Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

後期鍋島 「色絵 やぶこうじ文 朝顔形猪口」

2021年03月31日 15時03分49秒 | 古伊万里

 今回は、後期鍋島 「色絵 やぶこうじ文 朝顔形猪口」の紹介です。

 これは、平成4年に、東京・平和島の「全国古民具骨董まつり」会場で買ったものです。

 当時は、「鍋島」といえば「盛期鍋島」のことを言いましたから、数も少なく、非常に高価でした。ですので、私などに「盛期鍋島」など買えるはずもありませんから、当然のことながら、明治の物ということで買ったものです。しかし、これは、明治の物といえども、かなり色濃く「盛期鍋島」を感じさせましたので、結構な値段で売られてはいました(~_~;)

 それはともかく、この「猪口」には、その後、ちょっとしたエピソードが付け加えられました。

 平成11年のこと、古伊万里、特に後期鍋島の研究で高名な小木一良先生が我が家に来訪され、拙コレクションを何点か見ていったことがありました。

 その後、平成16年の4月になって、今度は、小木一良先生が、近く、「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」を刊行するということで、我が家にその取材のために訪れたんです。

 平成11年に我が家に来て拙コレクションを見ているわけで、その中に、「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」に掲載してもよさそうな物があると判断して取材に来られたわけですね。それで、ご自身で2件ほど撮影されて帰られました。東京ならカメラマンと二人で訪れるとのことですが、なにせ、ここは東京からは遠方にあるものですから一人で来たとのことでした。

 2件というのは、この「猪口」1件ともう1件は後期鍋島「色絵花唐草文小皿」(5枚入り)です。もう1件の後期鍋島「色絵花唐草文小皿」(5枚入り)につきましては、次回にでも、改めて紹介したいと思います。

 そのようなことがあって、いよいよ、平成16年の11月になり、「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」が刊行されたわけですが、我が家のこの「猪口」が載っていないんです(><)

 といいますのは、小木一良先生の話によりますと、写真撮影に失敗したため、急きょ、東京の方が所蔵している同じ物を代わりに載せたということなんですね、、、。 この「猪口」にとっては、幻の掲載となってしまったわけです(><) 本来なら、この「猪口」が「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」には載るはずだったんです(~_~;)

 そんなエピソードを持っている「猪口」なんです。どうぞ、じっくりと観てやってください(^-^*)

 

 

正面

 

 

裏面

 

 

見込み面

 

 

正面側の底面

 

 

裏面側の底面

 

 

生 産  地: 肥前・伊万里・鍋島藩窯

製作年代: 江戸時代後期

      明治として買ってきたものですが、後期鍋島ながら、一応、江戸期の鍋島藩窯の   仲間入りを果たしました(^-^*)

サ イ ズ : 口径;9.4cm  高さ;6.4cm

 

 

 なお、「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」(小木一良著 創樹社美術出版 平成16年11月発行)及びその中に掲載されているこの「猪口」の代役の「猪口」は次のとおりです。

 

 

 ここに載っている「猪口」はこの「猪口」の代役なわけですね。

 本来ならば、この「猪口」がここに載っていたわけなんです(><)

 ここに載っている「猪口」は疵物ですが、この「猪口」は無疵なんですよ(エッヘン)。


染付 山水文 壺

2021年03月30日 12時45分43秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 山水文 壺」の紹介です。

 

 

正面(仮定)

 

 

正面から右に90度回転させた面

 

 

正面の反対面

 

 

正面から左に90度回転させた面

 

 

上から見たところ

 

 

底面

 

 

生 産  地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期(寛文時代)

サ  イズ : 口径;9.0cm  胴径;13.5cm  高さ;14.9cm  底径;7.0cm

 

 

 ところで、この「染付 山水文 壺」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、詳しく紹介しているところです。

 そこで、その紹介文を、次に再度掲載することで、この「染付 山水文 壺」の紹介とさせていただきます。

 

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー118 古伊万里様式染付山水文壺 (平成20年2月1日登載)

