今回は、「柿釉 玉取獅子文 小皿」の紹介です。
いわゆる「古九谷様式」の伊万里の皿にあっては、このように、豆皿に近いような小皿は珍しいかと思います。
しかも、この小皿は、小さいのに、なかなか見所を備え、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」を地でゆくようなところがあります。
表面
まず、表面ですが、外周が黒で帯状に塗られ、そこに柿釉で唐草文を描いているようにみえますが、違うんです。
表面の3時の方角のホツ部分の拡大写真
表面の3時の方角にホツ部分がありますが、そこをよく見てみますと、外周の黒い帯状の部分は、呉須を何度も何度も塗り重ねてから本焼きしていることが分かります。
一見、黒い釉薬を塗ったように見えますが、呉須を何度も何度も塗り重ねた結果の黒色なんですね。ですから、同じ黒でも、深みのある黒になっているわけです。
また、裏面にも2箇所、しっかりと梅枝文を描き、手抜きしていません。
裏面(その1)
裏面(その2)
このように、この小皿は、いわゆる「古九谷」の大皿にも負けないような気概を備えているんです。
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ : 口径;11.5cm 底径;5.7cm
なお、この小皿につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しておりますので、次に、その紹介文を再掲し、この小皿の紹介の続きといたします。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー122 古九谷様式柿釉玉取獅子文小皿 (平成20年6月1日登載)
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表 | 裏 |
口縁を黒で塗りつぶし、そこに柿釉で蛸唐草を描いている。柿釉で蛸唐草を描くというのも珍しく、また、黒と柿釉とのコントラストも強烈で、この小皿の大きな特長をなしている。
また、この黒も、単に黒の釉薬を塗って現出させたのではなく、口縁にホツがあるが(上の画像の「表」の右、3時の方向)、そのホツから窺うと、呉須を厚く何度も何度も塗り重ねて本焼きし、その結果黒く見えるようにしていることがわかる。従って、その黒には深みがあり、深遠さを感じさせる。
見込みには玉取獅子を描くが、獅子の後ろ脚の少し後方に、ちょっぴり「黄」を加え、見込み全体を無理に「五彩」としている。もっとも、このちょっぴりの「黄」が、画面全体を明るくするとともに画面全体のバランスをとる役目も果たしていて、絶妙な色使いではある。
裏面にも2か所に梅枝文を描き、小皿なのに、けっして手抜きしていない。
以上のように、小さな小さな皿に対して、釉薬をふんだんに使い、細かなところにも気を使うなど、大皿にも負けないような神経の使いようである。でも、獅子に紫色を厚く塗りすぎて、獅子の表情などが窺えなくなってしまっているのはご愛敬か。
江戸時代前期 口径:11.5cm 高台径:5.7cm
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*古伊万里バカ日誌60 古伊万里との対話(柿釉の小皿) (平成20年5月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
柿 助 (古九谷様式柿釉玉取獅子文小皿)
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・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、今回も、例によって、対話する相手の選択に迷っているようである。
ここのところ、天候不順で、暑くなったり寒くなったりの日々が続いている。また、季節はずれの台風まで到来する始末で、なんとなく気合いが入らず、押入れの中を物色する元気も出ないようである。そこで、手軽に、その辺に置いてある小皿と対話をはじめた。
主人: 今日は、手軽に、ちょいとその辺に置いてあるお前と四方山話をすることにしよう。
柿助: ん? 「手軽に・・・」か! どうせ俺は、ペットの餌入れにしか使われていないんだからな・・・・・。
小さいし、何の取り柄もないものだから、これまでに登場させなかったんだろうよ。俺のような物まで登場させるということは、いよいよ登場させる物が枯渇してきた証拠だろう。
主人: いやいや、そういうことでもないよ。まぁ、まぁ、ヒガミなさんな。こうみえても、まだまだ我が家では登場させる物に不自由してはいないぞ。(エッヘン)
柿助: どうだか。ミエじゃないの、、、、、。
主人: ホントだってば!
柿助: だったら、どうして登場させるんだよ!(プンプン)
主人: 落語に「猫の皿」というのがあるのを知ってるだろう。茶店の爺さんが猫の餌入れに皿を使っていた。それを見た客がその皿が高価なものであることを見抜き、猫を3両で譲ってくれるように頼み込み、話はまとまった。ついでに、猫に馴染んでいる皿も一緒に持って行くと言ったが断られた。爺さんいわく、「この皿で餌をやっていると、時々、猫が3両で売れるんでね」というオチの話さ。爺さんも十分にその皿の価値を知っていての演出だね。私もその爺さんの心境さ。お前の価値は十分に認めているよ。
柿助: そうか。それならわかった。(やっと納得!)
