・意志の自由/意味への自由/人生の意味(3本の柱)
①全ての人間は少なくとも潜在的には意志の自由を持っている
②全ての人間には意味を求める努力や意味への憧れが宿っている
③人生には無条件に意味があり、それはいかなる状況においても決して消えることはない、というロゴセラピーの核心を表すものである
・意味は、見出されなければならないというだけでなく、見出すことのできるものでもある。そして、意味の探求において人間は良心によって導かれる。一言で言えば、良心は意味器官である。
・ロゴセラピーの要件とは、以下の3点がないままクライエントを帰してはならないといものである。
a)クライエントの質問への回答
b)何らかの改善のチャンスへの希望
c)精神の力を用いた小さな挑戦
・人間的な、人間らしい、再人間化された心理療法の前提として、私たちは自己超越を視野に入れながら、自己距離化を会得することが求められている。
・良心が「意味器官」という性質を持っていると考えるならば、それは演劇におけるプロンプターに似ている。・・・私たちはその都度、特定の物差し、すなわち「意味の物差し」を当てなければならない。この物差しで測られた価値だけが、私たち自身のそうした深層に根を下ろす。
・ロゴセラピーは、人間の精神が話すことを聞くのである。
・私たちがあちらとこちらに引き裂かれている人を救うことができるのは、すべての物事には光と影の側面があるという自明の事実を、本人が理解しているときだけである。
・ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドル
「全てのものの中に歌が眠っている。それらのものは夢を観続けている。そしてせかいは歌い始める。君が魔法の言葉に出会いさえすれば」
そう、魔法の言葉だ! これが私が30年間の臨床経験の末に発見したことである。私たち心理療法家は魔法の言葉を何も持っていない。しかし、私たちの患者は自分の中にそれを持っている。私たちが正しい手続きや直感や何らかの方法によってその言葉を導くことができたとき、彼らは歌い始める。
・1967年から1971年にかけて私がウィーン大学で受講してフランクル教授の講義で、フランクルはウィーンポリクリニックの心を病んだ患者を何度も紹介した。こうした患者とコミュニケーションをとる際の彼のスタイルは、慎重に言葉を選んだとしても、かなり荒々しかった。フランクルは患者が、延々と悩みを語ることを許さず、患者の見解に激しく反論することもためらわなかった。ときには患者がまった予期しないような反応をして、患者をひどく驚かせた。それにもかかわらず、フランクルが患者のことを真摯に受け止め、患者のさらなる人間的成長をとても大切にしていたことは、極めて明らかであった。フランクルは、支配的に(と言っても良いだろう!)患者を大いに哲学的な議論ができそうな場所まで連れて行き、そこで主導権を患者自身に返した。私がそうしたやり方を目にした患者のほぼ全員が、深く考え、目覚めさせられ、講義室に入ってきたときよりもどことなく生き生きとした足取りで、講義室を出て行った。
例えば私が思い出すのは、何重もの不安のために入院治療を受けていたある女性患者である。私たち学生に紹介された彼女は、少女の頃までさかのぼって自分の病歴を披露し始めた。その際、ひどく恥をかくかもしれないという不安から今までずっと人からの誘いやその他の接触を断っていた、という発言があった。「ちょっと失礼」とフランクル教授は彼女の話の洪水を唐突に遮り、「それならどうしてあなたは今ここで、この学生たちの前で恥をかくことに不安を感じないのですか? 若い人たちは、そんな変なためらいに気づいたらすぐに笑い出しますよ! そしてわたしのこともです。あなたの話で死ぬほど退屈するかもしれないお偉い白髪の老教授を、あなたは怖れないのですか?」
このフランクルの介入は私の記憶に残った。なぜなら、そのとき私は、この介入はあまりにも厳しいと感じたからだ。しかし、この治療的会話の続きがすぐに私の誤った考えを正してくれた。この患者はフランクルに反論し、くだけた調子で次のように述べたのである。「そうですね。まあ、私も考えたんですよ。健康になりたいんなら全部オープンに話さないといけないなって」と彼女は言い返した。フランクル教授は喜びをで顔を輝かせ、まさに我が意を得たりといった様子だった。「ということは・・・もしあなたが何かをしたいと望むなら、強く望むなら、あなたは自分の不安を飛び越えなければならない・・・そういうことですか?」フランクルはとびきり優しい声で歌うように言った。「まさにあなたはそうしなければならない・・・あなたの不安を飛び超えろと、学生たちがあなたに、私があなたに強制しましたか?」「いえいえ」と患者は自分でも驚きながら答えた。「私が自分でそうしているだけです。」フランクルの輝きが伝染し、私たちも皆一緒に胸がドキドキしていた。「では、もしあなたが何かをしたいと望むなら、強く望むなら、そのときあなたはとにかくそれをする。私が聞いたことは合っていますか? そのときあなたは10年にわたる不安を乗り越える? 素晴らしい! 私はただただおめでとうと言いたい!」彼女は眠りから目覚めたいばら姫のようにまばたきをしていた。しかしフランクル教授は彼女に「ええ、でも」という反論緒時間を与えなかった。「それならば」とフランクルはすかさず続けた。「今、私たち皆で考えましょう、あなたがしたいと強く望むような、将来の価値あることやふさわしいことは何かを。あなたが健康になりたいのは、いったい何のためでしょうか・・・?」
