goo blog サービス終了のお知らせ 

ポーランドからの報告

政治、経済からテレビのネタまで、詳細現地レポをお届けしています!

インターネットカフェ

2006年10月24日 | 観光ガイド

大都市にはインターネットカフェがいたるところにあり、とても便利です。

パソコンが高価なことから、ポーランドでは、自宅所有率の悪い時代が長く続き、変わりにネットカフェのビジネスが繁盛しました。現在では自宅所有率もかなり上がって来ていますが、それでも地方から下宿している学生や旅行客などに大変重宝されています。

料金は15分間で1zl=40円くらいが相場。トイレも借りられるので、1zl 払って有料トイレを使用するよりは、15分でトイレとネット利用をするほうがお得です。プリンターやスキャナーのみの使用も可。また日本語フォントでの読み・書きができる所もあるので、事前に調べておくと便利です。


ポーランドからの報告


ウッヂ 通りを見下ろす人々

2006年10月19日 | 観光ガイド

ピョートルコフスカ通り、アルトゥル・ルビンシュタインの生家の斜め向かいに建つこの白い建物。通り側のファサードは普通の建物となんら変わらないのですが、側壁の窓から、なにやら沢山の人が通りを見下ろしています。

実はこれ、近づいてよーく見てみると、窓も人も全部、壁に描かれた絵なんです。

    
   

窓から通りを見下ろしているのは、ウッヂやポーランドのほかの街にいたユダヤ人です。この壁画は20世紀の二度の世界大戦で犠牲になった、ポーランドのユダヤ人を象徴とした現代アートなんです。

ウッヂには、第二次世界大戦当時、ワルシャワに次ぐおよそ30万人弱の規模のユダヤ人コミュニティーがありました。しかし1939年9月ポーランドがナチス・ドイツ軍に侵攻されると、ウッヂの街もたちどころに占領され、ユダヤ人はゲットーに強制移住となり、そこから各地の強制収容所へ移送され、命を落としました。

現在彼ら(ユダヤ人)らはこの街にはいないけれど、かつて彼らがここにいて、このピョートルコフスカ通りを歩いていたのだということを、思い出してほしい…そんな思いが伝わってくるアートでした。

ウッヂは現在イスラエル・テルアビブ市と姉妹都市となっています。


ポーランドからの報告


ポーランドで一番ポーランドらしい街

2006年10月18日 | 観光ガイド

去年の夏にバルト三国のラトビア共和国を旅行した際、「ラトビアで一番ラトビアらしい町」という評判のある、ツェースィスという街を訪れました。ツェースィス城址の美しいこの街は、「スターリンの棺」や「共産主義の墓」があったりと、「ラトビアで一番ラトビアらしい町」の評判にふさわしい、見所たっぷりの街でした。

では「ポーランドで一番ポーランドらしい街」はどこでしょうか?

何をもって「ポーランドらしい」とするかという話にもなりますが、例えば日本人の多くが「ポーランド」と聞いて抱くイメージ、つまり、元社会主義国家、東欧..そういうイメージに最もそぐう街ということであれば、文句なくこのウッヂを候補の筆頭に挙げたいと思います。

   

ウッヂの"何"がポーランドらしいかといえば...まずはウッヂ・ファブリチナ駅(写真上)に降り立った瞬間から、窓ガラスの割れた工場やら、薄汚いビルやらが目に入り、ちょっと尻込みしてしまうようなところ。「すごい所へ来てしまったなあ...」思わずそんな感想がもれます。そして通りを歩いていても、いかにも元社会主義国家といった灰色のアパート群を沢山見ることができます。

   

またカトリック教会やユダヤ教のシナゴーグと並び、ロシア正教会があるのも目に入ります。

   

第二次世界大戦前までは、ウッヂをはじめビヤウィストクなどポーランド東部都市の多くが、ユダヤ人、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、ドイツ人など複数の民族が共存する多民族都市でした。

しかし戦後に国境線が100キロも西へ移動したため、それに伴い、東部のロシア正教徒が多い地域がポーランド国土から削られ、ドイツ人もドイツへと移住しました。またポーランドのユダヤ人はその多くが戦争で命を落とし、生き残った人も他国へ亡命したため、戦後はポーランドの人口のほとんどがポーランド人となりました。

