・ギャップ法
伝えたいことと、「正反対のコトバ」を手前に入れることで、強いメッセージをつくることができる。
・サプライズ法
1) 伝えたいコトバを決める
2) サプライズワードを入れる
・リピート法
女々しくて、女々しくて、女々しくて
・赤裸々法
頭が真っ白になるくらい、あなたが好き
・クライマックス法
「ここだけの話、~」
「3つのコツがあります、1つ目が
・ノーをイエスに変えるたった3つのステップ
1) 自分の頭の中をそのままコトバにしない
2) 相手の頭の中を想像する
3) 相手のメリットと一致するお願いをつくる
・「イエス」に変える「7つの切口」
1)「あなた限定」
2)「相手の好きなこと」
3)「選択の自由」
4)「認められたい欲」
「火野さんのことを信じています。火野さんも私たちを信じてください!」
5)「チームワーク化」
6)「嫌いなこと回避」
「薬品が塗ってあるので、触らないで」
7)「感謝」
「この机、移動して。ありがとうね!」
感想;
ヨハネの福音書に「初めに言葉あり」とあります。
言葉は“言霊”とも言います。
言葉は力を持っています。
その言葉も伝え方によって大きく変わるのでしょう。
相手に伝わらないとどんな素晴らしい言葉でも効果が発揮しません。
それと言葉は誰の口から出るかで重みが変わります。
美辞麗句を並べる人がいますが、その人のそれまでの行動から、その言葉にまったく重みがない人います。
人は言葉を選んでいるようで、実は言葉に選ばれているのでしょう。
言葉のギリシャ語では”Logos”が使われています。
このロゴスは”意味”という意味も持っています。
初めに意味があった。
一人ひとりの存在には意味があるのだと思います。
この意味を考える療法がロゴセラピーです。
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html
人が創る品質 -ロゴセラピー(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)-
ご参考
http://waseda.chu.jp/sermon/20180701.html
〈聖書〉ヨハネによる福音書 1:1〜5
1:初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。2:この言は、初めに神と共にあった。3:万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。4:言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。5:光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
○ヨハネによる福音書の冒頭部分
今日は、ヨハネによる福音書の1章の18節までを読んでいただきました。この箇所は、言うまでもなくヨハネ福音書の冒頭部分で、独特な表現での証言ですので、良く知られている箇所でもあります。
* * * * * * * * * * * *
ヨハネによる福音書は90年代に、ヨハネ教団にて成立したと考えられています。ヨハネ福音書より先に成立していた三つの福音書(マルコ・マタイ・ルカ福音書)の存在を知りながら、それらを下敷きにするのではなく、別系統の資料や姿勢の下にして、ヨハネ教団という場で信仰を共有している者たちによって編纂されたのであろうと考えられています。
* * * * * * * * * * * *
マタイ福音書や、ルカ福音書にはそれぞれに叙述的なイエス・キリストの誕生物語、所謂「クリスマス証言」というものがあります。今日のヨハネ福音書の冒頭、これは独特な形での「クリスマス証言」です。通常、これをヨハネの「ロゴス賛歌」、あるいは「ロゴス・キリスト賛歌」と呼んでいます。
1〜3節にこうありました。「1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。2この言は、初めに神と共にあった。3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」。
「初めに言があった」、この書き出し部分、「言」にはロゴスというギリシャ語が用いられています。ヘレニズム文化で栄えたストア哲学の中心概念であった「言」(ロゴス)。このロゴスという語でもって、ヨハネによる福音書はキリストを表現しました。
ロゴスであるキリストは、原初から存在しており、神そのものであったこと、キリストは最初から神と共にあり、このキリストによって全てのものは創造され、キリストによらずに成ったものは何一つない、このようにこの箇所ではキリストが高らかに賛美されています。最初からあったキリスト、これを「先在のキリスト」とも表現します。「先在のキリスト」というのは、キリストは人間世界にイエス・キリストとして受肉し、身体をもって降誕する前から永遠に存在していた、と考えての教えです。
そして、この「ロゴス」は、単に言葉というのではなく、出来事をも表し、またこの世界の法則や道理という意味も持っています。そうしますと、ヨハネ福音書は、「ロゴス」という言葉を冒頭に置いて、この言葉でもって、世界の真理としてのキリスト、キリストの出来事を証しようとしているのだと理解できます。
伝えたいことと、「正反対のコトバ」を手前に入れることで、強いメッセージをつくることができる。
・サプライズ法
