Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

色絵 五色横帯文 盃

2021年06月30日 12時12分05秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 五色横帯文 盃」の紹介です。

 これは、平成10年に(今から23年前に)買ってきたものです。

 これを売っていた骨董屋のオヤジは、「これは珍しいものですし、古いものですよ!」と鼻高々で、それだけに高いことを言い、鼻息も荒いものでした!

 

立面

 

 

底面

 

 

 しかし、これを見せられた私としては、確かに、五色の横帯文というか横縞文というのは珍しいなとは思いましたが、赤色と青色に古色を感じませんでした。

 古い伊万里に付加された赤や青は、もっと明るく透明感があるからです。この「色絵 五色横帯文 盃」に付加されている赤や青は黒っぽくて不透明ですものね。

 また、見込みを覗いてみますと、「木の葉文」が描かれていて、古そうに見えます。

 

見込み面

木の葉文が描かれています。

 

 「柴田コレクションⅣ」(佐賀県立九州陶磁文化館  1995(平成7)年発行)の巻末の「17世紀末から19世紀中葉の銘款と見込み文様」という論考の中でも、「木の葉文」は、「1690~1730年代」に盛んに使用されていたと紹介されています。結構、古くから使われていることが分かります。

 

「柴田コレクションⅣ」P.273から転載

 

 しかし、よ~く見てみますと、この「色絵 五色横帯文 盃」の「木の葉文」にはピンク色が付加されているんですよね。

 

見込み面の「木の葉文」の拡大

 

 

 ピンク色は、江戸時代には使われていなかったと思うわけです。

 それで、私としては、これは、明治になって作られたものであろうと判断したところです。でも、そのことを骨董屋のオヤジに指摘し、値下げ交渉を試みたとしても、鼻息の荒い状況のなかでは、それも無理と判断したところです(~_~;)

 しかしながら、この五色の横帯文というのは珍しいですし、それが気に入りましたので、骨董屋のオヤジに抵抗することは止め、骨董屋のオヤジの言い値で高く買ってきたものです(~_~;) ここで、値切り交渉など持ち出しますと、骨董屋のオヤジは怒り出し、「それじゃ売らない!」などと言い出しかねませんでしたからね(笑)。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 明治時代

サ イ ズ : 口径;6.0cm 高さ;3.9cm 底径;2.4cm


染付 牡丹文 小碗

2021年06月29日 13時11分31秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 牡丹文 小碗」の紹介です。

 これは、平成10年に(今から23年前に)、東京・平和島の「全国古民具骨董まつり」で買ったものです。

 私が、「これは、どうして、全体がカセッテいるのだろう? 染付を施した部分にはしっかりと釉薬がかかって、普通に染付なのに、それ以外の部分にはほとんど釉薬がかかっていないように見え、素焼きのように見えるのはどうしてなのだろう? こんなものが完成品として流通したのだろうか?」と思って眺めていますと、売主が、「これは、出来損ないのものです。ですから、値段も安くしてあるんです」と言ってきました。

 それを聞いて、私は、「出来損ないが流通するのはおかしいな~。疵物なら物原から発掘してきたとも考えられるけれど、これは無疵だから、そうとも考えられないしな~」と考え込みました。

: 現在は、口縁に疵がありますが、それは、平成23年(2011年)の東日本大震災の際に被災したものです。疵は、私が補修しました。これを買った時点では無疵でした。)

 でも、考えていても分かりませんので、値段が安いこともありましたから、「まっ、そのことは、後で調べることにしよう。とりあえず、参考資料として買っておくか!」ということで買ってきたものです。

 しかし、その後も調べることを怠っていますので、いまだに、これが完成品なのか出来損ないなのかは分かりません(><)

 

 

正面(仮定)

 

 

正面から左に約90度回転させた面

 

 

正面の反対面

 

 

正面から右に約90度回転させた面

 

 

見込み面

 

 

底面

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ  ズ: 口径(歪みがあるため);6.9~7.3cm 高さ;5.1cm 底径;3.2cm 

 

 

 


追 記 (令和3年6月30日)