現在ウッヂの街を歩いていても、ポーランド語しか聞こえてきません。しかしそれでも、ここウッヂでは、ポーランドが多民族国家だった時代の名残をいまだ数多く見ることができます。

   

街北部の、カトリック、プロテスタント、ロシア正教の共同墓地や、ヨーロッパ最大規模のユダヤ教墓地などを訪れれば、ポーランドにおける民族共存の歴史が自然と思い起こされます。今年5月にオープンした 総合アミューズメントモール・マヌファクトゥーラ の敷地内にも、正教会をイメージしたインフォメーションセンター(写真上)がお目見えしています。

   
   

留学生から伝え聞くポーランド情報も、ウッヂについての話が基準になることが多くなります。政府奨学金を利用した留学生の多くは、どの分野を学ぶのであっても、最初の一年間はポーランド語習得期間として、ウッジ外国語大学に配属となるため、ウッヂの街が、初めて見るポーランドの街となるからです。こういった外国人留学生を通じて、ウッジ発の数々のポーランド情報が、日本をはじめ諸外国に伝えられています。

以上のような理由から、日本人のイメージする「ポーランド」に一番近い街は?と聞かれたら、私は、ウッヂと答えたいと思います。もちろんこれまで述べた事柄の中には、首都ワルシャワについても当てはまるケースがありますが、「一番ポーランドらしい街」がワルシャワではひねりがありませんから、ここはウッヂに軍配(?)を上げたいと思います。

ところで、ポーランド人に「一番ポーランドらしい街」を聞くと、また違う答えが返ってくるんです。それについては、また今度。


ポーランドからの報告


ウッヂ Manufaktura

2006年10月16日 | 観光ガイド

ウッヂの繁栄と栄光を象徴する場所の一つが、ポズナンスキ家邸宅と、ポズナンスキ工場です。

イスラエル・ポズナンスキは、1875~78年にポズナンスキ工場を建設し、紡績産業で大成功を収めた人物です。その繁栄の象徴であるバロック様式のポズナンスキ家邸宅(写真下)は、現在ではウッヂ市歴史博物館となっており、ポズナンスキ一族の写真や系図、豪華な家具など、一族の栄華が偲ばれる数々の調度品の数々や、ウッヂ市の歴史にまつわる品々が収蔵されています。

そして隣のポズナンスキ工場は、現在も稼動を続けている、現役の紡績工場です。

   

この工場の敷地一帯は、昨年年6月から大改装が行われ、今年5月に、複合アミューズメントパーク Manufaktura(マヌファクトゥーラ) として生まれ変わりました。

赤レンガの高いアーチの入り口をくぐると、あらら、びっくり。表通りからは想像つかないカラフルな風景が広がります。

   

おしゃれな噴水が続くプロメナードは、カップルのデートスポットとして、そして赤ちゃん連れのお母さんの散歩コースとして、はやくも大人気。夏場はビーチバレー大会など数々のイベントが行われ、市民の憩いの場として大活用されています。

    
   
   

そしてプロメナードの突き当たりにあるのが、一面ガラス張りの総合ショッピングセンター、その名もManufakturaです。大通りからショッピングセンターの入り口までは、プロメナードを歩いてもいいし、イエローグリーンの専用電気トラムで一っ跳びしてもOK。

   

人口の割りに娯楽施設の少ないウッヂの街ですが、このManufakturaのオープンで、少しは街の景気が活気づくのではと思います。

このManufakturaの場所ですが、ピョートルコフスカ通りを北へ進み、ヴォルノシチ広場を直進して最初の交差点を左折、ザホドニャ通りとの交差点角です。ガイドブックの地図には "ポズナンスキ工場"と出ているのですぐわかります。


ポーランドからの報告


ウッヂ III

2006年10月15日 | 観光ガイド

ピョートルコフスカ通りを歩いていて頻繁に目にするもの、もうひとつ。

リクシャ(Ryksza)の名前で親しまれている、人力車です。銅像と並ぶウッヂのもう一つの名物で、ピョートルコフスカ通りを端から端まで走って、料金は2.5zl=約100円。とてもお手軽で便利なため、観光客だけでなく、地元の人にも愛用されています。

   

「リクシャ」の名前の起源は、もちろん日本語の人力車に由来します。日本では人力車など、実際に見たことも乗ったこともなかったのですが、こうして遠く離れた異国の地で目にすると、なにか感慨深いものがあります。

