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幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「神田橋條治精神科講義」神田橋條治著 ”臨床の知と技”

2019-07-18 07:17:37 | 本の紹介
・精神療法を考えていくなかで技法を選ぶ場合に、いろいろな説があるけれども、「雰囲気」でいけばいいんだということです。

・この「聴く」という作業は、何もしないでただ聴いているということではないでしょ・・・
臨床現場の技術がうまくなるには、相手の話を聴いて相手に自分が半分乗っている。で、こちら側にいる自分のなかに不愉快な気持ちが湧いてくる。そこで、「ああ、そうか、このあたりがこの人の問題点なんだろう」と、だいたいの目星がつくわけです。このとらえ方の技術がいちばん大事なところです。ここから策をどうしたらいいか、いろいろな本に書いてありますが、相手の身になった感じでとらえるというのではければ、とらえる時点で間違う。なにかピントはずれの問題点のとらえ方になってしまいます。

・しかし病気の人となると、それくらいでは変われない。その場合には、もう少し親切な方法があります。それは、「この人はどうなりたいか」ということ、「そうなるとどういう利益があるのかな」と考えてみる。次に大事なことは、患者に問題点となる特徴があるとして、その特徴があると逆にどんな利益があったのかなと考えてみる。・・・ 「問題点」はもともとは優れた特徴なのであって、何か有利な面があると考える。言い換えると問題点をとらえる際には、有益な側面をとらえるほうが望ましいの。スポーツの練習や教育でも同じです。

・陰陽論のなかでは陰と陽の関係は、どうなっているかというと、「陽は陰を導く」と言われています。だから心(陽)が体(陰)の状態を導いていく。これは精神身体医学ですね。心の持ちようによって身体のコンディションも変わるということです。そうすると、いつも陽が支配者であって、陰がそれに従っていくことになる。ところが、もうひとつ「陰は陽を養う」というのがあるのです。つまり陽は陰をリードして導いているのですが、その導くときに使われる陽のエネルギー、陽の持つ力は全部、陰に発している。・・・ エネルギーの源はすべて陰にあるから、体の状態が悪いと精神に鋭気が出ない、というような話につながる。そういうふたつの構造があります。・・・ つまり安定してきたら曖昧なものを増やしていき、不安定なときには確かなものを増やしていくようにする。それを使い分けていくのが精神的な健康につながるのです。

・精神が健康である状態を一言で表そうとしたら、それは「好奇心」です。好奇心が生命の生き生きしていることのいちばんの現れです。

・言葉で表せなないようなもの、フィーリングのトレーニングには「触る」というのがとても大事です。それから匂い、ハーブとか、お香とか。

・「地図は現地ではない」は大好きな言葉です。

・不登校の子どもたちをずっと見ておられる稲垣卓という先生の本を紹介します。その先生は理論化しない人で、ただ経験をだけを語るという少々頑固な人で、「不登校の治療でしちばん有効なのは家事労働をさせることだ。理由は分からないけれど、家事労働をさせたらいつの間にか学校にいくようになった」と書いています。・・・ 家事労働をさせるとき、「ここはあなたの受け持ちよ」と言うのは駄目で、何でもさせて、できればお父さんお母さんと一緒にするのがいいのです。そして分担を決めずに、たとえば洗い物ををしていたら、さらをふいてとか、ちょっと火を止めてとか、それも「火を止めて」と言わずに、「ほらっ」とか言って、できるだけ言葉は少なくして、お互いにものを言わずにするのがいいんです。