 これをインスタグラムでも紹介しましたところ、morikawatennさんから、


「焼が甘かったため、一旦、出来損ないとして物原に捨てられましたが、後日、発掘され、無疵だったために2度窯されたのではないかと思われます。ところが、今度は、しっかり焼けたけれども、透明釉が溶けきれずにカセてしまい、またまた出来損ないとなったのではないかと思われます。それがたまたま流通したのではないでしょうか。」


とのコメントが寄せられました。

 これは、なかなか説得力のあるコメントだと思いました(^_^)


 私には、これを、或いは、磁器の冷たさを避けるために、わざと作った物なのかもしれないな~との淡いの夢を抱いて買ってきた一面もあります。私のその夢は破れることになりますが、なるほどと、納得しているところです(^-^*)


染付 網干文 そば猪口

2021年06月28日 14時49分49秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 網干文 そば猪口」の紹介です。

 これは、平成10年に(今から23年前に)、初期伊万里として買ってきたものです。

 当時は、このような、生掛けで「厚底のそば猪口」とか「高台付きのそば猪口」は、初期伊万里と相場が決まっていたように思います。そして、製作年代は、江戸初期~江戸前期ということになっていたと思います。

 ところが、そば猪口に関しては、随分と研究が進んだようで、「そば猪口」の形態の物で製作年代が一番古いものでも江戸中期だということになってきているようですね。そして、そのような物は「初期そば猪口」と言うようですね。

 それで、この「染付 網干文 そば猪口」の製作年代につきましては、今では江戸時代初期とか江戸時代前期とは見ないようですので、江戸時代中期として紹介いたします。

 

 

立面

 

 

斜め上から見たところ

この角度から底面がこんなに多く見えるのは不自然です。

それだけに見込みが浅い証拠です。

高さが5.5cmのところ、見込みの深さが3.6cmしかありませんので、

その下から底までが1.9cmもあることになります。

 

 

見込み面

 

 

底面

 

 

底面の一部分の拡大

いかにも生掛けという感じです。

 

生 産 地 : 肥前・有田 不明

製作年代: 江戸時代中期 現代

サ イ ズ : 口径;7.8cm 高さ;5.5cm 見込みの深さ;3.6cm 底径;4.3cm

 

 

 なお、この「染付 網干文 そば猪口」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 次に、このそば猪口の紹介のための補助的な意味で、そこでの紹介文を再度掲載いたしますので、併せてお読みいただければ幸いです。ただ、その文中では、このそば猪口のことを「初期伊万里」とか、製作年代を江戸前期としていますことをご了知ください。

 

 

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           <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー152  初期伊万里様式染付網干文蕎麦猪口 (平成22年10月1日登載)

 

 

 

 漁に使う網を棒に吊るして三角錐状にして干している様子を描いたものは、正に網を干している文様なので「網干文」と言われている。なお、「網干文」は「あぼしもん」と読むようである。

 この猪口の文様は「網干文」そのものではないが、「網干文」をデフォルメしたものかなと思い、一応「網干文」とした。

 この猪口を見た時、現代人にはちょっと理解出来ないところがある。あまりにも底が厚く作られていて、その結果、見込みが極端に浅くなっているからだ。

 

この角度から底面がこんなに多く見えるのはなんか不自然、、、

それだけに見込みが浅い証拠である。

高さが5.5cmのところ、見込みの深さが3.6cmしかないので、

その下から底までが1.9cmもあることになる。

 

 一見、失敗作かなと思わせるが、ちゃんと完成させているところからみるとそうでもなさそうである。それどころか、伊万里の初期の頃の猪口にはこのようなものが多く、いわゆる「初期伊万里」の特徴となっていて、珍重され、その愛好家も多い。

 では、なぜ、このような、現代人には理解できないようなものを作ったのであろうか?

