え~はなし

いらっしゃい!コメントしてね!

ライバ、ル?いや、違いますっ!

2005年05月31日 | 生活
先週末のこと、妻が耳打ちしてきた。

曰く「どうやら幼稚園でお気に入りの男の子ができたらしい」
その男の子の話を繰り返しするので、妻が
「ひょっとして××くんのこと、好きなの?」
と訊いたら
「そんなんじゃないけどぉ~」と言ったらしい。

ふ~ん。
で?

「いやぁ、父親としてどんな気持ちかな?と思って」

別に。

ま、幼稚園行くようになればそんなこともあるんだろうなぁ、程度だね。
そんなに動揺しないよ。言っとくけど。

で。

数日後、居間でみんなでいるときに本人に訊いてみた。
「ねぇ、××くんが好きなの?」

照れながらこっくり頷く娘。

・・・

ありゃ?
なんだこりゃ。

相手はたかだか幼稚園児では・・・ないか。

ん?

認めたくありません。
ジェラってるなんて。

何照れてんだよ。
照れるんじゃねーよ。

ニヤニヤしながら私の顔を覗き見る妻。
何?
何か文句あんの?

で、今日。

娘を寝かしつけて戻ってきた妻。
「ねぇ、寝る間際に凄~く可愛いこといったんだよっ!」
「何?」
「『××くん大好きっ!』って一言言って寝たの!」

だ、ダイスキっつって・・・お前・・・

ガーッ!!


やめられません

2005年05月30日 | 食ったぜ!
本当に数ヶ月にい一回だが、家系ラーメンがどうしようもなく食べたくなる。

幸い、大船駅周辺には家系ラーメンが4軒?くらいある。
ほんの数年前までは無かったんだから、それに比べると選択肢が多くなった。

で。

私が大船でよく行くのが「寺田家」。
確か、横浜の環状2号沿いにあるのが本店のはずだから、ここは大船店かな?

でもま、比較的早めに大船に進出したこともあり、結構よく行く。
場所の吉野家の近くだから、目に付いたのかも知れない。

「痩せたいなら、ラーメン止めるだけでも全然変わりますよ」
と私のチームのトレーナーに力説された店でもある。

ごめん。
やっぱりラーメンは止められません。
(痩せる気がありませんだろっ!という罵声が聞こえる・・・)

写真は寺田家のウリの「青ねぎラーメン」
「ねぎがダメなんだよね~」という会社の先輩が失神しそうなくらいネギが載っている。
これをスープに浸し、中から麺を取り出して食うのが美味い。

メシ食いそびれて深夜に帰るときによく寄ります。はい

あるかまくらにすむ・・・

2005年05月29日 | ほろり
そよ風が気持ちいい午後、着の身着のまま娘と散歩。

住みなれた街。歩きなれた道。

途中で立ち寄ったコンビニで妹のお菓子も一生懸命選ぶお姉ちゃん。

帰りは長い坂道。

・・・荷物は私がもつの。

頼りになるね。

よいしょ、よいしょ・・・



・・・パパ。

ん?

そろそろ・・・つかれて、きたから・・・

うん。

あそこの、ベンチで、少し、おやすみ、しよう

いいよ。

人通りが少ない大通りのベンチで一休み。
時間がゆったり流てる。
シルバータウンも悪くない。



・・・パパ。

ん?

よろこぶかな?お菓子?

うん。きっとね。



あるかまくらにすむぱぱのきゅうじつ

ビーチコーミング

2005年05月28日 | 生活
娘の幼稚園の行事で「ビーチコーミング」なるものをしてきた。
「コーミング」はcombingで、combは「櫛(くし)」のことである。

つまり櫛で砂浜を掘り返して色のキレイな貝や漂流物を拾い集め、それを貼りあわせてイロイロなものを作るのだ。

で。
いや~。

これが面白れ~のよ。

七里ガ浜でやったんだけどさ、波打ち際を少し掘ると色んなキレイなものがイッパイ取れるのよ。
別に珍しいものを目当てにやってるわけじゃなくて自分が「いいな~。キレイだな~」ってものを集めりゃいいんだけど、それが実はかなりお宝だったりして。

ガラスなんかも波に洗われているうちに角が丸くなってキレイになるのよ。
変な文字が入った瀬戸物の破片だってそれなりの風情になったりして。

貝みたいに見えるのが「鎌倉時代の馬の歯」だったりするってんだから、面白い。
何でも七里ガ浜では海亀の頭蓋骨なんかも拾えるらしい。

ちなみにね、写真の右側の青いガラスは珍しいらしい。
「お宝だ!」と言われちゃった。

もうね、夢中になってやったよ。
もういいだろっつーくらい掘った。
堀に掘ったよ。

で。

楽しかった。
身近な海でこんなに楽しい遊びがあるなんて知らなかったよ。

う~ん。
はまりそう・・・



シルバータウン

2005年05月26日 | 生活
私が住んでいる街は四十年ほど前に開発された宅地だ。

丁度日本が高度成長期のころだ。
そのとき二十代後半から三十代の人たちが多くこのあたりを購入したらしい。

つまり私の親の世代だ。

だから私が子どもの頃は隣近所に同級生がウジャウジャいたし、毎日遊ぶのも事欠かなかった。

その街も年月を経て、シルバータウンとなった。
昼間歩いても見かけるのは老人ばかり。ま、車の通りもそれほど多くはないからいいんだろうけど、坂もあって決して老人に優しいとは言い難いんだけどなぁ。

