芳子おばあちゃんの日記 ~家族の出来事~

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2020年1月1日 東京大衆歌謡楽団「ホテルニューオータニ幕張」で、演奏会。

2020年01月04日 | 音楽 東京大衆歌謡楽団

      ~ 令和2年 元日 明けましておめでとうございます ~

         
 令和2年の東京大衆歌謡楽団の演奏活動は、ホテルニューオータニ幕張からのスタートになりました。演奏会場は、前年までは円形テーブル席でしたが、今回は、より多くの観客に応えるため、シアター型式の椅子が、320席余り用意されました。(会場内の撮影は、演奏前は、OK。演奏中は、NGでした)
 楽団の皆さんは、30日に初の台湾演奏から帰国したばかりで、31日は強風と寒空の中、山谷越冬闘争演奏会を敢行して、皆さんの体調がとても心配でした。
 いざ演奏が始まると、軽快にリズムを刻む伴奏に乗せて、明るく伸びやかな歌声が響き、盛況な入りの観客も、大いに盛り上がりました。
 当日の演奏曲目は、次の通りです。
 1.1931(昭和6)「丘を越えて」 丘を越えて行こうよ 真澄の空は 朗らかに 晴れて(藤山 一郎)
 2.1939(昭和14)[上海の花売り娘] 紅いランタン 仄かにゆれる 宵の上海 花売り娘( 岡  晴夫)
 3.1936(昭和11)「東京ラプソディ」花咲き花散る宵も 銀座の柳の下で (藤山 一郎)
 4.1938(昭和13)「旅姿三人男」 淸水港の名物は お茶の香りと 男伊達 (ディック・ミネ)
 5.1937(昭和1)「裏町人生」 暗い浮世の この裏町を 覗く冷たい こぼれ陽よ(上原  敏)
 6.1940(昭和15)「蘇州夜曲」 君がみ胸に 抱かれて聞くは 夢の船歌 (渡辺はま子・霧島 昇)
 7.1936(昭和11)「花言葉の歌」 可愛い蕾よ きれいな夢よ 乙女心に (松平 晃・ 伏見 信子)
 8.1938(昭和13)「旅の夜風」 花も嵐も踏み越えて 行くが男の 生きる道 (霧島 昇・ミスコロムビア)
10.1952(昭和27)「赤いランプの終列車」 白い夜霧の あかりに濡れて (春日 八郎)
11.1964(昭和39)「ああ上野駅」 どこかに故郷の 香りを乗せて 入る列車の (井沢 八郎)
12.1964(昭和39)「
東京の灯よいつまでも」 雨の外苑 夜霧の日比谷 今もこの目に ( 新川 二郎)
13.1929(昭和4)「君恋し」 宵闇せまれば 悩みは 涯なし (戦前版)二村定一(戦後版)フランク永井
14.1949(昭和24) 「青い山脈」若く明るい 歌声に 雪崩は消える (藤山 一郎・奈良 光枝)
15.1948(昭和23)「憧れのハワイ航路」 晴れた空 そよぐ風 港出船の 銅鑼の音愉し (岡  晴夫)
16.1946(昭和21) 「青春のパラダイス」 晴れやかな 君の笑顔 やさしく われを呼びて (岡  晴夫) 
17.1957(昭和32)「青春サイクリング」 みどりの風も さわやかに にぎるハンドル (小坂 一也)
〔アンコール〕
18.1963(昭和38)「長崎の女」恋の涙か 蘇鉄の花か 風にこぼれる 石畳 うわさに (春日 八郎)
19.1954(昭和29)「お富さん」 粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪 (春日 八郎)
  
〔 余 談 〕
  本ブログを運営する私達夫婦は、金婚の年回りになりました。この機に、家族の親・子・孫と、三代、計8名の、演奏会参観が実現しました。更に、東京大衆歌謡楽団の皆様と、家族全員の記念写真が残せた事は、一生涯の思い出とする事ができました。皆様にとりましても、輝かしい一年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。



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