 底を分厚く作り、下の方を重くすれば、器が容易に傾かず、液体がこぼれずらくなるであろう。しかし、こんな小さな、しかも縦長でもない器にそんな細工を施す必要もないだろうから、その理由は採用しがたい。

 理由はともあれ、この種の小振りの猪口は、見込みが浅いために容積も少なく、酒器に使えるので、人気が高いのである。

 

江戸時代前期    口径:7.8cm  高さ:5.5cm  見込みの深さ:3.6cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌84  古伊万里との対話(網干文の蕎麦猪口)(平成22年10月1日登載)(平成22年9月筆)

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  あぼし (初期伊万里様式染付網干文蕎麦猪口)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、異常なほどの暑さを保っていた今年の夏も、「お彼岸」を境に遂に陥落し、急速に秋に向かっていった。
 主人は、やっと訪れてきた涼しさに少々元気を取り戻し、古伊万里との対話をしたくなったようである。そこで、さっそく「押入れ帳」をめくって、どの古伊万里と対話をしようかと思案していたが、どうも、もう目ぼしい古伊万里とは対話済みなようで、なかなか目当ての古伊万里に出くわさない。やむをえず、例によって、「押入れ帳」の中の古い順に眺めていって、まぁ、なんとか対話をしてもよさそうなものを選び出し、押入れの中から引っ張り出してきては対話をはじめた。

 


  

主人: 「お彼岸」を境にやっと涼しくなってくれてホッとしているよ。今年は本当に残暑が厳しかった(>_<)
 涼しくなって元気も出てきて、食欲も出てきたところで、スッキリと蕎麦でも食べたくなり、お前に出てもらった。お前に暫くぶりに蕎麦猪口の役割を果たしてもらいながら、ゆるゆると四方山話でもしていこう。

あぼし: はい。今年は本当に暑かったですね。殺人的な暑さでしたね。まっ、私は「人間」ではないですから、私にとっては「殺人的な暑さ」という文言は当てはまりませんが、それにしても、私にとっても暑かったです(>_<)
 今日は暫くぶりに蕎麦猪口の役目を果たそうと思います。冷たいタレなど入れていただければ、しばし涼しく過ごせそうです(*^_^*)
 ところで、私の名前はなぜ「あぼし」なんですか?

主人: 漁に使う網を棒に吊るして三角錐状に干している様子を文様化したものをよく見かけるだろう。よく海辺の風景の中に描かれているのを・・・・・。正に網を干している姿の文様を・・・・・。それを「網干文」と言ってるんだが、その「網干文」をデフォルメするとお前のような文様になるのかなと思っているわけだ。その「網干文」のことを「あぼしもん」と読むので、お前の名前を「あぼし」としたわけさ。
 そもそも、私は、名称なんか、わかりゃいいんで、何も、昔からの呼び方にこだわる必要はないと思ってはいるんだけど、せっかく、昔からの、しかも優雅な、立派な名称があることを知ったもんだから、それに従ったんだ。
 もっとも、私が勝手に、「網干文」をデフォルメするとお前のような文様になるのかなと思い込んでいるだけで、他の人が見たら、違うと言うかもしれないけどね(~_~;)

あぼし: なるほど、わかりました。

主人: それはともかく、「網干」をなかなか「あぼし」とは読めないよね。えてして、昔からの名称には、現代人には正しく読めないものがあるな。間違って読んだりすると教養が疑われるしね・・・・・(~_~;)

あぼし: 主人は教養がおありですね。教養がにじみ出ています(イヒヒヒヒ・・・・・。冷笑)。

主人: こいつ、ひやかすもんじゃないぞ!
 実を言うと、私は「網干文」は「あみほしもん」と読むものとばかりに思っていたんだ。ただ、以前、何かの対談集の中で、ある方が「網干」を「あぼし」と言っていたのを読んだことはあるんだが、それとても、その対談の流れの中で「あみほし」をわざと簡略化して故意に「あぼし」と言ったのか、あるいはミスプリで「あみほし」が「あぼし」になっていたのかと思っていたんだ。
 ところが、今回、お前と対話をするに際し、本当のところはどうなのかなと、少々疑問を感じ、ネットで調べてみたら、どうやら予想に反して「あぼし」が正解なようなことがわかったわけさ。

あぼし: 別にひやかすつもりで言ったのではないんですが・・・・・。恥をかかずにすんでよかったですね。
 ところで、私には、見た目よりはタレが少ししか入らないんですよね! 容量が少ないんです!

