え~はなし

いらっしゃい!コメントしてね!

国際交流?最終回

2004年12月22日 | アメフト
<前回のあらすじ>ようやくたどり着いたレイの部屋でみたものとは・・・?











ガラン











誰もいない部屋なのである。
誰もいない。

誰だ?


ホームパーティー。


だ、なんていったのは。

誰もいないではないか。

その後の展開はもっと恐ろしい。

レイは我々が持ち寄った各種手土産(&パフォーマンス)を受け取りはしたものの、それをダイニングテーブルに放ったまま

「さ、今日の練習のビデオでも見ようぜ!」(たぶん)
と言うのでカントクがビデオを渡すと、それから

何と


3時間半


ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぇっと

フットボールの話のみ。


出てきたのは

1.凍ったグラス四人分
2.温いビール1ダース

以上。


私もフットボールは嫌いではない。むしろ好きである。

でもね。

何か食べようよ。

途中、私はカントクに「ピザくらい食おうって誘ってみてよ」
って言ってみたところ
「そんなこと言えるか」というつれない答え。

しかも、レイと他の二人の会話は英語である。
が、
英語が出来ずに取り残された私はまさに
「腹を空かせたマヌケなサル」である。

ほとんど会話にも参加できていない。

いやぁ、それはここに来る前から分かっていたことだから、言うまい。

それよりも。

何か食わせて。
ピザとはいいません。

ピーナッツでも。
何でもいいからさ。

だって。

7時半だぜ。


・・・・・・・・・


結局そのままフットボールの話とビールだけで帰途についた。

その日分かったことは二つだけだ

①レイは寂しい
レイはアメリカ本土でかなりフットボールのコーチとして頑張っていたようだ。
本人曰くNFL選手も排出しているらしい。
でも。
女房についてきて極東の基地内のハイスクールのフットボールチームのモラルの低さにうんざりしているらしい。
「基本もロクに出来ていないやつらが『あれやりたい』『これやりたい』と生意気なことばかり抜かしやがる。てめぇらなんか本土に戻ったらフットボールチームにすら入れねぇ程度なのによっ!その点、日本人はマジメでいい。基本も嫌がらずにやるし・・・」(たぶん)

てなことを言っていた。
結局、愚痴る相手がいなくて、カントクは丁度いい相手だったらしい。

②レイはあまり気が利かない

以上である。

・・・ちなみに私が苦心して選んだお土産など話題になろうはずなく、今頃
「何だあの日本人。英語も出来ねえくせして紙と分けわかんねぇ木屑もってきやがった」
と訝しがられていることだろう。


<追伸>
本人の名誉のために言っておきますが、後日レイからメールがカントクのところに来て
「ピザは食べるために持ってきたんだね。女房に叱られちゃったよ。ボクはホストとして失格だったね」
と言っておりました。



国際交流?その三

2004年12月21日 | アメフト
<前回までのあらすじ>座間キャンプのコーチ・レイの自宅に招かれた私は和風パフォーマンスという手土産を心に携えたのであった。

小田急相模原駅で若手コーチAの顔を見つけたときには本当にホッとした。
何故なら私が大いに心配していた展開がこれであり得なくなったのである。

心配していた展開というのは・・・

みんなでかなり盛り上がる
    ↓
  ガンガン飲む
    ↓
カントクさんが寝てしまう
(最近、弱くなったのよね)
    ↓
英語が出来ない酔っ払いのサル(私)だけが取り残される
    ↓
しょうがないから笑ってごまかす
    ↓
「やっぱり日本人は意味のない笑いを浮かべて気持ち悪い」
というよくある日本人評をレイと屈強女性兵士に確信させてしまう
   

・・・という展開である。
でも若手コーチAが来たので、こういう展開はあり得なくなった。
何故ならAは英語が出来る上に酒が苦手だからだ。

ホッ!