主人: やっとわかってくれたようで嬉しいよ。
ところで、お前は、小さいくせに、いろんな技法や色を持っているな。小さく狭い所にいろんなものを詰め込みすぎだよ。
柿助: ごちゃごちゃして、汚らしいかな?
主人: 「汚らしい」ほどではないが、ちょっと煩雑だね。でも、口縁付近の黒い帯状の所に柿釉が蛸唐草状に塗られているのが強烈で、それが、全体をそれほど煩雑には感じさせないようだね。黒い帯の上に柿釉の蛸唐草というのは珍しいし、印象も強いから、ついついそちらに目を奪われるからだろう。
柿助: 黒の上に柿釉の蛸唐草というのは珍しんだろうか?
主人: うん、珍しいな。そこがお前の一番のセールス・ポイントだろう。おおいに自慢してもいいところだ。
それに、黒い帯状のところは、黒い釉薬を塗っているんじゃないんだよね。呉須を何度も何度も厚塗りした後に本焼きして黒の色を出しているんだよね。随分と手間のかかることをやっていると思うよ。それに、呉須をそんなに厚塗りしたんではコストもかかると思うな。
柿助: 俺は、そんなに手間ひまかけ、コストもかけて作られてるんだ。
主人: そうだ。そんなに小さな皿を作るのに、大変な手間とコストがかかっていると思うよ。現代なら、採算度外視というやつかな。
柿助: ありがたい。なんだか嬉しくなってきたぞ。(ウルウル)
主人: それにな、見込みの絵にも、獅子の後ろ脚の少し後の方に、「黄色」がちょっと使われている。ほんの少しだけ、申し訳程度に「黄色」が使われている。どんな文様を表現しようとして「黄色」を塗ったのか、いくら考えてもわからない。思うに、赤、青、黄の三原色に緑と紫が加わって「五彩」というから、あえて「黄」をほんの少し加えて「五彩」にしたのかもしれない。そんなことまで考えて作っているのかと思うと、頭が下がるよ! それに、裏面だって、裏白ではなく、ちゃんと二か所に梅枝文まで描いてある! ホント、小さいくせに至れり尽くせりだ!
柿助: さっきから、「小さい」とか「小さいくせに」とか言ってるけど、「小さいくせに」は暴言だろう! 骨董は大きけりゃいいってもんじゃないだろう!
主人: わかった、わかった、謝るよ。(トホホ・・・)
確かに、最近では、絵画なんか、大作でないと入選しないというようなことになっているので、美は大きなものにのみ宿るような風潮になっているからな。でもな、美は物の大小で決まるわけではないよな。茶道具なんて、比較的に小品だものな。香合なんてその最たるものだろう。小さな物にこそキラリと光るものがあると思うよ。
柿助: そうだ。それをわかってくれて嬉しいよ。
でもね~、それなら、何故、俺をチャチャ(主人が現在飼っているペットのフェレットのこと。)の餌入れなんかにするんだよ。(怒)
主人: こいつ、何時までも根にもっているな。可愛いチャチャのために使ったんだ。許せ!
柿助: いや~、許せないな。俺様のような立派な物を、犬畜生のようなものの餌入れにするなどとはもってのほかだ! 俺を可愛いくないからだろう。
主人: いや~、柿助のことも可愛いよ。チャチャのことも可愛いし柿助のことも可愛い。両方可愛いよ!
でもね~、柿助よ、考えてもみろ。柿助は、可愛がられ大事にされれば、この先何百年も生きられるだろう。ところがね、チャチャの命は短い。あと数年しか生きられないんだ。短い命の間に、いろんなことを体験させ、いろんな思い出を作ってやりたいんだよ。せいいっぱい生きてもらって、楽しい一生を送ってもらいたいんだよ。チャチャだって、お前のような立派なお皿で食事をしたという体験は、大きな思い出になると思うよ!
柿助: ・・・・・。
主人: お前をチャチャの餌入れにしていても、それを見た人が、チャチャを高額で譲って欲しい、ついでにお前を付けて欲しいなんて言ってきても全然取り合わないから心配しなくてもいい。だいたいにおいて、老いたチャチャのことなんか、譲って欲しいなんていう人はいないだろうし、そもそも、私にはチャチャを手離す気なんかさらさらないからな。それに、誰が見てもお前のことは立派に見えるから(歯の浮くようなお世辞タップリ!)、チャチャのおまけとは思わないだろうよ。これではオチもつかないから、「フェレットの皿」というような落語にもならないね。
柿助: ・・・・・。