街が一番にぎやかなのは朝五時!という噂もなんとなーくそうかな?なんておもっちゃったりして…

せかちゅう、再び

2005年05月25日 | 生活
私が映画「世界の中心で、愛をさけぶ」が好きなことは関係者の間では有名な話。

実は特別限定生産のDVD-BOXを持っているのも身近な人は皆知っている話。

この特別限定・・・は映画本編の他に、特典映像やメイキングDVDなど3枚セットになっているのに加え・・・主人公、亜紀と朔太郎の結婚写真や交換カセットテープなど、無駄なものがたくさん付いている。

どうせここまで好きだというのが知れ渡っているのなら、ウケ狙いで買ってやれ!と買ったのだが・・・

やっぱり買ってよかった。

先週末、改めて、というか初めて本編DVDを家で鑑賞した。
家族が寝静まった後、部屋の明かりを落として居間で寝転がって観た。
もう何度も観ているし、ストーリーだって知ってるし、泣き所も分かってるし、しかも映画館と違ってテレビってやっぱり画面小さいし・・・と思いながら観た。

やっぱり泣いた。

驚いた。

が。

やっぱ特別生産のやつにして良かったと思った。

ちなみに写真は私のデスクの前にあるウチワ。
私のオリジナルで、ジャニーズのウチワみたいになっている。

人が集まる家

2005年05月24日 | 生活
妻の交友関係が飛躍的に広がり、自然、幼稚園のお友だちが家に来ることが多くなった。

昨年越したわが家は二世帯で二階が私たち家族の住居部分。

そこに今日などは8人の大人と12人の子どもの総勢20名が集まってみんなで遊んだという。
もちろん昼間で私が不在の時だからその光景は目にできないが妻曰く「ちょっとした託児所」だという。

でも私は嬉しい。
人が集まる家というのは嬉しいではないか。

というのも私は昔から友だちを家に呼んだことがあまりない。
いや、あるかも知れないが、少なくとも姉に比べて圧倒的に少ない。

私の姉は学生時代、バイトをしそこで知り合った仲間をよくわが家に連れてきていた。
彼らは人当たりよく、当時高校生の私もよく相手にしてもらったものだ。
元来人をもてなすのが好きな母も彼らを気に入っていたようで、よく食事を作っては出していた。

一方、私はご存知の通りの体育会気質である。
その友だちもどちらかというと脳味噌が筋肉質でポンポンと会話を楽しむタイプというよりは黙々とメシが食うタイプが多かった。

もっとも男がたくさん集まって何するかってーと・・・
高校の時は徹夜でスーファミの「テクモスーパーボウル」大会→飽きたらエロビデオ上映会。
大学の時は徹夜でスカウティング→飽きたらエロビデオ上映会。

そんなんだから私の友だちを連れてくると母は露骨に嫌な顔をしたものだ。

ま、しゃーないが。

だからあまり私は友達を家に招かないようにしていたのだ。
(大学の時は大学から遠かったというのもあるが)

でも、本当は自分の家に人が集うのは嬉しいことだし、私も嫌いではない。
だから今、こうして妻が自分の(というか娘を通じてだが)友だとをたくさん家に招いていることが本当に嬉しい。

今度はオレの友だち呼ぼうかな。

5年前

2005年05月22日 | ほろり
思い出すなぁ・・・もうあれから5年かぁ

あの日は忘れもしない月曜日だった。

前の週の木曜日から私は女房の実家に泊まりこんでいたのだ。
「そろそろ産まれるかも」なんて連絡をもらったからね。

でもなかなか出てこようとしなかったんだよね

面白いもので出産に立ち会ったことのある先輩パパたちは
「絶対に立ち会うべきだ。あんな神々しいものはない」と立会いを勧め
反対に立ち会わなかった人は
「あれは女性の戦い。男が立ち入るべきでない」という。

結局私は立ち会うつもりでいたのだ。

でも。

その兆しは一向にこない。

週末を過ぎ、月曜の朝には会社に必ず顔を出さねばならないこともあり、朝一番の飛行機を手配した。
で、日曜の晩、寝た・・・

「でも、スグにまた戻ってくるからね」なんて女房にいいながら・・・

明け方。

女房がバカズラして眠る私を揺り起こす。
「ねぇ・・・病院・・・行った方がいいとおもうんだけど」
「!」

そのまま私は女房を病院に連れて行き、分娩台にあがるところまで付き添えたところで飛行機の時間が迫り、後ろ髪を引かれる思いで病院を後にした。

女房の実家に戻り義父さんと義母さんに「いま分娩台にあがりました」と報告したときの慌てぶりは忘れられない。

で、私は飛行機に乗り電車を乗り継ぎ、会社に・・・
今頃どうしてるかな・・・
そういえば腹減ったな・・・

なんて思っていたら女房から電話。息を切らせて
「いま、産まれた・・・フウ」

11時半過ぎだった。

立ち去りがたい顔をしていた私のことを気に掛けてくれていた助産婦さんが出産直後に女房の携帯を持ってきてくれて、分娩台の上から私に電話をくれたのだった。

そしてそのまま午後一番の飛行機で私は再び女房の実家に行ったのだった・・・

って、そんな思いでも今は昔。

今では女房と一緒に作ったミルクレープを抱えて
「パパは太ってるから食べちゃダメッ!」
と仕切るまでになりました。

これからも元気に育ってね。
何よりそれが親として嬉しいんだから。