・まず患者さんが来て何か言ったり聞いたりする。確かにここに来る患者さんのほとんどはもともと知らない人だけれども、もともと知り合っている人、隣近所の人、あるいは同級生みたいな知っている人が、病気をしてここに来たというつもりで、話を聞いたり、助言したりしてあげるといいです。そうすると、今まで言ったりしたりしていたことのかなりの部分は、言うか言わないか、するかしないか、後々のことを考えなければならなくなります。付き合いが続くんだからね。実際は続かないかもしれないけれど、イメージとして続くと仮定するの。治療が終わったら今までよりももっとつき合いが深くなっていくという関係、そういう関係だと思って、ものを言ったり振る舞ったりすれば、うんとうまくなる。言い損ないがない。ただし、隣近所の人に対しては、われわれ専門家であっても、あんまり格好いいことは言えないよな。これを考えてみてください。
・二番目は「対話」ということです。音があって、表情があって、タイミングがあって、触れ合いがあって、感情の行き来がある。

・主訴を見たときには、何かの病気と、それと戦っている自然治癒力との合成だと考えるの。それが見えていないと臨床が見えない。言い換えると、「主訴のなかには自然治癒力がどう現れているかな」と思って見ると、精神療法の計画が立つようになります。・・・ 精神療法の手始めは、「見かけ上、変だね」と思うことが、その個体にとって、その時点で何かいいんじゃないか、何かプラスあるはずだ、と思ってみることで手がかりがつかめて先に進んでいけるんです。

・POS(プロブレム・オリエンテッド・システム)

・「サイバーと心の回復力」

・その人の、こっちから見て右側、その人にとっては左側の情報がバウムテストではみらいを表す。それから右の情報、こっちから見て左の情報が過去を表すとか言うじゃない。
そう思って見ると、確かに中がすっぽんぽんの人は、周りに合わせていくタイプの人ね。周りに合わそうと努力をしている人。上手いか下手かは別として、そういう人は中がすっぽんぽんになっている、ということに気がつきました。それで、そういう人たちにバランスボールを買わせてて、したらよかろうと思ったけれど、・・・大きくて大変なのね。・・・ ボクの気功教室の仲間に理学療法士の人がいまして、その人がエアクッションというのがあって、それがバランスボールとほとんど同じような効果があると教えてくれたんです。
・・・ その芯を意識して、・・・ 目から入ってきた刺激を全部、この芯に入れるのね。・・・
これをやりだしてからリストカットをして来た人はひとりしかいない。リストカットが激減します。これをやっていると芯がしっかりしてきて、いろんなことに対して揺るぎなく、自分の生活をマネージしていくようになるんです。

・河合隼雄先生と話しとったときに、河合隼雄先生が突如として、怒り始めたんですよ。「ねえ、神田橋さん、われわれが一所懸命工夫して、努力して、技術を作ると、あれは才能だと言うヤツがいて腹立ちますね(笑)、才能だとか、河合は天才だとか、言うんですよね、腹立ちますね」と。

・医者の「薬物依存」「マニュアル依存」はひどいものになっています。発達障害者の脳では、薬物に起因する幻覚が頻発しています。・・・ 主観・感覚の放棄は自己放棄なのです。

・「いろいろ考えて、吹っ切れました。退院させてください」と言うから、「そうですか」と帰すと、帰り道で筑後川に飛び込んで、となる。急に明るくなるのは死ぬ決心が定まったから。そうなると自殺の能力だ。自殺するという決心やその思いのなかに身を任せると、気が楽になるんでしょう。

・和歌山ヒ素事件のときに、ヒ素中毒の人がたくさん出て、担ぎ込まれた病院で、死亡した人が多い病院とあんまり死ななかった病院とがあった。それをどうしてだろうと思った中学生が、夏休みの研究がなんかでその病院を全部訪問して、いろいろ聞いたみたいだね。・・・ 「吐いて苦しそうだから」と、吐き気止めを投与された患者さんはたいてい死んで、「吐いているから、何かわからんけど腹のなかに変なものが入っとったらいかんから」というので、とりあえず胃洗浄をしてもらった病院の患者さんは助かった。文芸春秋で賞をもらったけど、頭のいい中学生がいるもんだなあ。

