え~はなし

いらっしゃい!コメントしてね!

四分の三

2010年12月15日 | アメフト
先日のシーガルズvs鹿島のテレビで見事にグラウンドレポーターを務めた3℃さんに見習い朝から更新してみる。

ところで今年は関西学生が三つ巴のプレーオフがあった関係でなんだかビッグゲームが多く、日程的にも次から次へという感じで嬉しい。
今週末はもう甲子園ボウルである。

甲子園ボウル、今年は立命館vs早稲田。
何と!今年は両チームともにOBが所属しているではないか!
しかも立命DLと早稲田OL!マッチアップあるの?
あるかな?
あればいいけどね。
試合出ろ。H高。

ともあれ素晴らしい!
楽しみだ!

え・・・と、両チームにOBがいる対戦と・・・

ん?

2002年の立命vs早稲田?かな?
二代目巨神兵とヨーヘーがそれぞれいた?
でもヨーヘーは試合出てなかったからなぁ。
高田vs波木だったね。早稲田甲子園初出場の年。

それ以前だと?

1994年の立命vs法政?かな?
初代巨神兵が立命にいてデブM島とキモイタルが法政にいたね。
あ、ちなみに立命が初優勝。天才東野が騒がれた年ね。

条件として関西の大学に選手がいないといけないからね。
M川がKGにいたときは・・・ああ相手は法政ね。当時法政には誰もOBはいなかったからなぁ。

という観点からも今年の甲子園は楽しみ!
生で・・・あ、練習だ。
録画してみようっと!
あ、メールで速報とか送らないでね。

一方の社会人。
シーガルズですがな。ここは#83でしょ。
頼むぞ#83。
普段チームもお世話になってるTもスタッフでいるし。

電工に勝ってくれ!

OB同士のライスボウルが見たいぞ!

あ・・・ちなみにOB同士のライスボウルは2003年、つまり2002年シーズンのライスボウルが最初で最後。
この時は二代目巨神兵vs社会人一年目の#83の対決だったっけ。

ともかくここまで残っている四チームのうち三チームにOBが所属。
誰か日本一になるでしょ?


ガラパゴスより愛をこめて

2010年10月24日 | アメフト
ガラパゴス化・・・生物の世界で言うガラパゴス諸島における現象のように、文化・制度・技術・サービスなどが日本の市場において独自の進化を遂げ、世界標準から掛け離れてしまう現象のこと(Wikipediaより抜粋)


法政・慶応以外の神奈川高校フットボールは「ガラパゴス」のように思われているだろう。
それならそれでいい。
俺たちは神奈川の代表として「ガラパゴス」の意地をみせようではないか。
そして世間を驚かそう。

そう言って送り出した一戦でしたが・・・完敗でした。

神奈川の他校のみなさん、ごめんなさい。負けちゃいました。
(『別に謝ってほしくねーよっ!』と石が飛んできそうですが)

応援してくださったみなさん、ありがとうございました。
チームはまた新しい挑戦をします。
これからも応援よろしくお願いします。

まずは新人戦・・・!

一か月もない(汗)

ありがとうございました

2010年08月08日 | アメフト
終了しました。

合宿。

もっともっと楽しんで。

もっともっと強くて良いチームに。

そんなことを感じております。

期間中、差し入れをしてくださったり、応援に駆けつけてくださったみなさま、ありがとうございました。

これからもよろしくお願い申し上げます。


神奈川決勝雑感

2010年05月10日 | アメフト
「ここに立ちたかったな~!」

と、思うこと自体敗者の自覚。

しかしながら、そう思うことが次への活力。

ま、気分を新たにしました、と。

ところで、というかそういえば。

準決勝まで進むと表彰していただけるのね。

あまりにも久しぶり過ぎて忘れてた。

よかった当番校で二年がいてくれて。


勝つことは、出来なかった。

2010年05月04日 | アメフト
私たちは勝つことが出来なかった。
慶應義塾は負けなかった。

今振り返ればそんな試合だったと思う。

なぜあの時、反則の適用を受けずダウンを進めてしまったのか。
なぜこれまで少なかった反則がこの試合に限って増えてしまったのか。
なぜゴール前に迫りながら得点に結びつけることができなかったのか。しかも二度も。
なぜあれほどまでに警戒していたキックオフリターンタッチダウンを許してしまったのか。
なぜタイブレークで先攻を選択させてしまったのか。
なぜあれほどまでの集中力で止めていたドローを最後に止めることが出来なかったのか。

