない人たち、ネットすら禁止されていて、どこで感情を表したらよいか分からない人たち、また、虐待を受けたことを忘れている人たち、虐待を受けたにもかかわらず受けていないと主張している人たち、これらはもっと危険だそうです。
最近は「ムチ」を経験していないエホ2世が闊歩しているみたいですから、「ムチ」の被害は少なくなっていくのかもしれませんし、エホ3世がどのように育っていくのかもわかりません。虐待の連鎖という問題がおきるのかどうかも時間が経ってみないとわかりませんね。
でもエホの親の持つ基本的な心の働きに関する問題が解決されない限り「ムチ」問題というか子供に対する身体的、心理的虐待は無くならないとオモイマス。その問題とは「子供を従順にさせる事が正しい」という信念です。力ずくでも従順にさせることが正しく、不従順、反抗は大きな罪であるとの認識が根っこにある限り問題は無くなりませんね。
エホの親がどんな動機で「ムチ」を打つのかについて面白い話がありますので詳しくはまたいつか

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1 コメント

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興味深かった。 (ばうちん)
2006-05-25 15:34:50
いや、非常にいいまとめだったです。

確かに、言える状況ってのは、回復の兆しでありますね。

客観的に書かれてる分、こちらが教わる事も多いですなぁ。



うん。俺には書けない秀逸な記事でした。

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