この先の話の流れは忘れてしまったが、私たち学生も患者も、全く気兼ねすることもなくたくさん笑ったことだけは、いまだに覚えている。この女性も(たった30分の会話の後で!)生き生きとした足取りで立ち去っていったうちの1人だ。
その後、私が心理療法家としてのキャリアの中で学んだことは、自らを抑制し共感に満ちて傾聴すること、天使のような寛容さでたくさんの昔話に付き合うべきということ、そして、害になるような助言を絶対に与えないということや、正しいとか間違っているといった判定をしてはいけないということであった。見たところ、フランクル教授はこれらの基準の全てに反していた。彼は、とにかくオリジナルなのだ。
・2つの会話スタイルの要素が、私が紹介したフランクルの短い会話を特徴づけている。
①フランクは患者の行動の矛盾をあばいていることである。
②フランクルは会話の中で称賛を治療薬として利用していることである。
・会話スタイル
①人格の価値を高く評価する
②明確さに寄与する
③オルタナティブで遊ぶ
④意味を探求する
・基本的にはロゴセラピーの強みは磨き上げられた盛りだくさんの技法のレパートリーにあるわけではない。むしろ、一度限りの人生の状況や危機の状況における、患者の唯一無二の独自性に合わせた治療法をセラピストに提供してくれる。素晴らしい「即興術のガイドライン」がロゴセラピーである。
・ロゴセラピーは「暴露的」ではなく、「発見的」な心理療法である。発見すべく探求されるものは、人間に備わっている、意味(Logos)に向かう健康的で無傷の力である。この力の源の1つは、逆説志向を効果的にするために用いられる人間の自己距離化能力である。もう1つは、過剰自己観察消去を効果的に用いるための人間の自己超越能力である。
・神経症の循環プロセスは、患者に以下の4つの要因が重なり合うことによって確立される。
①心配性な性格素因
②不安定な自律神経
③トラウマ的な出来事
④未発達な自己超越能力
・「ロゴセラピーと医療」という組み合わせの他にも、ロゴセラピーの技法と自然療法、リラクセーション技法(自律訓練法)、行動療法的プログラム(系統的脱感作法)および芸術療法(音楽療法、絵画療法、ダンス療法)との組み合わせも極めて効果的である。成功の見込みがあまりないのは、ロゴセラピーと回顧的な方法(精神分析)との組み合わせである。
・場合によってはしゃべりすぎるのと同じくらい害になるのが沈黙である。そうすることで、医師があまりにもいわくありげな印象を与えるなら・・・
・息子さんのために自分をいわば犠牲にしてみたらどうでしょうと彼女を挑発してみた。人生がまったく生きるに値しないように見えるときでも、それにもかかわらず「息子さんの安全を思って」生き抜くのです、と。この忠告は彼女の心に届き、彼女は二度と自暴自棄な行動を起こさなかった。
・人間は自らの意味への意志によって意味を求めるだけでなく、3つの道を通じて意味を見つけるということである。
①創造価値;人は何かをおこなうことや成しとげることによって
②体験価値;何かを体験したり、誰かを愛することによって
③態度価値;そして変えることもできない運命に出会ったときの姿勢や痰度によって
・苦悩、罪、死(悲劇の三つ組)
・過剰自己観察消去グループ
・ロゴセラピー瞑想サークル
①ヌース 決断を管轄
態度決定を管轄
評価を管轄
個人性を管轄
②ロゴス 意図されたもの
最善の可能性
為すべきこと
神が望まれること(神学的にには)
・人間緒決断能力に関する10の命題
①人間の決断は、説明のできない自由な意思行為である
②この自由な意思行為には、理由はあるが原因はない
③その理由は、ある特定の行動の選択をではなく、その行動の意味のみを説明する
④人間はまた、意味ある理由に反してでも決断をすることができる
⑤原因とは、決断不可能なものについての説明である
⑥原因とその結果に対しても、人間は意志に基づく態度をとることができる
⑦このように意志に基づいた態度をとることによって、既存の決断不可能性を取り去ることができるわけではないが、それを受容する道は開かれる
⑧「したい」と「できない」、あるいは「したくない」と「しなければならない」との間の葛藤があるときは、「できない」や「しなければならない」の原因を考察することになる
⑨「したい」と「すべきでない」あるいは「したくない」と「すべきである」との間に葛藤があるときは、「すべきである」か「すべきでない」の理由を考察することになる
⑩原因との対決は運命に向き合うことであり、理由との対決は自らの自由と責任に向き合うことである
・意味中心家族療法
・積極的傾聴とは自己超越的な行為である。それは、押し寄せてくる言葉の波を受動的に通り過ぎさせるのではなく、相手自身や相手によって語られた状況に好意的な関心を持って、心から相手のそばにいることである。
・重荷を降ろす手助け
(おまえはいまだに背負っているのか?)
