今回は、「染付 家紋文 小皿」の紹介です。
古伊万里には、家紋をモチーフとした文様を描いたものを時折見かけます。この小皿も、そのような部類に属するものの一つといえるかと思います。
このような家紋を有する者が、有田に特注して作らせたのかもしれません。
表面
家紋部分の拡大
裏面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代中期
サ イ ズ : 口径;16.3cm 底径;10.3cm
なお、この小皿につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しておりますので、次にそれを引用し、この小皿の紹介といたします。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー126 古伊万里様式家紋文小皿 (平成20年10月1日登載)
表 | 裏 |
この小皿の文様は、菊紋と亀甲花菱紋という家紋をベースにしている。
菊文様の方は、花びらが16枚の「十六菊紋」という家紋を中心に、外側に菊の葉をデザイン化した文様を三つ加えている。もっとも、十六菊に菊の葉を三つ加えた家紋もあるのかもしれないが、、、。
亀甲文様の方は、「亀甲に花菱紋」という家紋を二つ繋げたり、三つ繋げたりしている。
古くから、菊紋のうちの十六・八重菊は皇室の紋とされてきているので、それに似ている十六菊が描かれているこの小皿も皇室で使用されていたものなのかな、などと思いがちであるが、そうではないようである。
江戸時代には、徳川家の家紋である葵紋の使用は厳格に禁止されたけれども、その他の家紋の使用は比較的に自由であったらしい。菊紋の使用も例外ではなく、菊紋の使用は一般庶民にも浸透していたらしい。したがって、この小皿のように、菊紋や亀甲花菱紋を基本にした文様が自由に作られていたのである。
家紋は我が国独自の洗練された美しさを保有するものであり、それをベースとした文様を描いたこの小皿は、洗練された上品な美しさを醸し出している。
江戸時代中期 口径:16.3cm 高台径:10.3cm
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*古伊万里バカ日誌62 古伊万里との対話(家紋文の皿) (平成20年9月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
菊 男 (古伊万里様式染付家紋文小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
異常と思えるほどの猛暑もやっと去り、確実に秋はやってきた。
主人は、「十月」の声を聞くと「菊」を思い出すようである。というのも、主人の家は、菊まつりで有名な「笠間稲荷神社」に近いので、いっそうその感が強いのであろう。
そこで、主人は、「菊文」の古伊万里を押入れから見つけ出してきて対話をはじめた。
主人: 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。秋彼岸も過ぎ、めっきり秋めいてきた。厳しい暑さが過ぎ去るのをジット楽しみに待っている人もいる。今年の夏はことのほか暑かったから、そうした人達にとっては、何よりの喜びであろう。
そういう私も馬齢を重ね、最近では厳しい夏は応えるようになってきた。涼しくなってきたのはありがたい。
ところで、十月ともなれば「菊」を思い出すな~。ここは日本三大稲荷の一つの笠間稲荷に近いので、なおのことそう感ずるのだろう。というのは、毎年、十月中旬~十一月の下旬にかけて、その笠間稲荷神社の境内で菊まつりが開かれるんだけれど、結構賑っていて、近郷近在では有名なんだ。それで、その菊まつりが近づくと「菊」を思い出すんだよ。
菊男: ご主人は、毎年、その菊まつりとやらを見に行くんですか?
主人: あまり行かないな~。ここのところ暫くは行ってないな~。えてしてそうした催しには、近くの人はそんなに頻繁には行かないものだね。
それはそうと、「菊」を思い出したのでお前と対話をしたくなって出てもらった。
菊男: それはそれは、契機は何であれ、思い出してくれて嬉しいです。
主人: まあな。思い出して出てはもらったんだが、お前には悪いが、やはり何の変哲もないんだよね・・・・・。
菊男: それはどういうことですか?
主人: う~ん、どう言えばいいのかな。インパクトがないとでもいうのかな。鑑賞陶磁器としては強く訴えるものがないんだよね。高級な食器という感じだね。
もっとも、そもそも古伊万里なんていうものは、最初から食器として作られたものが大部分だろうから、そうしたものが多いんだろうけどね。最初から部屋飾り用に作られたものもあるにはあるようだけれど、極く少ないものね。
最近では、古伊万里も、鑑賞の対象として愛玩されてきているから、結局は、お前のようなものは人気がないんだろうね。
菊男: そうですか。それは残念です。(消え入らんばかりの意気消沈さ!)
主人: そうはいっても、そこそこは鑑賞性も備えているし、食器としては上品だし、高貴な感じさえ与えるね。
菊男: 菊の御紋が入ってますから、皇室で使われていたものなのでしょうか・・・・・。だから高貴な感じを与えるのでしょうか・・・・・。
主人: いや、そんなことはないと思うよ。
ちょっと調べてみたら、豊臣秀吉は菊紋や桐紋の無断使用を禁止したらしいんだが、江戸幕府は、徳川家の家紋である葵紋の使用は厳格に禁止したけれど、その他の家紋の使用については比較的に寛容であったらしい。菊紋の使用も例外ではなく、そのため、菊紋の使用は一般庶民にも浸透し、菊紋を用いた和菓子やらその他、いろんなものが作られたらしいね。
お前も江戸時代に作られたわけだし、そんなことで、江戸時代には菊紋はそんな特別なものではなくなっていたので、菊紋が描かれているからといって高貴ということでもないようだね。
菊男: ハァ~(と溜息。更に意気消沈!)
主人: 家紋の話が出たついでといってはなんだが、良く見ると、亀甲文の方も「亀甲に花菱」という家紋だね。この亀甲花菱紋を二つ繋げたり、三つ繋げたりしてデザイン化している。菊文の方も、十六菊紋に菊の葉をデザイン化したものを三つ加えた文様にしている。もっとも、十六菊に菊の葉を三つ加えた家紋もあるのかもしれないけれど・・・・・。
そもそも、家紋は、日本独自の洗練された美しさを保有していると思うんだよね。お前は、その洗練された美しさを保有する家紋を基本にした文様で作られているから、洗練された美しさ、上品さが漂うんだろう。少々は高貴ささえ漂わせるんだろうよ。
現代においては、鑑賞陶磁器としてはちょっと資格に欠けるかもしれないけれど、こんな洗練された上品な食器も作られていたんだということを後世に示す存在価値は十分にあるだろう。
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<追記>(令和3年3月11日)
この小皿をインスタグラムで紹介しましたところ、越前屋平太さんから、
「この手の皿は江戸末期の三川内焼(平戸焼)の禁裏御用の作品と認識しておりますが、いかがでしょうか?」
とのコメントが寄せられました。
また、遅生さんからは、この小皿とよく似た小皿を所蔵しているとして、この小皿とよく似た「江戸末期の三川内焼(平戸焼)の禁裏御用の作品」と思われる小皿が紹介されました。
越前屋平太さんのコメント、遅生さんが紹介してくれた小皿に接し、私は、越前屋平太さんがコメントで言っているものは、遅生さんが紹介してくれた小皿のようなものなのではないかと思いました。
そうであれば、この小皿は、「「江戸末期の三川内焼(平戸焼)の禁裏御用の作品」ではなく、有田の禁裏御用を務めた辻家の作品なのではないかと思うようになりました。
ただ、私は、江戸期に、辻家がどの様な作品を作っていたのか分かりませんので、それは、私の想像です、、、(~_~;)
以上のことから、この小皿の生産地及び製作年代を、
「生 産 地 : 肥前・有田(禁裏御用窯の辻家の作品?)
製作年代: 江戸時代中期(中期の終り頃) 」
と変更いたします。