改札を出て階段を下りるとレイが待っていた。
みんなで挨拶を交わし、レイについていった。

郊外にありがちな少しくたびれた商店街を抜け、5分くらい歩いて米軍相模原住宅に到着。
受付で身分証明書を提示してサインをして入る。
「ぼくのお客さんだよ」とレイが受付で説明している(たぶん)。

それにしても不思議である。
横須賀にせよ、今回の相模原にせよ、米軍の施設に行くと「本当にここは日本なの?」と思うのだ。それくらい街並みが違う。
一歩踏み入れるとそこはアメリカなのだ。

電線はない。地下を通しているからだ。
だから凄く開放的に感じる。
ここまで歩いて来た日本の街並みには電信柱が立ち、電線が頭上に張り巡らされているというのに・・・。
クリスマスシーズンが近いこともあって電飾のサンタやら、動物やらがあちらこちらにある。

映画館だってあるし、ちょっとしたお店だってあるのだ。
横須賀にはマクドナルドもある。

ひとつの街なのだ。

「ここは座間に勤める家族もちの人たちの住宅だよ」とレイが説明した(たぶん)。
「独身の人は座間の中にある住宅に住むんだ」とも言っていた(たぶん)。

アメリカの映画なんかにによくある感じの平屋の住宅が贅沢な間隔で並んでいる。

「ここがウチだよ!」とレイが言って(たぶん)、扉に手を掛けた。

奥さんが出てくるのかな・・・?
ひょっとして子どももいるかもな・・・
一体どんな歓待を受けるのだろう
クリスマスだから飾りつけもされているかも・・・

私の期待は高まるばかりである。

そして扉は開かれた!

何と!

そこにあったのは!


(つづく)

国際交流?その二

2004年12月15日 | アメフト
<前回のあらすじ>
座間キャンプのコーチ・レイの自宅に招待された私とカントクだったが・・・

はて。
さて。

どうしたものか。

私は夕暮れの藤沢で思案に暮れていてた。
カントクはピザとワインをもって行くそうだ。
私はガイジンの友達もいなければましてや「ホームパーティー」なるものに行ったことなどもちろんない。英語だってカラッキシなんだから。
やっぱり食べ物を持っていった方がいいのだろうか?

そんなことを考えていると携帯が鳴った。カントクからだ。
「おぁ。Aも行くってよ。あいつはケーキもって行くって」

Aとは若手のコーチだ。
高校時代にアメリカに留学していた経験があり、それこそ英語はお手の物だ。

そのAはケーキを持っていくという。
ますます食べ物を持っていく理由がなくなってきた。

というわけで、食べ物以外のものを持っていくことにした。

やっぱりガイジンが喜びそうなもの・・・
でもなぁ。
やっぱこの場合は奥さんを喜ばせないとなぁ・・・

そういえば、レイが一体どのくらい日本にいるのか知らない。
もう何年も日本にいるようだったら、アリキタリの「日本グッズ」は却って迷惑だしな。
日本特有のものでありながら、珍しいもの・・・例えば期間限定の・・・

と思いながら、ウロウロしていたらお正月用のしめ飾りが目に飛び込んできた。
「こ、これは・・・」
これはいい!
期間限定だし、珍しい!日本でもこの時期にしか売っていない!
うってつけだ!
でも。
ひょっとしたらもっといいものがあるかも知れない、と思い「第一候補」として保留した。

その売り場の裏側に回ると・・・
十二支のカワイラシイ置物が!
「こ、これもいい・・・」
と思ったものの、手土産にしては値段が高いので保留。

うーん、ヤッパリしめ飾りかなぁ?

と思いつつ、藤沢で一番大きな書店が入っているビルの中を見て何も心に響くものがなかったらしめ飾りにしよう、と決めた。

何もなかったらね・・・しめかざ・・・り?

う。

あった。
あってしまつた。
いいもの。

というか、いいアイデアが浮かんでしまった。
「コマ」と「折り紙」である。

うふ。

コマはあの人差し指と親指で挟んで「クルッ」と回すやつである。
テーブルの上でみんなでクルクル回して見せたらさぞかし喜ぶのではないだろうか?

そして折り紙は・・・
われわれ3人でこの折り紙を使って彼らの目の前で鶴を折って見せるのだ。
さぞかし「日本の男たちはサルみたいなくせに何て手先が器用なんだ!」と大喜びするに違いない!

これはいい!
絶対にウケる!

そう、私はすっかり手土産の内容からパフォーマンスの内容を吟味するようになっていた。

だってしめ飾りは飾るだけじゃん

このパフォーマンスで片田舎のシャイな日本人と極東に配置された軍人夫婦の間の垣根は一気に取り払われ、和やかな雰囲気の中でピザつまみながらワインを傾け、デザートにケーキを食べるのだ!