主人: そうなんだ。お前は、上げ底というか、底が厚くなっているために、見込みが浅いのでタレが少ししか入らないんだ。
 古い蕎麦猪口の中に、たまにあるんだよね。高台付の蕎麦猪口とか底の厚い蕎麦猪口が。
 高台付の蕎麦猪口は、見てのとおりで、高台が付いているからすぐわかるんだが、底の厚くなっている蕎麦猪口は、ちょっと見にはわからないんだよね。
 「これ、ちょっと古そうだな!」と思って手にとってみると、「あれっ! 何か変? 見た目よりかなり重いな~!」と感じるのがあるんだよ。それで、親指を見込みの方に突っ込んで、中指を底の方に持っていって、親指と中指とでその間の厚さを測ってみるとかなり厚くなっていることがわかるんだよね。 「はあ~ん、これじゃ重いわけだ!」と納得するわけさ。
 そうそう、初期の高台付の蕎麦猪口も底が厚くなっているな。もっとも、初期伊万里は、蕎麦猪口に限らず、お皿なんかも底の方が厚くなっているのが多いから、初期伊万里は底が厚いのが特徴だね。

あぼし: なぜそのようになっているんですか?

主人: う~ん、わからないな。どうして、そのように作ったのかまでは私にはわからないな(>_<)
 ただ、肥前磁器は、陶器の唐津焼と同じ窯で併焼されていたことからもわかるとおり、唐津焼の延長線からスタートしているので、その名残からだと思う。成形技法も陶器の唐津焼の技法に従ったからなのかなと思っているんだ。また、朝鮮半島から渡ってきた陶工集団が中心となっていたので、その影響もあったのではないかと思っている。
 もっとも、肥前磁器には、まもなく、中国人技術者の影響下にあると思われる陶工集団が現れ、彼等によって、中国磁器のように、高台も大きく、底も薄く作られた物が出現してくる。そして、その底の薄い磁器と底の厚い磁器は、暫くの間、同じ窯で併焼されているんだ。当時は大きな登り窯だったから、朝鮮半島から渡ってきた陶工集団が中心となって作った磁器と中国人技術者の影響下にあったと思われる陶工集団の作った磁器とが同じ窯で焼かれていたんだね。同じ窯といっても、焼かれた部屋は違ったようだけれど。

あぼし: そうしますと、底の薄い方の物も初期伊万里と言うんですか? 先程、「初期伊万里は底が厚いのが特徴」と言われましたが、それと矛盾するように思うんですが・・・・・。

主人: う~ん。確かに。底の厚い物も底の薄い物も、両方とも、伊万里焼の初期の頃に出来たものだから、時期的には両方とも「初期伊万里」だね。でも、一般的には底の薄い物の方は「初期伊万里」とは言ってないと思うね。それで、私は、底の厚い物の方のみを「初期伊万里様式」と「様式」を付して区分しているんだよ。

あぼし: では、底の薄い方の物は何と言うんですか?

主人: ・・・・・。何と言われているのかな・・・・・。特に「様式」等では区分されていないのかな・・・・・。
 だんだんと研究が進んでくると、いろいろと矛盾も出て来るし、区分しきれないものも出て来るしで、最近では、様式区分などを撤廃して、例えば、「伊万里 17世紀」とか「伊万里 江戸時代前期」とかに表示するようになってきているところもあるね。

あぼし: 伊万里の区分もいろいろなんですね。

主人: 伊万里の区分も日進月歩だね。時代とともに、研究の進展とともに変わってきている。美術館での表示も、美術館の特性によって、また、学芸員の力量(?)によっていろいろだね。それに、本の著者によってもさまざまだ。現時点では、納得いくように、自分なりに整理していかなければならないようだね。

 

追記(H22.10.4) : その後、この文章を読んだ方から、『兵庫県の明石市に網干という地名があり、JRには「網干」という駅まであって、駅では、「網干」は「あぼし~、あぼし~」とアナウンスされますので、「網干」を「あぼし」と読むことは、耳にこびりつくほど十分に承知しています。』という旨のコメントをいただきました(~_~;) 
 このコメントに接して、「ええっ~~!!!」の思いでした(>_<)
 教養のあるところをひけらかそうとしたのですが、逆に、教養のなさを曝け出してしまいました(>_<) 恥の上塗りです(>_<)  トホホ、、、です(~_~;)