 この手の壺は、沈香壺と呼ばれ、元は甲高の蓋を伴ったものであるが、この壺では蓋を失っている。

 盛んに輸出されたようで、里帰り品も多い。

 遺品も多いし、形にも特徴があるし、製作年代も明らかでもあるし等から、評価も定まっている。

 絵付けの上手・下手、保存状態の良し悪し(キズがあるかないか、色絵なら釉ハゲがあるかないか等)、器物の大小などで相場はおのずと決まるようである。

 なお、この手の壺は、寛文時代に多く作られたこともあり、「寛文壺」と言う者もいる。

 このように評価の定まった物については、わりと安心して購入出来るのであり、騙されるケースは少ないようだ。

 ただ、「安宅コレクション余聞 美の猟犬」(伊藤郁太郎著 日本経済新聞出版社 2007年発行)の163ページには、「・・・・・このように既に定評のある名品ばかりを追い求めるコレクターもあり、それはそれで名品主義的な立場であると言うことができよう。しかし、この種のコレクションは、玄人筋からは、やや軽い扱いを受けがちである。自分の目で集めたものではなく、他人の目によって保証され、格付けされたものにしか目が向かなかったことに、露骨ではないが、やや軽侮の眼を向けるのである。したがって、一口に名品主義といっても、必ずしもプラス評価のものばかりではない。」とある。 

 既に評価が定まり、図録に載っているような物のみを追い求める行為は、これに同類といえよう。コレクターたるもの、肝に銘ずべき文言である。

 

江戸時代前期     口径:9.0cm  高さ:14.9cm  

 

 

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*古伊万里バカ日誌56 古伊万里との対話(山水文の壺) (平成20年1月筆)

登場人物
  主  人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  万理男 (古伊万里様式染付山水文壺)


  

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、前回、染付の小皿と対話したところである。そのせいか、今回も染付と対話をしたくなったらしい。そこで、押入れから染付を物色しようとしたが、主人の妻が時々花入れに使っている染付の壺を思い出し、さっそく、花器などが主に収められている押入れの中から引っ張り出してきて対話をはじめた。

 

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主人: お前のことは、妻が時々花入れに使っているので、時々は見ているから、「暫くぶり!」ということにはならないが、こうして対話をするのは暫くぶりだね。

万理男: そうですね。もっとも、ご主人は、私に美的価値があるなどとは思ってもいないから、無視しているんでしょうね。それに、奥様だって、私に水を入れても水が漏らないからということで時々花入れに使っているんでしょう・・・・・。

主人: あれっ! これはまた手厳しい。ま、ま、まっ、そうヒガミなさんな。

 お前に美的価値がないから無視しているとか、単に水が漏らないから花入れに使用しているということでもないよ。
 花入れに使用するにしても、水が漏らなければ何でもよいというわけにはいかないようだね。活けるお花の種類や活ける場所によって、写りの良いものと写りの悪いものとがあるようだね。お花を活けてもお花が引立たないとか、花入れの方が目立ちすぎて目障りだ、とか・・・・・。
 それに、お花を活けてみて、肉眼では良く見えてもカメラに収めてみたらパットしないとか・・・・・。なかなか難しいもんだね。「美」というものはデリケートだな。
 最近、「安宅コレクション余聞 美の猟犬」(伊藤郁太郎著 日本経済新聞出版社 2007年発行)という本(以下「美の猟犬」という。)を読んでいたら、面白いことが書いてあった。

 展覧会の会場での出品物の陳列に際しては、「・・・・・安宅さんが適当だと思う間合いを推し量りながら調整するのは、かなり神経を使う作業である。動かし過ぎてもいけない。動かし足りなくてもいけない。阿吽の呼吸というものが要るのである。私はこのごく微妙な陳列の調整を、「1ミリ単位のディスプレイ」と呼ぶ。現在勤務中の美術館でも学芸員が陳列した後、丹念にギャラリーを見て廻り、自分一人で「1ミリ単位」の調整を加えていく。陳列された作品群はたちまちのうちに生気が満ちてきて、陳列全体にリズムが刻みつけられる。陳列の1ミリ単位の調整にこそ、展示作業の得も言えぬ楽しみがあり、安宅さん直伝の陳列術がある。」(「美の猟犬」47ページ)とあった。

 ディスプレイも重要なんだね。一種の美の創造なんだろうね。私なんか、いい加減だから、お前の美を十分に発揮させていないのだろう。反省してるよ。

 

万理男: そうですか。それでは、私も、飾り方によっては名品に見えるわけでしょうか?

