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アウシュヴィッツ解放70年 メルケル(ドイツ首相)の誓い  ”過去から学び今に生かす”

2015-02-09 00:16:05 | 社会
http://www.newsdigest.de/newsde/column/dokudan.htmlより(一部略)
2015年1月27日は、ナチスのアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所をソ連軍が解放してから、ちょうど70年目に当たる。この日を前に、ナチスによる虐殺の犠牲者を追悼する式典が行われたのだ。

ユダヤ人600万人を虐殺
ナチスがポーランドに建設したアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所では、1940年から5年の間に、ユダヤ人やポーランド人、シンティ・ロマ(ジプシー)、ソ連兵捕虜、同性愛者など約110万人が殺害された。ビルケナウにはシャワー室に見せ掛けたガス室があり、女性や子どもなど肉体労働ができないと判断された被害者は、家畜輸送用の貨物列車で収容所に着くと、直ちにチクロンBという青酸ガスで殺害された。

生存者は語る
式典を主催したのは、国際アウシュヴィッツ委員会(IAK)。1952年に虐殺を逃れた生存者たちが創設した国際機関で、2002年からはベルリンに事務局を置いている。式典では、2人の元収容者たちが証言した。

その内の1人は、ハンガリー在住のエヴァ・ファヒーディ女史(89歳)。1944年5月、当時19歳だったファヒーディ氏は、家族とともにアウシュヴィッツに移送された。収容所のプラットホームには、ナチス親衛隊の軍医で「死の天使」として恐れられたヨーゼフ・メンゲレがいた。彼は、指をただ左右に動かすことによって、ユダヤ人をガス室に送るか、労働させるかを決めていた。彼女は労働者のバラックに送られたが、母親と当時11歳だった妹は直ちにガス室で殺された。

「アウシュヴィッツでは、常に遺体を焼く臭いが立ち込め、いつ殺されるか分からないという恐怖と隣り合わせでした」。「真夏のバラックで、私たちは飢えと乾きに苦しみました。飲み水さえなかったため、糞尿を入れた大きな桶を運ばされたときに、中身がこぼれて手や足が汚れても、体を洗う水はありませんでした」。

アウシュヴィッツの生存者の多くは、心に深い傷を負ったために、長い間自分の体験を他者に語ることができなかった。ファヒーディ氏も45年間にわたり沈黙し続けたが、79歳になったときにアウシュヴィッツ収容所跡を初めて訪れ、自分の経験を本として発表し、語り部としての活動を始めた。

白髪のファヒーディ氏は、苦しそうな表情で語った。「なぜ私だけが生き残ったのでしょう。母と妹には墓標すらありません。2人と同じくアウシュヴィッツで殺された人々に代わって、当時の状況を語り伝えることが、私に与えられた役割だと思います」。聴衆は、彼女が語り終わると、席を立って長い間拍手を送った。

恥の気持ちを告白したメルケル
この後、メルケル首相(キリスト教民主同盟=CDU)が演壇に立った。メルケル氏は「ナチス・ドイツは、ユダヤ人らに対する虐殺によって人間の文明を否定しましたが、アウシュヴィッツはその象徴です。私たちドイツ人は、恥の気持ちでいっぱいです。なぜならば、何百万人もの人々を殺害したり、その犯罪を見て見ぬふりをしたのはドイツ人だったからです」と述べ、ドイツ人がナチス時代に大きな罪を背負った点を強調した。

そして会場の最前列に座ったファヒーディ氏をじっと見つめながら、「あなたは渾身の力を振り絞って、収容所でのつらい体験を語ってくれました。そのことに心から感謝したいと思います。なぜならば、私たちドイツ人は過去を忘れてはならないからです。私たちは数百万人の犠牲者のために、過去を記憶していく責任があります」と語った。

さらにメルケル氏は、ドイツの反ユダヤ主義を厳しく糾弾した。「今日ドイツに住む10万人のユダヤ人の中には、侮辱されたり暴力を振るわれたりした経験を持つ人が増えています。これはドイツの恥です。我々は、反ユダヤ主義、そしていかなる形の差別、排外主義に毅然として対抗しなくてはなりません」。

歴史との対決を国是とするドイツ
さらにメルケル氏は、1月にフランスで起きたテロ事件にも言及し「パリではイスラム過激派が、言論の自由を主張した風刺画家たちやユダヤ系商店を訪れたユダヤ人たちを殺害しました。これは狂信主義が生む結果を明確に示しています」と指摘した。

そして、「ナチス時代のドイツ人の犯罪と批判的に対決すれば、将来我々の共存や尊厳、価値観を奪おうとする勢力に対して、対抗する能力を身に付けることができます」と述べ、過去との対決は、今日の民主主義体制を守る上でも重要な意味を持っていると強調した。メルケル氏の「アウシュヴィッツは我々に、人間性を認め合うことを共存の物差しとするべきだと教えています。アウシュヴィッツは我々全員にとって、将来も重要な問題であり続けるでしょう」という言葉は、ドイツ社会の主流派が、歴史との対決を国是としていることを明確に示している。

敗戦から70年目に当たる今年、彼女の言葉は私たち日本人にとって「対岸の火事」だろうか。(熊谷徹氏)

感想;
日本ではどうでしょうか?
政府高官は日本が行ったことは正当化、虐殺などはなかったと否定する方向に向いているように思うのですが・・・。
過去を今に生かさないと、また繰り返してしまうのではないでしょうか?