 

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追 記 (令和3年6月29日)

 これを紹介するに当り、この「染付 網干文 そば猪口」に少々違和感を覚えましたので、インスタグラムにも紹介し、そこで、このそば猪口について、真贋も含め、忌憚のないご意見を求めました。

 その結果、2~3の方から、このそば猪口は、「釉薬掛けが不自然である」とか「高台作りが、この手の典型的な贋作ものに酷似している」とのご意見が寄せられました。

 従いまして、この「染付 網干文 そば猪口」は、初期伊万里を狙った、現代の贋作と判断いたします(~_~;)


色絵 花文 小皿

2021年06月27日 12時47分13秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 花文 小皿」の紹介です。

 これは、平成10年に手に入れたものですが、小さいのにもかかわらず、なかなかの優品で、よく柿右衛門様式の特徴を備えていますことから、気に入り、身近な所に置き、時折り眺めていました。

 ところが、それが仇となり、平成23年(2011年)の東日本大震災の際に被災し、大きな疵を負ってしまいました(><) 

 疵は、罪滅ぼしの意味も含め、素人直しですので上手な直しではありませんが、私が自らの手で、愛情を込めて補修してあげました(^_^)

 

 

表面

 

 

側面

 

 

裏面

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;9.6cm 高さ;2.0cm 底径;4.5cm

 

 

  なお、この「色絵 花文 小皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介しているところです。

 次に、参考までに、その時の紹介文を再度掲載いたしますので、お読みいただければ幸いです。

 

 

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            <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー74 柿右衛門様式色絵花文小皿    (平成16年3月1日登載)

 小品だが、いかにも力強く、大きく感ずる。

 物は、単なる造形の大小では評価できないようだ。

 そういう私も、コレクションを始めた頃は、小さい物よりは大きな物に憧れた。

 小さい物よりは大きい物の方が良いに決まっていると思っていたから、、、。

 「大きいことは、良いことだ、、、」のコマーシャル(古う~~)に影響されたわけではないんだが、、、、、。

 この生地は、ちょっと青味がかっており、また、不純物も多く、いわゆる柿右衛門の濁手とは少しちがった感じだが、文様は正に柿右衛門様式である。そういうところから見て、これは里帰り品なのかもしれない。

 そう思うと、これは、ヨーロッパのどこのお城で、どのように使われていたのだろうかとの想像をたくましくする、、、。ロマンである、、、。

 江戸時代中期    口径:9.6cm

 

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青磁染付 葡萄文 中皿

2021年06月25日 15時25分31秒 | 古伊万里

 今回は、「青磁染付 葡萄文 中皿」の紹介です。

 

表面

 

 

側面

かなりの歪みが見られます。

*実際の青磁の色としては、この色が一番近いかと思います。

 

 

裏面

 

 

高台内の銘の拡大

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代後期

サ  イズ : 口径;19.4cm 高さ;4.5×3.8cm 底径;9.3cm

 

 

 なお、この「青磁染付 葡萄文 中皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介していますので、次に、その時の紹介文を再度掲載し、この「青磁染付 葡萄文 中皿」の紹介とさせていただきます。

 

 

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           <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー151  古伊万里様式青磁染付葡萄文中皿  (平成22年9月1日登載)

 

 

 地中海沿岸は葡萄の栽培に適していたため、約2,000年前には盛んに生産されたらしい。

 ギリシア・ローマの時代には、ワインを飲むことが習慣となり、また、葡萄は彫刻やモザイクに頻繁に登場してくる。
 葡萄は沢山の実と房を付けることから、豊穣と多産の象徴となったようである。

 なお、葡萄を表現した文様は、東に進むに従い次第に唐草文様を形成していく。葡萄唐草文様の出現である。
 古伊万里にも、この葡萄唐草文様が描かれたものは多い。豊穣と多産を表す葡萄文様が人々から愛されたからであろう。

 この中皿に描かれた葡萄文様は、比較的に写実的に描かれているが、連続して環状に三つ描かれており、やはり、葡萄唐草文の変形といえようか?