というわけで、今回ウッヂを訪れた記念に、私も早速このリクシャに乗ってみました。乗ってみると、思った以上のスピードで、トラム(市電)に乗っているのかと思うくらいの速さでした。かといって、ぐらぐらとゆれることもなく、とても快適でした。これだけがんばってもらって2.5zlでは悪いなと思い、4zl渡しておきました。

少し前までは、このリクシャといえばウッヂ名物でしたが、最近はクラクフの旧市街でも見かけます。人力車と人手さえあれば簡単に始められる商売なので、今後ほかの街でも増えてくると思います。


ポーランドからの報告


ウッヂ II

2006年10月14日 | 観光ガイド

ウッヂは映画の街としても知られています。

国立ウッヂ映画テレビ演劇大学(Leon Schiller's National Higher School of Film, Television and Theatre in Łódź) は、『約束の地』『灰とダイヤモンド』のアンジェイ・ヴァイダ、『水の中のナイフ』『戦場のピアニスト』のロマン・ポランスキ、『トリコロール』『デカローグ』のクシシュトフ・キィエシロフスキなど、世界に名だたる名監督を輩出したことで知られる名門学校です。

現在も、世界中から大勢の留学生が、明日の名監督を目指して、この大学で学んでいます。

   
   
ピョートルコフスカ通りの、ホテルグランド前の路上には、これらの映画スターや監督の名前が刻まれています。またズヴィツゥスタ通りには、映画博物館(Muzeum Kinematografii)があります。ここでは、ヴァイダ監督が『約束の土地』の映画撮影につかった部屋や、『大地の男』での受賞盾などが見学できます。


ポーランドからの報告


ウッヂ I

2006年10月13日 | 観光ガイド
ポーランド第二の都市、ウッヂ(Łodź)を訪れました。

ウッヂとは、ポーランド語で小舟という意味。街の名前の由来については、周囲に小川が流れていたから、などと言われていますが、はっきりとしたことはわかっていません。

ウッヂは地理的にポーランドの国土のちょうど中央に位置する街です。街としての歴史は比較的新しく、初めて文献に名前が登場したのは13世紀ですが、産業が発達したのは18世紀に入ってからです。その後、19世紀に繊維工業や織物工業で全盛期を迎え、ワルシャワに次ぐ国内第二の人口を抱える大都市に成長しました。

第二次世界大戦後は、首都ワルシャワの破壊の程度がすさまじかったため、1948年までウッヂが事実上ポーランドの首都として機能しており、そのまま首都をウッジに定めるという計画案もあったほどでした。

    

ウッヂへは、ワルシャワから電車またはバスで2時間です。電車で来る場合、ウッヂ・ファブリチナ駅(写真上)に到着する電車を選ぶと便利です。一方クラクフからの交通の便は悪く、電車・バスともに4-5時間かかりますので、ワルシャワから訪問するのがベターです。

工業都市らしく、ファブリチナ駅に降り立った瞬間から、窓ガラスの割れた工場やら、薄汚いビルやらが目に入ります。ウッヂは観光地ではなく、工業都市なのだと改めて気付かされます。それでもめげずになんとかピョートルコフスカ通りまで歩いてゆくと、目の前にきれいな街並みが広がります。

   
   

ピョートルコフスカ通りは、街の中心を南北に走る大通りで、おしゃれなブティックやレストランのオープンカフェなどが並ぶ、ウッヂのメインストリートです。

このピョートルコフスカ通りを歩いていると、面白い銅像がいくつも並んでいるのが目に入ります。ウッヂ名物のこの銅像は、ピョートルコフスカ通りの通りの両側に、等間隔で並んでいます。中でも一番有名なのが、ウッヂ出身のピアニスト、アルトゥル・ルビンシュタインの像。造りも凝っていて、コインをいれると楽曲が演奏されます。

   

他にも詩人のユリアン・トゥヴィムの像などがあり、ウッヂの街歩きの目玉となっています。

粋なことに、どの銅像も、像の隣に座ると、まるでモニュメントと一体になったかのような構図で記念撮影ができるデザインになっています。というわけで、ウッヂを訪れたら、まずはこの銅像と記念撮影をしてみましょう。


