「闇から牛」と書いて、「やみから牛」か「くらやみから牛」と読むほかに、「くらがりから牛」という、昔からの伝統的な読みが、あることを教えられて、「闇」は「くらがり」と読むのだと、はずかしながら知った記憶がある。
今度、「広辞苑」の新版がでたと云うが、まだ見ていないからなんともいえないけど、手元にある「広辞苑」で調べてみると「暗・闇」として(くらやみ)と別立てで(くらがり)の引用があった。
「大辞林」では「暗・闇」から牛を引き出す。とあって「広辞苑」と同じだが、「暗がり」からという表記になっていた。
そこで手元にある角川の「新類語辞典」でしらべて、なんと親切なことには「闇」くらやみ)は、世の中のが乱れて見通しが立たないことにたとえられる」という。言葉がそえられていて、先の辞典よりは、ずっととわかりやすかった。
「暗がり」は明治、大正の時代には、多くの人々の常識であったようだが、現代では、どうなんだろう。言葉は読み(訓)もふくめて変わっていく。
それにしても新版の「広辞苑」には一万語もプラスされていると云うが、その影で消えていった「死語」はないんだろうか。
そうだとしたら辞書は言葉の墓場ではないということになる。辞書は言葉の活動の場なのだ。とおもうと「死語」のゆくえについて、~役割を終えて忘れ去られた言葉の末路~は、人間の命運にもにて淋しい。(他愛もないことをふと考えている)
今度、「広辞苑」の新版がでたと云うが、まだ見ていないからなんともいえないけど、手元にある「広辞苑」で調べてみると「暗・闇」として(くらやみ)と別立てで(くらがり)の引用があった。
「大辞林」では「暗・闇」から牛を引き出す。とあって「広辞苑」と同じだが、「暗がり」からという表記になっていた。
そこで手元にある角川の「新類語辞典」でしらべて、なんと親切なことには「闇」くらやみ)は、世の中のが乱れて見通しが立たないことにたとえられる」という。言葉がそえられていて、先の辞典よりは、ずっととわかりやすかった。
「暗がり」は明治、大正の時代には、多くの人々の常識であったようだが、現代では、どうなんだろう。言葉は読み(訓)もふくめて変わっていく。
それにしても新版の「広辞苑」には一万語もプラスされていると云うが、その影で消えていった「死語」はないんだろうか。
そうだとしたら辞書は言葉の墓場ではないということになる。辞書は言葉の活動の場なのだ。とおもうと「死語」のゆくえについて、~役割を終えて忘れ去られた言葉の末路~は、人間の命運にもにて淋しい。(他愛もないことをふと考えている)