これ以上のものはあり得ない!
彼らが喜ぶ姿が目に浮かぶ。

「Great!」「Nice!」

なんていわれちゃったりして・・・

購入した折り紙とコマと果てしない妄想を抱えながら待ち合わせの場所に向かうのであった・・・

(つづく)

国際交流?その一

2004年12月13日 | アメフト
回転寿司のネタを書こうと思っていたけど、ちょいと中座。
この週末にあった国際交流について書こうと思ってさ。

また必ず書くから。「回転寿司」

さて。

国際交流とは他でもない。
11日の土曜日の夜、何と在日米軍の住宅にお邪魔したのだ!

なぜか?

この夏、私が率いる高校のアメフトチームは座間の米軍キャンプのハイスクールのアメフトチームと合同練習をした。
その際に知り合ったコーチ・レイと連絡を取り合っていたというわけ。

っつっても俺が連絡とっていたわけじゃないからね。

知っての通り俺は生粋の日本人だからね。
英語?んなものカラッキシだめだね。
なんつっても新婚旅行でフロリダに行って、結局日本語で過ごした男だからね。
(途中で面倒になった)

連絡を取っていたのはウチのチームのカントクさん。
彼は某外資系メーカに勤務しているので英語は仕事でも使っているのだ。

だからカントクさんが連絡を取り合っていたということ。

んで。

11日に高校にレイが練習を観に来て
「今夜みんなでウチにおいでよ!ビールでも呑みながらフットボールのビデオみようぜ!」
と誘われた。(らしい)

相模大野あたりで飲むものだと思っていたので、思わぬおうちへの招待でビックリ。

で、私とカントクさんの会話。

カ「おい、うちに来いってよ」
私「マジで?どこなの?」
カ「相模原だってよ」
私「相模原って小田急相模原?座間キャンプって相武台じゃなかったっけ?」
カ「よくわからないけど、相模原にウチがあるっていってたぞ」
私「ふーん・・・」
カ「いわゆるホームパーティーってやつだな」
私「ホーム・・・パーティ・・・い?」
カ「うん。アメリカでは良くあるんだよ。家に人を招いてみんなでワイワイやるんだな」
私「ふぅうん」
カ「何か買っていかなきゃな・・・」
私「ま、そうだね」
カ「俺、何か食い物かってくわ」
私「あ、そ。俺は・・・どうしよっかな・・・ていうことは奥さんもいるのかな?」
カ「おぉ。そうだそうだ。何かね、奥さんが軍人なんだって」
私「!」
カ「それに彼がついてきてるってことだな」
私「マジで!?」
カ「で座間のハイスクールでコーチやってるらしいけど、本土にいたときも高校や大学でコーチしてたんだって」
私「ふぅん」

というわけでカントクとは夕方に小田急の藤沢駅改札で待ち合わせることとなった。

何か手土産を買っていかなければいけない。
こうして米軍女性兵士を喜ばせるべく手土産探しが始まるのであった・・・(つづく)



湘南ボーイ!?

2004年12月08日 | 生活
生まれも育ちも鎌倉市で、現在も藤沢在住、年末には鎌倉に戻る予定の私。
この地域の外には一回も住んだことがない。
いわゆる湘南ボーイ?な私(笑)。

湘南ボーイな私は海に入るのが嫌いです。
だって怖いじゃん。
海には大入道がいるって小さい頃誰かが言ってたよ。
大入道が海の中に引きずり込むんだよ。
それに海って潮でベトつくし。

眺める分には好きだけどね。
夕方の海なんか(除は夏)は特に「この辺に住んでいてよかった~」と思ったりする。
心が洗われちゃったりして。

砂浜に降りることすら滅多にない。
だって。
砂が靴に入ると面倒だし。

先日、一回夜に砂浜に降りてみたが

「今、地震が起きたら間違いなく津波が起きる」
     ↓
「人知れず津波に巻き込まれてそのまま行方不明になる」

というネガティブシンキングが先に立ち、何かに追われるようにして逃げ出した。

というわけで湘南という超おしゃれスポットに住んでいながらそのメリットを十分生かすどころかグランド走り回っている方が好きだという私。

・・・と、およそ「湘南」とは無縁な私が唯一「湘南」らしさを享受しているとしたら「魚が好き!」ってことくらいかな。

だから、寿司が好き。
でもさ、子連れで普通のすし屋さん行くのって勇気がいるじゃない?
ってか、無理でしょ。

だからおのずと「回転寿司」に行くことになる。
子どもがいる家庭の人は分かると思うけど、回転寿司って入ってすぐに食べられるのがいいとこなんだけどさ、家族連れだとテーブルの席を待つことになるんだよね。