そして、何故我々は負けてしまったのか。
何故、勝つことを許されなかったのか。

そんなことをぼんやりと考えている。

そして倒されても、倒されても相手に立ち向かっていく選手たちは本当に素晴らしかった。

振り返れば、彼らはずっとそうだったのかも知れない。

新人戦二回戦敗退で失いかけていた自信を年明け、彼ら自身の手で取り戻す。
都立の強豪校に14-8で勝つことが出来た。
後半エースRBを欠いたシリーズで決勝点を挙げたことにチーム力の向上を感じた。

二月。
静岡の強豪校との対戦で大敗。一月につかみかけた自信が全て吹っ飛ぶような敗戦だった。
ラインが力負けし、バックフィールドもスピード負け、タックルミスが頻発した。
それよりも何よりもある程度自信をもって臨んだ試合での大敗は昨年の0-90の絶望的なスコアでの敗戦を連想させた。
選手たち自身がこのままチームが不安定になっていくのを恐れていた。

三月。
その不安を彼ら自身で払拭していく。
臨んだSIC強豪と続く神奈川の強豪との対戦はいずれも14-18の同スコアでの敗戦だった。
この二試合、強豪校の意地とプライドを思い知らされた一方で手ごたえを取り戻していったのも事実である。

そして臨んだ春季大会。
正直、厳しい組み合わせだと思っていた。

フットボールの神様は楽はさせてくれない。

初戦。松陽高校。
近年安定した力を発揮している相手だった。
相手のミスも重なり、勝つことが出来たがこのままでは足りない。
続く対戦相手を考えるとこのような勝ち方では厳しいと考えていた。

二回戦。横浜高校。
いわずと知れた神奈川三強の一つ。横浜立野とのライン戦を制し勝ちあがってきた。
試合は前半終わって7-18とリードをされていた。
やはり、強い。
18点。
「春休みの二試合も18点取られて負けている。強豪相手にこの18点という点を上回ることが出来るかできないか、それが今、試されている」
ハーフタイムにそう檄を飛ばした。

彼らは見事に期待にこたえてくれた。
一つの大きな壁を彼ら自身の手で乗り越えてくれた。

「ベストバウトだ」とスタッフの誰かが言った。
否。
これをベストバウトにしてはいけない。
確かに素晴らしい試合だったが来週の相手に勝つためには、これをベストバウトと呼んでは足りない。

準決勝。慶應義塾。
『死闘』となった。
時間内では決着が着けられなかった。

タイブレーク。

8点を先行され、オフェンスは第4ダウンに追い込まれていた。
このダウンを更新しなければ負けが決定する。
タイムアウト。
「今までやってきた中で一番自信があるプレーをやりなさい」とアドバイスした。

タッチダウン。

エースをいつもと違う場所に配置してのパスだった。

鳥肌が立った。
かつてこれほどまでに粘り強いチームがあっただろうか。

しかしまだ状況は変わらない。
TFPを成功させなければ追いつけない。

ここで選手が選択したプレーは何度もチームを救ってきたものの、この試合では対策されていることを見越して使わないつもりだったプレーだった。

QBからボールが放たれTEの手に収まるまでの時間は永遠に感じられた。

成功。

沸き立つベンチ。

しかしまだ終わらない。

オフェンスコーディネータはこの時
「QBと次の機会に備えて話をしたい」と考えていた。
つまり後攻を選択して欲しい、と。

「先攻を選択してこい」と言ったのは私だった。
先に得点をしてプレッシャーをかけたいと考えていた。

ちょっとしたコミュニケーションミスだった。

果たして先攻で始まった二回目。
インターセプト。
この日、冴えに冴えていたQBの手元がついに狂ってしまった。

止めればいい。
止めればまた次の機会がある。

しかし、終わりは突然やってきた。

相手のQBが地面に突っ伏しているのを見て勝ちたかったのは相手も同じだったのだと悟った。
振り返るとサイドラインの選手たちはみんな突っ伏していた。
最後までしっかりやるように言った。

言いながら、涙が止まらなかった。

私たちは勝つことが出来なかった。

なぜあの時、反則の適用を受けずダウンを進めてしまったのか。
なぜこれまで少なかった反則がこの試合に限って増えてしまったのか。
なぜゴール前に迫りながら得点に結びつけることができなかったのか。
なぜあれほどまでに警戒していたキックオフリターンタッチダウンを許してしまったのか。
なぜタイブレークで先攻を選択させてしまったのか。
なぜあれほどまでの集中力で止めていたドローを最後に止めることが出来なかったのか。

そして、何故我々は負けてしまったのか。
何故、勝つことを許されなかったのか。

「まだ勝つには資しない」

フットボールの神様はきっとそう言っているのだ。
もっといいチームを作りなさい、と。
まだまだ足りない、と。
そして神様は私たちに新しい課題を与え給うた。

闘いは続くのだ。

それにしても神様。
コイントスだったら勝たせてくれたんですか?



