サッカーのW杯予選で日本代表が無観客試合をすることが話題になっている。
何せホームでも、最近ではアウェーでも注目を集める日本代表だから、観客がいない試合というのはやはりプレーヤーにとっては、ちょっと違和感を感じるだろう。
私も大学時代にはアメフトの試合を公共会場でしていた。
主な会場は川崎球場であった。
といっても当時の川崎球場は現在と違い、きちんとした観客席があったのだ。
満員になることは少なかったが、幸いにも一部リーグに所属していたのでそれなりの観衆の前でプレーすることが出来た。
一声一声の声援が聞こえるわけではない。
フィールドの中ではたくさんの声援が波のように押し寄せるのだ。
例えば独走してのタッチダウンというのをしたことがあるが(チョイ自慢)、そのときの印象はこうだ。
自分としてはとっくに走路を見つけ、タッチダウンを確信しているのだが、スタンドはその感覚からいうと、かなり遅れてから「ドッ」と沸くのだ。
考えてみれば、フィールドの視野とスタンドからの視野が違うのでその差異は当たり前なのだがフィールドでプレーする立場からしたらそれはそれで違和感を感じるものだ。
つっても緊迫した場面では波のような声援は中のプレーヤーに普段以上の勇気を与えるのだ。
それすらない無観客試合。
やっぱこれは日本に有利だとはいえない、と思う。
何せホームでも、最近ではアウェーでも注目を集める日本代表だから、観客がいない試合というのはやはりプレーヤーにとっては、ちょっと違和感を感じるだろう。
私も大学時代にはアメフトの試合を公共会場でしていた。
主な会場は川崎球場であった。
といっても当時の川崎球場は現在と違い、きちんとした観客席があったのだ。
満員になることは少なかったが、幸いにも一部リーグに所属していたのでそれなりの観衆の前でプレーすることが出来た。
一声一声の声援が聞こえるわけではない。
フィールドの中ではたくさんの声援が波のように押し寄せるのだ。
例えば独走してのタッチダウンというのをしたことがあるが(チョイ自慢)、そのときの印象はこうだ。
自分としてはとっくに走路を見つけ、タッチダウンを確信しているのだが、スタンドはその感覚からいうと、かなり遅れてから「ドッ」と沸くのだ。
考えてみれば、フィールドの視野とスタンドからの視野が違うのでその差異は当たり前なのだがフィールドでプレーする立場からしたらそれはそれで違和感を感じるものだ。
つっても緊迫した場面では波のような声援は中のプレーヤーに普段以上の勇気を与えるのだ。
それすらない無観客試合。
やっぱこれは日本に有利だとはいえない、と思う。