1) 伝えたいコトバを決める
2) サプライズワードを入れる
・リピート法
女々しくて、女々しくて、女々しくて
・赤裸々法
頭が真っ白になるくらい、あなたが好き
・クライマックス法
「ここだけの話、~」
「3つのコツがあります、1つ目が
・ノーをイエスに変えるたった3つのステップ
1) 自分の頭の中をそのままコトバにしない
2) 相手の頭の中を想像する
3) 相手のメリットと一致するお願いをつくる
・「イエス」に変える「7つの切口」
1)「あなた限定」
2)「相手の好きなこと」
3)「選択の自由」
4)「認められたい欲」
「火野さんのことを信じています。火野さんも私たちを信じてください!」
5)「チームワーク化」
6)「嫌いなこと回避」
「薬品が塗ってあるので、触らないで」
7)「感謝」
「この机、移動して。ありがとうね!」
感想;
ヨハネの福音書に「初めに言葉あり」とあります。
言葉は“言霊”とも言います。
言葉は力を持っています。
その言葉も伝え方によって大きく変わるのでしょう。
相手に伝わらないとどんな素晴らしい言葉でも効果が発揮しません。
それと言葉は誰の口から出るかで重みが変わります。
美辞麗句を並べる人がいますが、その人のそれまでの行動から、その言葉にまったく重みがない人います。
人は言葉を選んでいるようで、実は言葉に選ばれているのでしょう。
言葉のギリシャ語では”Logos”が使われています。
このロゴスは”意味”という意味も持っています。
初めに意味があった。
一人ひとりの存在には意味があるのだと思います。
この意味を考える療法がロゴセラピーです。
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html
人が創る品質 -ロゴセラピー(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)-
ご参考
http://waseda.chu.jp/sermon/20180701.html
〈聖書〉ヨハネによる福音書 1:1〜5
1:初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。2:この言は、初めに神と共にあった。3:万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。4:言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。5:光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
○ヨハネによる福音書の冒頭部分
今日は、ヨハネによる福音書の1章の18節までを読んでいただきました。この箇所は、言うまでもなくヨハネ福音書の冒頭部分で、独特な表現での証言ですので、良く知られている箇所でもあります。
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ヨハネによる福音書は90年代に、ヨハネ教団にて成立したと考えられています。ヨハネ福音書より先に成立していた三つの福音書(マルコ・マタイ・ルカ福音書)の存在を知りながら、それらを下敷きにするのではなく、別系統の資料や姿勢の下にして、ヨハネ教団という場で信仰を共有している者たちによって編纂されたのであろうと考えられています。
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マタイ福音書や、ルカ福音書にはそれぞれに叙述的なイエス・キリストの誕生物語、所謂「クリスマス証言」というものがあります。今日のヨハネ福音書の冒頭、これは独特な形での「クリスマス証言」です。通常、これをヨハネの「ロゴス賛歌」、あるいは「ロゴス・キリスト賛歌」と呼んでいます。
1〜3節にこうありました。「1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。2この言は、初めに神と共にあった。3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」。
「初めに言があった」、この書き出し部分、「言」にはロゴスというギリシャ語が用いられています。ヘレニズム文化で栄えたストア哲学の中心概念であった「言」(ロゴス)。このロゴスという語でもって、ヨハネによる福音書はキリストを表現しました。
ロゴスであるキリストは、原初から存在しており、神そのものであったこと、キリストは最初から神と共にあり、このキリストによって全てのものは創造され、キリストによらずに成ったものは何一つない、このようにこの箇所ではキリストが高らかに賛美されています。最初からあったキリスト、これを「先在のキリスト」とも表現します。「先在のキリスト」というのは、キリストは人間世界にイエス・キリストとして受肉し、身体をもって降誕する前から永遠に存在していた、と考えての教えです。
そして、この「ロゴス」は、単に言葉というのではなく、出来事をも表し、またこの世界の法則や道理という意味も持っています。そうしますと、ヨハネ福音書は、「ロゴス」という言葉を冒頭に置いて、この言葉でもって、世界の真理としてのキリスト、キリストの出来事を証しようとしているのだと理解できます。
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