<最後に>
一言だけ。
応援して下さったみなさま、本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

何か

2010年04月18日 | アメフト
何か書けと帰りの車の中で選手たちに言われたので書きます。

って、書くことねーよ・・・

『佐々さん』って平仮名で書くと『さささん』なんだけど携帯で打つとたまに『ささささん』になってたりしない?

どーでもいいな・・・



バスケの話・・・いやいややっぱアメフトの話。

2010年04月15日 | アメフト
彼とどこでどうして出会ったのかは正確に憶えていない。

でも多分、私が社会人になって高校のコーチになってフットボールの専門誌に記事を書いていたあの頃だと思う。
確か彼も現役選手を退いたばかりではなかっただろうか。

そのあと一緒に合コンをしたような・・・いや、しました。

ある時彼が私と同じ年であることが判明した。

しかも何と神奈川県の強豪・慶応高アメフト出身である、と。

『つーことは・・・』

高校3年の春に私たちが8-14で負けた相手だ、と。
前半8-6でリードを奪って折り返しながら後半に一発タッチダウンで負けて悔し涙を流したあの相手だ、と。
その敗戦の悔しさを晴らしたくてその後もアメフトを続け、こうしてコーチを続けている原因となったあのゲームに敵として参加していた、と。

『そういうことだなーっ!』

と問い詰めたら

『そんな試合あったっけ?』

といとも簡単に切り捨てられ、立場の違いによってこうも記憶も思いも違うのかと思い知らされたのは多分もう10年以上前の話。

ちなみにその年の神奈川はもの凄~くレベルが高く関東ベスト4のうち3校が神奈川県で占められ(当時は神奈川3位まで関東大会に進出できた)関東決勝も法政vs慶応の神奈川県決勝と同カードだった。我々は神奈川県準決勝で慶応に敗れ、3決で日大に敗れ4位だった(いずれも一本差)。

ま、そんな彼との思いでだが。

そういえば今回もめでたく日本代表に選ばれたシーガルズ#83も彼に紹介したのが最初だったっけ。

彼はフットボール界での活躍の後、バスケットボールの世界に飛び込んだ。

そういった活躍だけは知っていた。
今では年賀状のやり取りだけ。

いやいや。ご立派。
すばらしい。

おめでとう!
リンク栃木ブレックス
山谷拓志!

立派です。
なんか勇気とエネルギーをもらえるニュースでした。

恩返し不要。

2009年11月22日 | アメフト
「合同チームを組んで秋季大会決勝前の対抗戦に出てほしい」

県内の公立高校で唯一合同チームを組んだことがないということで私たちのチームにオファーが来たことがあった。

県内のフットボールを盛り上げるには他チームとの交流は不可欠、との見地からこれを快諾した。
合同チームの構成は私たちのチーム16名、入部人数激減で苦しんでいた私学のA高2名、そしてその春創部したばかりのT高校3名の合わせて21名だった。
他校の生徒を教え、教えられるというのは非常に貴重な経験だった。

特にその年創部したばかりのT高校の生徒たち3名は高校に入学して間もなく赴任したばかりで個性が強い先生に誘われるがままに部を創り、4月から3人でグラウンドの隅で練習をしてきたという。まだ部に昇格してないので同好会なんです、なんて会話を思い出す。

そんな選手たちに「チーム」というものを初めて体験させることができた、ということで顧問のT先生は非常に喜んでくれた。私自身もT先生のフットボールに対する愛情やこだわりに触れることができ、フットボール観の広がりを感じたものだ。

そのわずか一年後、T高校は人数をそろえ単独チームでの秋季大会にエントリーする。

公式戦初戦の相手は皮肉にもうちのチームだった。

結果はうちのチームの圧勝。
チームにとっても公式戦最多得点というおまけつきだった。

しかし創部してわずか一年余りでの単独チームでのエントリー実績や何よりもT先生の情熱は必ずや数年後に私たちのチームにとっての脅威になるだろうと、監督と話をしていたのを思い出す。

一方でT先生とはあの合同チーム以来私たち試合会場で声を掛け合う程度ではあるが交流を続けていた。
「おたくよりも新入生の入部数が少なかったから二年シメちゃったよ」
なんて軽口をたたくこともあった。
「またまた~」とかわしつつもひょっとして目標にしてもらえてるのかと思うとちょっと嬉しくもあった。

