・ガンディーの墓に刻まれている言葉
「かつて出会った中で一番貧しい人を思い浮かべて、あなたの次にとる行動がその人の役に立つかどうか考えなさい」
・道徳経
大道廃れて、仁義あり
智慧出でて、大偽あり
六親和せずして、孝慈あり
国家昏乱して、忠臣あり
・人への奉仕の大部分は、自分自身への疑いや、要求や、抵抗と直面することなのだ。
・道元禅師
道を学ぶとは自己を学ぶこと
自己を学ぶとは自己を忘れること
自己を忘れるとは万物のあり方によって証されること
万物のあり方によって証されるとは、自己と他者の隔たりを取り去ること
・最近のトランスパーソナル心理学、人間性心理学、ゲシュタルト・セラピー、ユングから派生したセラピーのアプローチは、自己の開放や、より拡大されたアイデンティティ感覚の探求を奨励しています。
・信頼しながら率先して行動するほど、自分たちが貸そうとする力の、幅と可能性が大きく広がります。自分たちを超えた援助の源を、もっと信頼するなら、ますます忍耐強くなるかもしれません。
・もしわたしたちの片腕がドアにはさまったら、自然にもう一方の腕を使ってそれをはずしてやろうとします。助けるということは秤にかけ、熟考したすえに起こるものではありません、助けることは、そのもともとの自然発生的な表現を阻む障壁がくずれ落ちることから起こるのです。
・すべてが失敗に終わり、やれることをやりつくしてしまっても、私たちにはまだ互いに差し出せる、この本質的な確信があります。
・W・H・オーデン
いにしえの師たちは
苦しみについて
決して間違っていなかった
ものを食べたり、窓を開けたり
ただぼんやりと道を歩いている間に
いかに苦しみが起こるか
なんとよく人間の状態を理解していたことか
・哲学者グルジェフ
もし私たちが牢獄から逃れたければ、まず自分が牢獄にいることを知らなければならない。その認識なくしてはどんな脱出も不可能だ。つまり役割が必然だ、便利だ、自分ができる最高のことだと感じているかぎり、その他のことに注意を向けられないようなのです。
・「援助の牢獄」の壁を突破するのに、方法や仕掛けは必要ありません。私たちにできることは、自分自身の人間性を十分受け入れることです。私たちはそのためのスペースを作ることができます。そうすると助け合う行為の豊かさと相互作用が、役割によって作り出された障害を溶かしていくのです。
・私たちは助ける人として、明らかに何の見返りもない援助には取り組みません。人を思いやることでどれくらいの見返りがあるのか、私たちは知っています。それは単に、物質的な褒美とか誉め言葉、あるいは自分が役立っているという感じだけではありません。それよりはるかに本質的な何かが生じうるのです。
・奉仕は一方通行でないと理解するとき、私たちが自己イメージの牢獄から脱出するのを助けるために、自分たちの助けている人々が、たえず手掛かりを差し出してくれていることに気づきはじめます。何がうまくいって、何がうまくいかないかを知らせてくれるだけでなく、彼らは私たち自身のモデルそのものについて問いかけ、私たちを助けているのです。彼らは私たちに鋭く迫ります。私たちを見透かしているのかもしれません。もし私たちがそれを受けとれば、それは至福になります。自分のことを少々愚かに思うかもしれませんが、最終的に、私たちは感謝します。
・植芝盛平
勝つということは、自分自身の中の心の不和に勝つということを意味します・・・ではどうやって自分のゆがんだ精神をまっすぐにし、心を浄化し、自然のすべての活動と調和することができるのでしょうか。まず、神の心を自分のものにすべきなのです。それ宇宙のあらゆる空間、あらゆる時間における大いなる愛の偏在を意味します。「愛に不和はない。愛に敵はいない」
・努力がいつも私たちを燃えつきさせるとは限りません。努力する中で、自分の心がどこにあるのかによって、私たちは燃えつきるのです。
・賢者は何もしない。しかし為されぬままに残されるものもない。(老子)
・奉仕の道では、目覚めへ向かう旅を行く私たちを助けてくれるフィードバックを、つねに与えられるのです。
・人を助けるために私たちは自分自身に働きかけるのです。そして自分自身に働きかけるための手段として、私たちは人を助けるのです。
・良寛
我が衣はこの浮き世で、苦しむ人すべてを覆うほど大きい
感想;
自分の幸せを追求しても、幸せになれないことを多くの賢者が残しています。
この簡単な真理がなかなか実感し実践することが難しいです。
図書館で席を立つとき、椅子が出しっぱなしになっています。
通行の邪魔にならないように、椅子をテーブルまで戻す、このことをされない方が多いです。
エレベーターでもボタンの近くの人がさっさと先に出られます。
ボタンを押して他の方が出られるのを待ってから降りられてもよいのですが・・・。
数秒のことなのです。
ちょっとした日常の行為なのですが。
そういう行為は天に貯金をすると賢者が言っています。