それに。

大人が回転寿司のレール(っていうの?)側に座るのが鉄則。
一回子どもがどうしてもって泣いて、レール側に座らせたことがあるんだけど、回っている「ネタ」だけ食い荒らして大変だった。「シャリ」が乗った皿だけが何故か回り続けるという、恐ろしい状況。

それ以来、絶対にレール側は大人の席となった。

で、私たち家族が出没する回転寿司は主に湘南地域の3店。
①ジャンボおしどり寿司@村岡?店
②ジャンボおしどり寿司@湘南モールFILL店
③魚屋路(ととやみち)@鎌倉店

それぞれのエピソードは次回書きます。





残念っ!

2004年12月07日 | アメフト
書こう、書こうと思って時間だけが過ぎていってしまった。

何が?

って先週末、日本の(極々わずかな)フットボールファンは相次ぐ僅差の試合に沸きに沸いたのであった。

特に!

前述したように平郡くんの弔いの様相をみせていた関学とその関学にリーグ戦では敗れながらも京大のアシストによってプレーオフのチャンスを得た「前年王者」の立命館との戦いにはさすがの私も無茶苦茶注目していた。

私はこの試合の経過を携帯の速報サイトで逐次チェック。
湘南モールFILLの「おしどり寿司」の順番待ちの列の中で「うをー!」「スゲー!」と絶叫してみた。
怪しがられたよ。

「今日はサッカーの代表の試合?」

的な白眼視受けつつも。
そんな大層なものではございません。
アメフトの試合です。あ、アメフトって知ってます?日本でもやってるの。

と心の中で返しました。

ま、いーや。

とにかく試合は14-14で決着がつかなかったのね。

でさ、昨日gaoraでやってたのをチラっとみたんだけど、スゲー雨だね。
そのせいもあってだろうけど、全然客が入らなかったんだね。
もったいない。

まるで関東のクラッシュボウル決勝並み(笑)

で結局勝負の行方はタイブレークに。

一回目は両方とも得点できず。
二回目は先攻の関学がTDを奪う。

「あーこりゃ決まったな。おめでとう関学!涙、涙だろうな」

と思っていたら。

何と!立命が追いついた!

「すげーぞ!すげーぞ!立命!」
と次女が残した納豆巻きの残骸を食べながら、叫びまくり。

実際、ここまでやったら関学も立命も勝たせてやりたいとおもうよね。
現場にいた選手もきっと互いを尊敬しあったのではないだろうか?

で、最後は3順目に立命がFGを決めて終わり。

無茶苦茶ドラマチック。

歴史に残る一戦だったろうなぁ。

ちなみにすし屋に並ぶ前にチェックしていたXリーグの「オンスカvsシルバー@横浜」にもかなり驚かされたけどね。
こっちもタイブレークの末の決着だったし。
まさか同じ日にタイブレークの試合が続くとは・・・

「電工vsシーガルズ」はシーガルズに知り合いが多いこともあってシーガルズを応援していたんだけどね。
10-7で電工。

こりゃまた凄い試合だよね。(スコアだけ見ると)

試合終了直後にシーガルズのSくんに電話したら
「何も出来ませんでした」なんつってたし。

試合前には「何か勝てそうな気がします」なんて言ってただけに残念!

中央と法政?は当日tvkでダイジェストを放映したが、一時間の放送枠の中で何と1Qを30分まるまる流しやがって残りの3Q分はかなりテキトウな編集だった。
ま、関東のフットボールの状況をよく表した放送だったよ。
つーか、試合もあまり見るとこなかったし。

中央が甲子園に出ることをわずかに期待したけど。


これでXボウルが電工vsシルバー、甲子園が立命vs法政。
ほとんど知り合いがいないチームばかりになってしまった。

残念!