主人: また、また。すぐ調子に乗るからな。お前については、ディスプレイを変えたところで名品に化けることはないだろうよ。それほどの「美」は宿していないと思うよ。
 ところで、「美の猟犬」には、「名品」についての一つの解釈ということで、次のようなことが書いてあった。(「美の猟犬」163~165ページ)

 「およそ日本における古陶磁コレクションには、三つのジャンルがある。すなわち、鑑賞陶器、茶陶、民芸である。・・・・・
              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 日本のこのような三つのジャンルには、それぞれの制約を自ら孕(はら)んでいる。すなわち、鑑賞陶器では、研究的側面に焦点が当てられる余り、鑑賞の対象というより資料的価値に止まるものにまで目を広げる傾向が避けられなかった。学問的立場の限界とも、特殊性とも言えるだろう。民芸においては、量産品を是(ぜ)とするひとつのテーゼがあり、これに縛られると、官窯製品は選択の対象から外れてしまう傾向がある。・・・・・ましてや茶陶となると、やきものとしての価値と同等、いやそれ以上に伝来が珍重され、箱がないことが致命傷となり、寸法やかたちの選択に厳しいしきたりがある。・・・・・
             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ここで、もう一つ蛇足ながら付け加えると、近年、大きく浮上している「骨董」という概念である。「味」というものにこだわる余り、或る場合には、自らやきものに味をつける行為に走り、またそうした行為を鑑賞するという奇妙な現象すら現れている。・・・・・
             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 鑑賞陶器、茶陶、民芸、骨董などの概念は、いずれも、日本の風土の中で生まれたもので、それと切り離すことは出来ない。見るにせよ、使うにせよ、日本という枠を抜け切れないのである。しかし、そうした枠組を解き放して、世界的な尺度でやきものを見渡すと、そこには晴れ晴れとした純粋の美術品としての領域が展開する。安宅氏はこのようないわばユニバーサルな尺度を収集の指針とし、規準とし、規範として収集に取り組んでいった。」

 このような解釈から言ったら、お前の場合は、鑑賞の概念に属し、しかも、資料的価値をかなり宿したものということになるので、「名品」とは言えないんだろうね。ただ、評価としてはかなり定まっているようだから、「迷品」ではないだろう。
 また、「美の猟犬」には次のようなことも書いてあった。

 安宅さんという方は、日常生活の空間に美術品を置かなかったらしいが、「・・・・・日常の生活空間に美術品を置かないというライフ・スタイルは、日常空間をそれらしく飾らないという存念がある。敢えて言うと、生活を飾ることはそれだけ目線が低くなり、そこに安住することにも繋がっていく。それは目を下に向ける俯角視線の美学とでも言うべきものであろう。その理想の境地を確立したのが、青山二郎や白洲正子氏の世界である。それに反して安宅さんは敢えて水平、乃至は仰角視線を取る。それは、日常の世界とは全く切り離された純粋の鑑賞の世界である。」(「美の猟犬」123ページ)

 このような意味でも、お前は、妻が時々花を活ける際の器として活躍しているので、我が家の日常生活の空間に置かれた美術品ということになるから、名品とは言えないだろう。

万理男: なるほど。安宅さんという方は、実に厳しい眼で美術品を蒐集されていたんですね。

主人: そうなんだ。私もそうだが、普通の人は、特に床の間なんかにはちょっとした気の利いたものを飾りたくなるだろう。特にコレクターだったらそうだろうね。ところが、そんなことをしていると目線が上向かないというんだね。美の基準が上がらないというんだ。
 これからは、お前達を押入れに閉じ込めておくいい口実が見つかった。お前達を努めて見ないことにしよう。私の目線の向上のためだ(笑)。
 今日は、いろいろとむずかしい話になってしまった。対話というよりは「美の猟犬」の紹介になってしまった感があるな。


白鳥の飛来(その7)

2021年03月29日 17時13分32秒 | 近くの池の白鳥

 我が家の近くの池の白鳥達は、今年は、まだ残っているようです。

 昨年は、3月17日の時点では1羽もいませんでしたが、今年は、まだいるんです。

 といっても、北に帰る時期は、その年によってバラバラで、早かったり遅かったりするようですね。昨年は早かったわけですが、桜の咲く頃まで残っている場合が多いようですから、今年が特別に遅いということでもなさそうです。

 前回(3月18日)、27羽いましたが、今日は、少し減って24羽になっていました。

 毎年、桜の咲いているところを白鳥が飛んでいる写真を撮りたいと思っていましたが、今日は、やっと、十分ではありませんが、その願いが叶いました(^-^*) 

 

満開の桜のもと、のんびりとくつろいでいるところ(その1)

 

 

満開の桜のもと、のんびりとくつろいでいるところ(その2)

 

 

満開の桜のもと、のんびりとくつろいでいるところ(その3)

 

 

満開の桜のもと、のんびりとくつろいでいるところ(その4)

 

 

 満開の桜を背景に、2羽が飛び立ちました! 