2人の旅の僧侶が川を渡ろうとしている。岸で1人の美しい乙女が待っている。彼女も向こう岸へ行きたいのだが、水の中に入って行く勇気がない。1人の僧侶はすばやく決断し、彼女を自分の肩に背負い、向こう岸へ運んだ。もう1人の僧侶は腹を立てているが、何も言わない。彼の心の中では次のような問いが絶えずうずいている。「どうして彼はあんなことをしたのだ。僧侶なのに女性に触れるなんて? まして背負うなんて! 彼は僧侶の戒律を知らないのか?」何日も間、彼は怒りを胸に抱いていた。しかし、この怒りの奥底にあったのは激しい妬みである。
ついに2人は目的地である師の僧院に到達する。嫉妬深い僧侶は、待ちきれない思いで、もう1人の僧侶が若い女性を背負って川を渡ったことを師に報告した。師は答えた。「彼はその女性を対岸で降ろした。しかし、おまえはいまだに彼女を背負っている。」
・ロゴセラピーによる自己認識の目的は、人生価値観を高めるような人生の見方を導入することである。
・(神は全てを素晴らしく取り計らう)
ある王様のもとに、それがどんなにふさわしい機会であってもふさわしくない機会であっても「神は全てを素晴らしく取り計らう」と言う大臣がいた。しばらく経って、王様はこの言葉をあまりに何度も聞いていたので、この言葉がもはや我慢ならなくなっていた。
2人は狩りにでかけ、王様が1頭の鹿を撃った。大臣と王様はお腹が空いており、火をおこしてその鹿を網で焼いて焼いた。王様は食べ急ぐあまり指を1本切り落としてしまった。大臣は「神は全てを素晴らしく取り計らう」と言った。
王様はうんざりだった。怒りながら王様は大臣の職務を解き、立ち去るように命じた。王様は二度と大臣を見たくなかった。大臣は去り、鹿の焼肉でお腹いっぱいになった王様は眠りについた、その夜、
女神カーリーを信奉する野蛮な盗賊が王様を襲って縛りあげ、王様を女神への生贄に捧げて食べようとした。最後の瞬間に、カーリー信者の1人が王様の欠けている指に気づいた。盗賊たちは相談して決めた。「この男は不完全だ。男には身体の一部が欠けている。我々の女神に捧げられて良いのは完全なものだけだ。」盗賊たちは王様を解放した。
王様は大臣の言葉を思い出した。「神は全てを素晴らしく取り計らう。」そして理解した。まさにそういうことなのだ。今回の出来事についても、王様は大臣を追放したことの責任を感じ、大臣を探させた。長い時間の後、大臣は見つかった。王様は謝罪し、大臣にまた職務に就いてくれるように頼んだ。
大臣は答えた。「王様が謝る必要はありません。私は王様が私に立ち去るように命じてくださったことに感謝しています。もし私だったら、盗賊は私を生贄に捧げたでしょう。私はどの指も欠けていませんから。神は全てを素晴らしく取り計らう。」
・私の考えでは、新しい知見に適応するためにロゴセラピーの枠組みの中で必要なことは、ただ1つだけである。それは「身体因性」、「心因性」、「精神因性」という概念には修正が必要だ、ということである・・・
ロゴセラピーが意図しているのは、人間をその存在論的な多様性において真摯に受け止めることである
感想;
この本は『夜と霧』などフランクルの本を読まれた人が、さらに深く学びたい方にお勧めです。
もちろんロゴセラピーが初めての方にも、得るものが多いと思います。フランクルと著者のカウンセリングの方法などを知ることができます。
カウンセリングの基本や傾聴の妄信が実は可能性を狭めているのがわかります。
傾聴はとても大切です。ただ、こちらから質問はしない方が良いと教えている場合がありますが、ケースバイケースではないでしょうか。
ナラティブセラピーやオープンダイアローグはまさに質問が相談者の理解を深め、それが病を良くしています。
統合失調症が薬やカウンセリングでは良くならなかったのが良くなる場合もあり、斎藤環先生はオープンダイアローグに大きな関心を持たれ、オープンダイアローグを始めた人の本を訳したり自ら書かれたりされながら臨床に使い、良くなる実感を得られています。
ロゴセラピーでは目先真暗な状況でも相談者が可能性を見つけ出すことがあります。その可能性を自ら見出し、生きようとの気持ちが高まるケースがあります。フランクル、ルーカスのカウンセリングでもその実例が紹介されています。
本は一度読めばよいものと、何度も読み返す本があります。この本は傍らにおいて、その都度何度も必要な箇所を読み直すのが良いように思います。
また、自分の理解力が高くなればなるほど、得るものも増えるように思います。
下記の本はとても読みやすく、理解しやすいです。