・ボクの主治医の丸山征郎先生の講演で聴いたことだけど、アフリカだったかな、マラリアがすごく蔓延する地方があってね。そこに、ひどい貧血があるんだって。「これは鉄剤を飲ませて、貧血を直してやらんといかん」ということで、鉄剤を飲ませたんだね、イギリスの集団検診のスタッフかなんかが。そうしたら、貧血がよくなった人は、ばたばたマラリアにかかった。その結果、ひどい貧血の状態では、マラリア原虫は繁殖することができないということが分かった。マラリアを予防するためかどうか分らんけど、そこの住民はみんな貧血がひどい状態になっていて、マラリアの原虫を持った蚊に刺されても、なんとか発病しないですんでいたの。共存だね。

・脳を回復させることによって、脳が心の無理難題に耐えられるようになるということです。

・非常に腹が立つのはね、子どもの殺傷事件なんかが起きたり、大きな事故があったりすると、PTSDの支援チームとか何かそういうものを作って、わーっと行ってね、「どうですか? 夢を見ますか?」とか、「しょっちゅう思いだしますか?」とか、「寝られんのじゃありませんか?」とか、聞くのよね。あれはもう実にいかんよ。というのは、何か事件があって、たとえば地震があって、わーっとなっても、多くの人は忘れる。忘れるというのは記憶のなかに沈殿させてしまうわけだ。そしてフラッシュバックが起こらない程度に脳がタフであれば、似たような刺激が来ても、たとえばこのコップがカタカタと動いても、「わっ」とならない人の方が大半なのよ。それなのに、せっかく忘れているのに、無理に思い出せるように復習させる。復習すると、勉強がよくできるようになるでしょう。支援チームはPTSD・フラッシュバック保存活動ボランティアみたいなものだ。なあ、けしからんよ、供給が需要を喚起しているんだ。絶対悪いよ。ボクはあちこちで言っているの。

・漢方の補剤というのはたいしたものなんですね。補剤にはいろいろあるんですが、ある200床ぐらいの老人病院で老人のからだの状態に合わせた補剤を投与したら、風邪を引かなくなる、下痢をしなくなる、風邪を引いても肺炎にならなくなる、それから感染症にならなくなって、年間の薬剤費が約2,000万円も節約になったそうです。・・・ 漢方に変えなきゃ駄目なのよ。ただ漢方を追加するだけなら、追加したぶんだけ薬剤費が余計にかかるから。そうじゃなくて、ちゃんと他の薬を抜いていけば、薬剤費がかからないし、副作用も少ないですからね。

・どくだみ茶を飲ませてみた。そうすると、3~4か月ぐらい経ってからだったかな、脳下垂体の邪気が消えたの。

・ともかく今のままでどんどん臨床がひどくなっていきますと、被害者ばっかり出てきて、こうれはどうしようもない。・・・ 受け手であるお客さんの側が声をあげていくような運動を起こす以外に、事態を修復する方法はもうなんだろうと思います。臨床のできない人が現在の精神医学の指導的立場にいますから、どうしようもない。非常に悲惨な状態になっています。薬の量と種類がだんだん増えていかなきゃならないようになったら、これは診断がおかしいんじゃないかと思ってください。いちばん大きなものは、薬を増やしたから病気が悪くなっている場合がある、ということです。増やしたから、病気が悪くなるんです。脳に効く薬ですから、脳に“悪く効く”ということがあるわけですね。全部“よく効く”ということはない。脳に効かない薬はあんまり害がないけれど、”効く“んだから、”悪く効く力がある“ということです。

・「知」と「技」が理想的にお互いに助け合って、これがこっちの役に立つ、これはこっちの役に立つと考えると、次のようになるだろうと考えたの。「知」と「技」のふたつが融合していくと、見かけは「技」の形をしているけれども、実はそれが「知」である、あるいは「知のための技」「技のための知」とか、あるいは「知としての技」「技としての知」となってくると、統一体になる。ふたつを統一体にするという考え方は、西郷隆盛なんかが信奉していた陽明学のなかの知行合一の考え方です。知行合一というのは、言行一致です。