関学vsリッツ プレーオフ展望

2004年12月02日 | アメフト
っても、今年は関学が勝つような気がする

ってのもこの写真を関学のホームページで見つけたから。

立命のみなさんごめん。今年は関学に勝たせてあげたい。

写真じゃなんて書いてあるかわからないか。

俺はこれ読んで泣いた。

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       平郡雷太、FIGHTERSとともに

 平郡さん、勇気を与えてください。僕らが高き頂に挑むことに。
 平郡さん、励ましてください。僕らが踏み出す一歩一歩を。
 平郡さん、叱咤してください。逃げ出そうとする僕らの心の弱さを。
 平郡さん、怒ってください。力を尽くさない僕らの怠惰を。
 平郡さん、僕らは誓います。
 「今」その一瞬一瞬に集中することを。
 いかなる時も前だけを見て闘い続けることを。
 そして、平郡さんとともに約束した頂に立つことを。
 平郡さん、僕らを見守っていてください。

      2004年8月9日

             関西学院大学体育会アメリカンフットボール部


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※平郡雷太(へぐりらいた)
関学大1年時のよりLBとしてスターター出場。関学が初の日本一の栄冠に輝いた2002年のライスボウルで大活躍。スピードを緩めずにタックルする姿は「串刺しタックル」と呼ばれた。最上級生として活躍が期待された2003年夏季合宿の練習中に意識不明の重体に陥りそのまま他界した。日本フットボール界の今後を担う存在と目されていただけにその死は業界に大きな波紋を呼んだ。


どうにかしてくれシリーズ

2004年12月01日 | 生活
自分ではちょっと意外な感じがするですけど、タンメンネタで複数のコメントを頂戴するとは・・・
一方、得意のフットボールネタではなんの反応もないなんて。

フットボールなんかより日常のネタの方がやっぱ受けるのでしょうか?
ま、フットボール関係者だけが閲覧しているわけではないだろうし。

もっともな話だよね。

さて。

今日の主張?

☆どうにかしてくれマクドナルド!
家族で休みの日の朝にマックに行ったりするとビックリするよね。
何がってあーた。何も考えずにセットを頼んでしまうとトレイがポテトだらけになっちゃうんだよね。ウチなんか家族4人で娘二人がハッピーセットを頼むでしょ?
で俺と女房がそれぞれセットを頼むともの凄い量のポテトになってしまうのだ。
もう、見ただけでうんざり。
ポテトを他のものにすることも出来るらしいんだけどさ。
ハッキリいって客は「今ポテトは一体いくつ頼んでいるのか」なんていちいちカウントしているわけじゃないしさ。
「これだとポテトのSが二つにMが二つでポテトだらけになってしまいますが、いかがなさいますか?」なんてアドバイスしてくれる店員がいてもいいと思うんだけど・・・

☆どうにかしてくれ!テレビの裏!
わが家のテレビの裏が凄いことになってきた。
先日DVDを買ってそれに拍車がかかった。
だってさ、CATV、DVD、PS2、VHS(8mmデッキ付き)でしょ。
もうね、配線なんてもうわけわからん。
「これはどっから出てるのかな」なんて線をたどっていくと何故か同じデッキにもどってしまったり・・・

っつっても表からみたら分からないものね。テレビの裏がそんなグッチャだってことを・・・

ってここまで書いたら、あることを思い出した。

ウチの母と父の話。

私の母はとにかく片付けるのが苦手である。
出したものを元の場所に戻す。
これが出来ない。

だから私は散らかり放題の家で育ってきたし、「出しっぱなし」の文化はしっかりと私にも受け継がれている。

ま、それはともかく。

話は母と父が結婚する以前にまで飛ぶ。
母の家はそれなりに厳格だったので父はなかなか母の部屋には入れてもらえなかったそうだ。
そんな父が遂に母の部屋に招待された。

胸ときめかせて部屋に入る父。
「さすがに女の子らしいきれいな部屋だ」とそのとき父は思ったという。
そんな父を部屋に待たせてお茶を取りに行った母。

父はそのときまだ20になったばかり。
付き合っている女の部屋の押入れや机にいったいどんなものが入っているのか、その好奇心を抑えきれないとしても無理はない。

で、押入れを開けた瞬間・・・

「あのときに気づいていればよかった。いや気づいていたはずだった」と父は悔やむ。

次の瞬間、父は押入れから雪崩のように崩れ落ちてきた母の衣服に埋もれていたのであった。

「何かの間違えだ」と父は思い直し、慌てては「残骸」を押入れに戻す父。

そして「何かの間違え」という思いを押し殺して「本当に間違えた」(本人談)という結婚というものをし、で、その結果生まれたのが私です。

って、「生まれてすみません」みたいな内容になっちゃったな。

それよりもこんな文章を書くのに30分を費やした自分の間違えにいやんなっちゃうよ。