「かつて出会った中で一番貧しい人を思い浮かべて、あなたの次にとる行動がその人の役に立つかどうか考えなさい」
・道徳経
大道廃れて、仁義あり
智慧出でて、大偽あり
六親和せずして、孝慈あり
国家昏乱して、忠臣あり
・人への奉仕の大部分は、自分自身への疑いや、要求や、抵抗と直面することなのだ。
・道元禅師
道を学ぶとは自己を学ぶこと
自己を学ぶとは自己を忘れること
自己を忘れるとは万物のあり方によって証されること
万物のあり方によって証されるとは、自己と他者の隔たりを取り去ること
・最近のトランスパーソナル心理学、人間性心理学、ゲシュタルト・セラピー、ユングから派生したセラピーのアプローチは、自己の開放や、より拡大されたアイデンティティ感覚の探求を奨励しています。
・信頼しながら率先して行動するほど、自分たちが貸そうとする力の、幅と可能性が大きく広がります。自分たちを超えた援助の源を、もっと信頼するなら、ますます忍耐強くなるかもしれません。
・もしわたしたちの片腕がドアにはさまったら、自然にもう一方の腕を使ってそれをはずしてやろうとします。助けるということは秤にかけ、熟考したすえに起こるものではありません、助けることは、そのもともとの自然発生的な表現を阻む障壁がくずれ落ちることから起こるのです。
・すべてが失敗に終わり、やれることをやりつくしてしまっても、私たちにはまだ互いに差し出せる、この本質的な確信があります。
・W・H・オーデン
いにしえの師たちは
苦しみについて
決して間違っていなかった
ものを食べたり、窓を開けたり
ただぼんやりと道を歩いている間に
いかに苦しみが起こるか
なんとよく人間の状態を理解していたことか
・哲学者グルジェフ
もし私たちが牢獄から逃れたければ、まず自分が牢獄にいることを知らなければならない。その認識なくしてはどんな脱出も不可能だ。つまり役割が必然だ、便利だ、自分ができる最高のことだと感じているかぎり、その他のことに注意を向けられないようなのです。
・「援助の牢獄」の壁を突破するのに、方法や仕掛けは必要ありません。私たちにできることは、自分自身の人間性を十分受け入れることです。私たちはそのためのスペースを作ることができます。そうすると助け合う行為の豊かさと相互作用が、役割によって作り出された障害を溶かしていくのです。
・私たちは助ける人として、明らかに何の見返りもない援助には取り組みません。人を思いやることでどれくらいの見返りがあるのか、私たちは知っています。それは単に、物質的な褒美とか誉め言葉、あるいは自分が役立っているという感じだけではありません。それよりはるかに本質的な何かが生じうるのです。
・奉仕は一方通行でないと理解するとき、私たちが自己イメージの牢獄から脱出するのを助けるために、自分たちの助けている人々が、たえず手掛かりを差し出してくれていることに気づきはじめます。何がうまくいって、何がうまくいかないかを知らせてくれるだけでなく、彼らは私たち自身のモデルそのものについて問いかけ、私たちを助けているのです。彼らは私たちに鋭く迫ります。私たちを見透かしているのかもしれません。もし私たちがそれを受けとれば、それは至福になります。自分のことを少々愚かに思うかもしれませんが、最終的に、私たちは感謝します。
・植芝盛平
勝つということは、自分自身の中の心の不和に勝つということを意味します・・・ではどうやって自分のゆがんだ精神をまっすぐにし、心を浄化し、自然のすべての活動と調和することができるのでしょうか。まず、神の心を自分のものにすべきなのです。それ宇宙のあらゆる空間、あらゆる時間における大いなる愛の偏在を意味します。「愛に不和はない。愛に敵はいない」
・努力がいつも私たちを燃えつきさせるとは限りません。努力する中で、自分の心がどこにあるのかによって、私たちは燃えつきるのです。
・賢者は何もしない。しかし為されぬままに残されるものもない。(老子)
・奉仕の道では、目覚めへ向かう旅を行く私たちを助けてくれるフィードバックを、つねに与えられるのです。
・人を助けるために私たちは自分自身に働きかけるのです。そして自分自身に働きかけるための手段として、私たちは人を助けるのです。
・良寛
我が衣はこの浮き世で、苦しむ人すべてを覆うほど大きい
感想;
自分の幸せを追求しても、幸せになれないことを多くの賢者が残しています。
この簡単な真理がなかなか実感し実践することが難しいです。
図書館で席を立つとき、椅子が出しっぱなしになっています。
通行の邪魔にならないように、椅子をテーブルまで戻す、このことをされない方が多いです。
エレベーターでもボタンの近くの人がさっさと先に出られます。
ボタンを押して他の方が出られるのを待ってから降りられてもよいのですが・・・。
数秒のことなのです。
ちょっとした日常の行為なのですが。
そういう行為は天に貯金をすると賢者が言っています。
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