・ニキ・リンコ著「スルーできない脳」

・震災のボランティアに今、全国から行っています。スクールカウンセラーとか、精神科医の会とか、ずいぶんたくさんのボランティアが行っていますが、ボクは行ってこられた方たちに会って、話を聞いたの。
そのひとつは「何もすることがない」ということ。・・・ ある臨床心理士の人が行ったときには、みんな、まだ話をするどころじゃなくて、「水が足りん」とか、「食べ物がない」とか、「あの人はどこに行ったどうか」とかいうような話で、心理などということはもうどっかにぶっ飛んでしまっている。・・・ あと、何ができるかと考えて、「話を聞きましょう」とか言っても、被災者はまだ話ができるような状況じゃない。じゃあ何がいいのかというと、じーっと一緒に座ってたり、空を眺めてたりするといいらしいの。困っている人がいたら、ただそばにいるだけで、精神科医らしい仕事はできないけれど。
もうひとつは、現地に行ってみるとね、自分たちは震災に遭っていないし、津波に遭っていないし、近親者が流されて、急にその人たちがおらんようになったりしていない。つまり、被災地の人たちと自分との体験の重なるところが全然ないので、言葉をかけようとか、理解しようとかすることに、すべて根っこがないの。自分の言葉も気持ちも作り物、嘘だという感じがして、声がかけられない、結局、体験していないから分からない。向こうの人たちも、「分かったような顔をして、全然分かっとらんやつが来る」と思ったらしく、ある臨床心理士の人は、校長から「来られるのはいいけど、まず災害に遭った場所を歩いて回ってから来てください」と言われた。それからでないと、分らんちんで、話をしてもしょうがないだろうと。
このふたつ。ひとつは「専門技術が無力になる」という問題と、もうひとつは「相手と体験が共有できない」ということ。このふたつの問題はこういう震災のようなときには強烈です。ひどい。ひどいから滅入るの。しかし、このふたつの問題は精神科的な、あるいは心理的な医療の現場では、実は常にあるものなんだよね。他の問題にカバーされて、小さく思えたり、見えなかったりするだけで。
昨日、偶然、読んだ本のなかに、看護協会の偉い人、80数歳の看護師さんが書いておられた。その人もボランティアの看護師さんの団体を結成して、被災地に行ったの。みんな看護師だから、看護をしようと思って行っているわけだけど、「まず便所の掃除をしましょう」と言って、いちばん最初にみんなでお便所をきれいにした。被災者の人もみんな毎日、お便所に行くんだから、「便所がきれいだったら気持ちがいい」と言って、まず掃除をしたという話が書いてありました。その先生は、ナイチンゲールが書いた本を、いつも自分の看護の聖書のように読んでいるだって。

・掃除のおばさんだった人たちがね、「先生たちは新しい治療法をいろいろ考えついて、一生懸命やって、それでいい論文を書いて、偉ろうならしゃった」「だけどね、みんな、私たちが下で助けとったから、治療がでけたんよ」と言うんだ。「それはどうして?」と聞いたらね、「どの治療をしているきも、患者さんは『この治療は辛い』『もうしたくない』『耐えられん』と言って、泣いてきた。そのときに、私たちが握り飯を作って、漬け物をつけて、『これでも食べて頑張んなしゃい』と言うて、そうしてまた治療が続けられた」と。

・河合隼雄先生は「優れた治療者は『分からない』という言葉で勝負する」とおっしゃっていました。これは名言です。・・・ 「あなたの話のなかのこの部分が私は分からにような気がするんだけど、その部分をもう少し話してくれない?」とか、「ここが分からないのよね」と、的確にピンポイントで指すと、それを向こうが説明してくれるかもしれない。・・・ だけど、これは相手に説明する能力がなきゃ駄目です。そうすると、説明する能力がない個体からどのようにして、こちらの分からないことに関しての情報を引き出すかということになる。そこに、素人ではできない技術者の世界が出てくるわけです。

感想
多くの臨床体験といろいろな技法を試して来られてたどり着いた知と技のように思いました。






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