ポーランドからの報告

政治、経済からテレビのネタまで、詳細現地レポをお届けしています!

ポーランドで一番ポーランドらしい街

2006年10月18日 | 観光ガイド

去年の夏にバルト三国のラトビア共和国を旅行した際、「ラトビアで一番ラトビアらしい町」という評判のある、ツェースィスという街を訪れました。ツェースィス城址の美しいこの街は、「スターリンの棺」や「共産主義の墓」があったりと、「ラトビアで一番ラトビアらしい町」の評判にふさわしい、見所たっぷりの街でした。

では「ポーランドで一番ポーランドらしい街」はどこでしょうか?

何をもって「ポーランドらしい」とするかという話にもなりますが、例えば日本人の多くが「ポーランド」と聞いて抱くイメージ、つまり、元社会主義国家、東欧..そういうイメージに最もそぐう街ということであれば、文句なくこのウッヂを候補の筆頭に挙げたいと思います。

   

ウッヂの"何"がポーランドらしいかといえば...まずはウッヂ・ファブリチナ駅(写真上)に降り立った瞬間から、窓ガラスの割れた工場やら、薄汚いビルやらが目に入り、ちょっと尻込みしてしまうようなところ。「すごい所へ来てしまったなあ...」思わずそんな感想がもれます。そして通りを歩いていても、いかにも元社会主義国家といった灰色のアパート群を沢山見ることができます。

   

またカトリック教会やユダヤ教のシナゴーグと並び、ロシア正教会があるのも目に入ります。

   

第二次世界大戦前までは、ウッヂをはじめビヤウィストクなどポーランド東部都市の多くが、ユダヤ人、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、ドイツ人など複数の民族が共存する多民族都市でした。

しかし戦後に国境線が100キロも西へ移動したため、それに伴い、東部のロシア正教徒が多い地域がポーランド国土から削られ、ドイツ人もドイツへと移住しました。またポーランドのユダヤ人はその多くが戦争で命を落とし、生き残った人も他国へ亡命したため、戦後はポーランドの人口のほとんどがポーランド人となりました。

現在ウッヂの街を歩いていても、ポーランド語しか聞こえてきません。しかしそれでも、ここウッヂでは、ポーランドが多民族国家だった時代の名残をいまだ数多く見ることができます。

   

街北部の、カトリック、プロテスタント、ロシア正教の共同墓地や、ヨーロッパ最大規模のユダヤ教墓地などを訪れれば、ポーランドにおける民族共存の歴史が自然と思い起こされます。今年5月にオープンした 総合アミューズメントモール・マヌファクトゥーラ の敷地内にも、正教会をイメージしたインフォメーションセンター(写真上)がお目見えしています。

   
   

留学生から伝え聞くポーランド情報も、ウッヂについての話が基準になることが多くなります。政府奨学金を利用した留学生の多くは、どの分野を学ぶのであっても、最初の一年間はポーランド語習得期間として、ウッジ外国語大学に配属となるため、ウッヂの街が、初めて見るポーランドの街となるからです。こういった外国人留学生を通じて、ウッジ発の数々のポーランド情報が、日本をはじめ諸外国に伝えられています。

以上のような理由から、日本人のイメージする「ポーランド」に一番近い街は?と聞かれたら、私は、ウッヂと答えたいと思います。もちろんこれまで述べた事柄の中には、首都ワルシャワについても当てはまるケースがありますが、「一番ポーランドらしい街」がワルシャワではひねりがありませんから、ここはウッヂに軍配(?)を上げたいと思います。

ところで、ポーランド人に「一番ポーランドらしい街」を聞くと、また違う答えが返ってくるんです。それについては、また今度。


ポーランドからの報告


最新の画像もっと見る