そのT高校に今日負けてしまった。
個人的には負けてはいけない相手に負けてしまった。
あのときの監督との会話がこんなにも早く実現してしまうとは。

情けないし悔しい。

T先生は試合後
「やっと恩返しができました」
とおっしゃっていたがこれは有り難くない恩返し。

T先生流に言えば
「やっぱりあの時、ツブシとくんだった」

いやいや嘘。

むしろまた1チーム警戒しなければならない相手が増えてしまった・・・そんな風に思っています。

次は負けませんよ。T先生。

あってはならないこと

2009年04月28日 | アメフト
今日は大変残念なお話。

アメリカンフットボールはマイナースポーツです。
だから、たくさんの人たちの協力があってその競技が成り立っています。

高校フットボールだって同じ。
いやいや、高校フットボールこそたくさんの人たちの協力が不可欠。

協力してくれる人や応援して下さる方々が気持ちよく協力してくれる環境なくしてはこの競技の普及など望むべくもないと思います。

実は本当に残念なことがありました。

私たちのチームはヘッドコーチの私はじめ、スタッフ一同はみんな学校とは無関係のいわばボランティア。ま、とどのつまり好きでやっているわけです。それはいい。好きでやっているんだから。

そのチームスタッフとは別に「審判」という形で応援してくれている人もいます。
OBではあるんですが普段チームの育成や活動には関わらず審判講習会に出席してくださり、練習試合でも笛を吹いてくださり、公式戦の審判当番もやってくださる本当にありがたい存在です。

先日も私たちの試合の前、つまり第一試合で審判をしてくださいました。
その試合会場でこともあろうにその方の車が傷つけられてしまいました。
キズの形状から言って明らかに意図的なものとのこと。

フットボール関係者によるものではないということを信じたいところです。
いや、例えフットボール関係者以外だったとしても・・・本当に残念です。


遠のく背中

2009年04月27日 | アメフト
チームは敗れ去った。

一年間で積み上げてきたものは十分ではないことを2時間のゲームで、否、実質わずか2プレーで証明されてしまった。

ここ4年で4回目の2回戦敗退。

06年 8-24 横浜
07年 14-20 慶応
08年 0-20 法政

いずれもTD三本以内の試合をしてきた。

それが今年は0-38。
遠のいた。

選手は毎年入れ替わっている。
変わらないのはスタッフ。
否、もう少し正確に言うとスタッフも毎年人の入れ替わりがある。
変わらないのは私、ヘッドコーチである。

「オレじゃもうだめかもしれない」
競技に関係なく、チームをリードし続ける人間は必ずそう思うのだという。
日本一になった社会人チームの監督も大学の監督もその後の敗戦の後で必ずそういうのだ、と。
彼らとてそう思うのだ。ましてや2回戦敗退を続けている私などが思わないはずがない。

「いい試合をする」と「勝つ」との差はわずかに見えて実は全く違うものだ。
いい試合をしていると応援してくれる観客も実際勝ちそうになると「勝ってはいけない」という雰囲気になる、と安西先生も言っている(スラムダンク参照)。

一方で選手はコーチの鏡であるという。
これも事実だと思う。
往々にしてチームが油断したり思い上がったり、あるいはモラルが低下していたりするとき、実はそれはコーチ、即ち私自身が油断したり思い上がったりしているものである。

そんなことを、考えている。

振り返って今年のチーム。
私のかかわってきたチームの中でも歴史的なチームだった。
夏の合宿では徹底的に鍛えぬいた。
勝てない秋。
その後、歓喜の新人戦。
「新人戦だし」「2Qしかやらないし」「ブリッツもないし」。
でもまぐれで勝てる相手でもないのも事実。
それは何度も跳ね返されてきた私だから知っている。
本当の苦しみはその後。
練習試合での歴史的大敗。
その後の練習試合では強豪相手に連勝。しかも逆転勝ち。
「勝ったのに悔しい」と選手が言うモラルの高いチームは初めてだった。

その一方で自分たちの力を信じきれず、量りかねていた。

不安定な試合展開が続いていたのを我々スタッフはわかっていながら払拭できなかった。
「強いとき」と「弱いとき」の振幅があまりにも大きい。
同じ試合でも前半と後半で全く出来が違うことがしばしば見られた。

それは実力がないのと同義だった。

「このままでは拙い」

スタッフの危機感が伝わらない。
修正が効かない。
それはスタッフの「無能」を意味する。

そしてチームは敗れ去った。
見えていた背中は遠ざかった。

でもね。
ありがとう。
今年の経験は間違いなく今までの経験とは異質なものだった。
毎年毎年苦しい時期はあるけど今年の「苦しい」は今までとは全く違った。
そしてそれは必ず将来に生かすことが出来る(無能だけど)。
ありがとう。本当にありがとう。