社長の独り言

資産運用コンサルタントの社長日記です

瀬長 亀次郎

2007-08-02 07:18:20 | 日常
沖縄返還、もう遠い昔の出来事です。
私達本土の人には、この事実さえ
忘れている人もおおいでしょう。

太平洋戦争終結後、沖縄だけはアメリカの施政下に
おかれていました。
その時期、アメリカの軍事利益が優先され、
人びとの土地は強制収用されていきました。
1坪コーラ1本の値段です。
大国のエゴです。
当時のアメリカ政府幹部の言葉
「軍政府が猫で、沖縄はねずみである、猫の許す範囲しかねずみは遊べない」
瀬長の言葉
「戦争は終わったが、地獄は続いていた」

その当時、このアメリカの施政に対し
断固たる行動を起こした人がいます。
その人が、瀬長亀次郎です。
彼は、軍事優先のアメリカの政策を非難し、
沖縄に平和と人権を取り戻すために
「祖国復帰」を訴えました。
これに対し、アメリカは違法逮捕で、
1年半も瀬長を監禁しました。
瀬長の決意は全く揺らぎませんでした。
保釈後、那覇市長になりましたが、またもアメリカの
横槍で辞任に追い込まれます。

しかし、瀬長の姿は沖縄の人びとの心を掴み
アメリカへの抵抗は「島ぐるみ」の運動へと発展し、
ついに日米両国政府を動かしました。
瀬長の言葉です
「瀬長が叫んだならば、五十メートル先まで聞こえます。
ここに集まった人が声を揃えて叫んだならば、全那覇市民まで聞こえます
沖縄の七十万の民が叫んだなら、太平洋の荒波を超えて、
ワシントン政府を動かすことが出来ます。」

その後、衆議院議員となった瀬長は、沖縄返還の
活動えお続け、1972年ついに沖縄返還が実現しました。
瀬長国会での言葉
「この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する。
基地となることを拒否する。
あの紺碧の空、さんご礁に囲まれて、あの美しい海。
沖縄県民の手に返って初めて平和な島が。沖縄県の回帰が
できるんだということを二十六年間叫び、要求し続けてきた。」

沖縄の基地問題は未だ解決していません。
瀬長さん、沖縄県民の米軍基地への想いを
忘れてはいけません。
瀬長さんの様な、真の政治家が多く誕生することを
願いたいです。