ポーランドからの報告


首都ワルシャワ II

2006年09月29日 | 観光ガイド

ワルシャワは東欧の大国の首都として、社会主義時代から数々の国際会議やイベントなどが開かれてきた街です。

観光の見所は、旧市街と旧王宮、クラクフ郊外通りと新市街、文化科学宮殿、ワルシャワゲットー跡、サスキ公園、ワジェンキ公園などです。見所が分散しているので、要領よく見てまわらないと、やや散漫な印象になるかもしれません。英語ガイド付きの混載バスでまわる半日市内観光が大変便利です。

  
  
  

王宮前広場や文化科学宮殿前広場では、コンサートなど数々のイベントが開かれます。大型ショッピングセンターも沢山あり、モードやファッションの流行もワルシャワから始まります。去年夏は 牛パレード が来ていました。

現在は ミス・ワールド本選 を明日30日に控えて世界各国のミスが滞在しているため、世界で一番美女の多い街となっています。


ポーランドからの報告



首都ワルシャワ I

2006年09月28日 | 観光ガイド

ポーランドの首都ワルシャワは、政治、経済、文化の中心で、ポーランド全体をリードする街です。地理的にもちょうどポーランドの中心(やや東よりですが)に位置し、グダニスク、トルン、ポズナニ、ヴロツワフ、カトヴィツェ、クラクフ、ウッジ、ルブリン、ザモシチ、ビヤウィストクなど国内主要の街に電車で2~3時間で到着することができます。

ワルシャワ中央駅に降り立ち地上出口に出ると、まず目に入るのが、なにやらでーんとそびえたつ建物。スターリンからの贈り物として建設された文化科学宮殿です。当時高層建築のなかったワルシャワの街にはおよそ不釣合いで、建築当時からワルシャワ市民に評判悪く、「スターリンの立てた共産主義の墓石」「ワルシャワでもっとも景色がよい場所は文化科学宮殿のてっぺんだ。なぜなら文化科学宮殿が見えないから」などとさんざん揶揄されてきました。一時は取り壊す案も出ましたが、その後周辺にも高層建築が立てられ、なんとか調和のとれた街並みになりました。宮殿の内部にはテレビ局や大学、カルチャースクール、バー、ナイトクラブなど多数のテナントが入っています。

   

ワルシャワの街を歩いていると、スモールライトを浴びてスケールが縮んでしまったような、そんな気分になります。まずイェロゾリムスキエ通り、マルシャウコフスカ通りをはじめ道路の幅が広すぎ、そして文化科学宮殿が場違いに馬鹿でかく、しかも街のどこからでも目に入るため、文化科学宮殿が近いのかと思って歩いてしまうと結果とんでもない距離を歩いてしまうことになり。。。そんな距離感が狂う街です。


ポーランドからの報告



ヴィエリチカ岩塩坑の楽しみ方

2006年09月20日 | 観光ガイド

クラクフ南東15kmにあるヴィエリチカ岩塩坑は 、中世から現代まで残る岩塩坑で、ユネスコ世界遺産にも指定されている人気の観光地です。全部で地下第九層まである採掘坑のうち、ダニオヴィチ立坑の第三層、地下約135mまでが観光コースとして公開されています。

  
  

ヴィエリチカは中世の時代からすでに人気の観光地で、コペルニクスやワイマール、ピウツスキ将軍、ヨハネ・パウロ2世など歴代の有名人が訪れており、それにちなんだコペルニクスの間、ワイマールの間、などを順路を追って見学していきます。随所に人形や模型があり、当時の様子が再現されています。

見学コースの一番の見所は、地下100mの深さにある聖キンガ礼拝堂。階段から足もとのタイル、天井に輝くシャンデリア、中央の祭壇から周囲の壁の彫刻まで、もちろんすべて岩塩でできています。現在でも日曜日のミサや結婚式などに使用されています。

  

ところであまり知られていないのですが、岩塩坑の見学コースは二部構成になっており、第一部を見学後、希望者はさらに第二部のミュージアムを見学することができます。ミュージアムでは、様々な色や形の岩塩の結晶や、岩塩採掘に使用したつるはしや灯油ランプなどの工具、岩塩の運搬に使われたかごや馬、馬力で動く木製エレベーターなど、岩塩坑に関する興味深い品々が展示されています。団体ツアーでは第一部のみの見学となることがほとんどですが、第二部の料金は入場料に含まれていますので、個人ツアーなどで時間に余裕がある場合は、ぜひ訪れてみてください。


ポーランドからの報告