 やっと、桜の咲いているところを白鳥が飛んでいる写真を撮ることが出来ました(^-^*) 本当は、もっと多くの白鳥が飛んでいるところを撮りたかったのですが、この程度で満足せざるをえないでしょう。それに、カメラも簡易カメラなので、鮮明に撮れませんから(~_~;)

 なお、この2羽の白鳥は、このまま北に帰ったわけではありません。池の周りをぐるっと1周して戻ってきました。北に帰るのは、もう少し後になるようです。


白磁 菊陽刻文 大そば猪口

2021年03月29日 12時15分57秒 | 古伊万里

 今回は、「白磁 菊陽刻文 大そば猪口」の紹介です。

 「そば猪口」は、「そば猪口」ばかりを集めている、いわゆる「そば猪口コレクター」といわれる方々がいるくらいで、一部の方々にとっては大変に人気の高いアイテムですね。

 私は、そのいわゆる「そば猪口コレクター」には属しませんで、この器も、名称は「そば猪口」とはしていますが、用途としては「向付」であろうと思って買ってきたものです。

 ですから、この器も、普通の「そば猪口」に比べれば大振りです。

 

立面

菊文が陽刻されています。全体で2箇所あります。

 

 

陽刻部分の拡大

 

 

見込み面

 

 

底面

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;9.2cm  高さ;6.2cm  底径;4.9cm


染錦 四君子文 角徳利

2021年03月28日 13時00分58秒 | 古伊万里

 今回は、「染錦 四君子文 角徳利」の紹介です。

 これは、平成4年に、東京・平和島の「全国古民具骨董まつり」会場で買ったものです。

 当時は、骨董ブーム、古伊万里ブームだったように思います。会場内は人集りでいっぱいで、なかなか先に進めないほどでした。

 この角徳利を売っていたお店にも黒山の人集りができていて(ちょっとオーバーか、、)、人を搔き分け搔き分けして、やっと見せてもらったような状態でした。そんな状態でしたから、それほど値切ることも出来ずに、なんとか手に入れることが出来たものです。

 当時は、骨董ブーム、古伊万里ブームでしたから、それだけに、お店には良い物も多く展示されていましたが、値段も高かったように思います(~_~;) 私にとっては、そんな思い出の詰まった角徳利です。

 

 

立面1(四君子のうちの梅と竹を描いた面)

 

 

立面2(四君子のうちの蘭と菊を描いた面)

 

 

立面3

「梅と竹を描いた面」と「蘭と菊を描いた面」を交互に描いています。

 

 

立面4(立面3の反対面)

 

 

首部分

 

 

底面

 

 ところで、角徳利というのは、製造上、ヒビが入ったり、ゆがんだりするので、なかなか作るのがむずかしいというようなことを聞いたような気がします。角徳利は、数が少ないように思うのですが、そんなことも原因しているのでしょうか?

 

 

生 産  地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ  ズ: 高さ;22.5cm

 

 

  なお、この角徳利につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中でも既に紹介しておりますので、参考までに、次に、その紹介文を再度掲載いたします。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー41 古伊万里様式染錦四君子文角徳利 (平成14年9月1日登載)

 

 確かにインパクトがある。人を惹きつけるものがある。

 単に、四君子の「蘭」と「菊」とを組み合わせた構図のものと、「梅」と「竹」とを組み合わせた構図のものとをそれぞれ二面描いただけの単純な(?)ものなのだが?

 角徳利は時々みかけるが、大きさの点でなんか小さすぎて迫力がないとか、絵を描きすぎていてすっきりしないとか、余計な物を貼り付けたりしてあってごちゃごちゃしているとか、帯に短し襷に長しというのが多いようである。

 そういう点では、この角徳利は、そのような欠点をクリアーしている稀な徳利といえようか?

 それに、この角徳利、下の画像のようにして並べておけば、1年中置きっぱなしでも違和感がない。オールシーズンなのである。1年中1個で済むという経済性も備えているのだ。

 古美術店の店主の話によれば、ロンドンのさるコレクターが手離したものであるとかの、さももっともらしい物語が付加されているが、「さもありなん」と思えるような物ではある。

 我国に伝世していたとすれば、さぞや、花見の頃、「桜花爛漫」の下、元禄美人を囲んでの貴顕達の盃を満たしたであろうとの想像をたくましくさせる、インパクトの強い、代表的な、魅惑的な古伊万里の角徳利である。

 

 

 

 江戸時代中期   高さ:22.5cm