2015年4月20日の毎日新聞の24面「支局長からの手紙」に、先日、鳥取支局長の北村弘一さんより取材を受けた永明寺ゆかりの「追遠碑」の記事が掲載されました。記事の中の鳥取大学名誉教授の栗村哲象さんは、永明寺のお檀家さまです。取材当日には北村支局長に永明寺の本堂に安置されている佛洲仙英禅師ゆかりの品々を一通りご覧いただきました。その後、副住職が北村支局長とともに永明寺の裏の道竹城跡に建立されている岩美町浦富出身の佛洲仙英禅師の顕彰碑まで登山し、明治期に永明寺に合併された浦富の香林寺跡(岩美町史跡 通幻禅師誕生地)を訪れました。
佛洲仙英禅師は、大本山總持寺開山の瑩山紹瑾禅師が撰述した『傳光録』を安政4年に開板しています。浦富海岸のそばの浦富や牧谷は、永明寺のお檀家さまが住んでいる地区です。佛洲仙英禅師の顕彰碑のそばの案内板には牧谷で生まれたとなっていますが、佛洲仙英禅師の生家の坂根屋があったのは浦富と言ってよいと思います。佛洲仙英禅師は、生家の坂根屋が火元で町浦富の殆どが焼失した坂根屋火事の罪滅ぼしに香林寺で出家得度しました。
佛洲仙英禅師の顕彰碑の碑文は、岩美町浦富出身の外交官で初代国連大使をつとめた澤田廉三の揮毫です。澤田廉三の妻の澤田美喜(旧姓 岩崎)は、三菱財閥創始者の岩崎弥太郎の孫娘であり、戦後、エリザベス・サンダースホームという混血孤児院を創設しました。
澤田廉三は、露軍将兵漂着記念碑(人類愛)、江戸幕府大老の井伊直弼の師として開国を決断させた佛洲仙英禅師之碑(祖国愛)、死後に土葬墓で大本山總持寺五世の通幻寂霊禅師を出産した母の愛をたたえる母子愛碑(母子愛)という三愛碑を岩美町内に建立しています。