 この中皿は、歪みもひどく、一見すると初期伊万里に間違うほどである。

 「歪みの酷い物=古い物」と勘違いをしがちであるが、「歪みの酷い物=雑な作りの物=下手な物=それほど古くはない物」との見方が成り立つことを教えてくれる中皿ではある。

 

江戸時代後期     口径:19.4cm   高台径:9.3cm

 

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*古伊万里バカ日誌83  古伊万里との対話(葡萄文の皿)(平成22年9月1日登載)(平成22年8月筆)

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  ブドウ (古伊万里様式青磁染付葡萄文中皿)

 

         側面(かなりの歪みが見られます)       高台内の銘の拡大

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 殺人的な炎暑が延々と続いているが、それでも季節は着実に移りつつある。スーパー等の店頭には、秋を象徴する各種の果物が並ぶようになり、葡萄も種類豊富に登場してきた。
 そうしたなか、主人はそれ等果物が描かれた古伊万里と対話をしたくなったようである。そうはいっても、主人のところは貧庫ゆえ、果物が描かれた古伊万里など、無事探し当てられるかどうか、甚だ疑問である。
 ところが、さすがは貧庫に習熟した主人である。「古伊万里に葡萄を描いたものは多いはず・・・・・」との予測を立て、見事、押入れの中から「葡萄」を描いた皿を引っ張り出してきた。

 


 

主人: 最近、スーパー等に随分と「葡萄」が並べられるようになってきた。実りの秋になってきたね。
 この辺は昔から「梨」と「栗」の栽培が盛んだが、近年では「葡萄」の栽培にも力が入れられてきているようで、店頭に多くが並ぶようになってきた。

ブドウ: この辺ではどんな種類の「葡萄」が栽培されているんですか。

主人: 「巨峰」が多いかな・・・・・。農家の方も付加価値の高いものを多く栽培するようになるからなんだろうね。従来見られたような種類の「葡萄」はほとんど見かけないね。それに、最近では、「巨峰」よりも更に高級な「葡萄」の栽培に力が入ってきているように感じるね。人は益々と贅沢になり、農家はそれに応じて、更に付加価値の高いものを作るようになるからだろうね。

ブドウ: ところで、先月登場した「鎬(しのぎ)」(*このブログでは、2021年2月21日付けの「骨董市と古美術品交換会」の記事の中に登場)さんのように、私を購入するにあたっての何か「いわれ」みたいなものはあるんですか?

主人: 残念ながら、特にないな~(笑)。
 まっ、特に「いわれ」というほどではないが、お前のことも、先月登場した「鎬(しのぎ)」を買った店と同じ店で買ったということぐらいかな・・・・・。
 その店にはそれまであまり足を運んではいなかったんだが、先月登場した「鎬(しのぎ)」を買った際、「この店には、たまに、良い古伊万里が出てくるのかもしれないな~!」と思ったので、その後は足繁く通うようになったんだ。その甲斐あってか、それから1か月程してお前が新しく展示されているのを発見し、さっそく購入に至った次第さ。でもね~、その後、その店には気の利いた古伊万里が出現せず、だんだんと足も遠のいてしまった。
 田舎の骨董屋だってね、なんでも取扱う店ばっかりではないんだよね。その店の主人の好みというか得意分野というか、そういうものがあって、おのずとその店の特徴みたいなのが出てくるんだ。結局、その店の主人は、古伊万里が好みではないというか、得意ではないというか、古伊万里方面にはあまり力を入れなかったんだね。
 それで、現在では全く行ってないね。その店の前を、たまに、車で通ることがあるんだけど・・・・・。今でもその店は営業はしているんだけれどね。

ブドウ: そうそう、ご主人は私のどんなところが気に入って買われたんですか?

主人: そうね。まずは歪んでいるところかな(笑)。それに、 生掛けらしく、一般の人から見たら、みすぼらしく汚らしいところかな(爆)。

ブドウ: そんなところを気に入って買われたんですか・・・・・。何か悲しいです(涙)。

主人: まっ、そう言うな。骨董好きなんてそんなもんさ。一般の人とはちょっと違ったところがあるんだ。変わっているといえば変わっているかな。
 でもね~、「歪んでいたり、汚らしいところが芸術さ! それを一般の人は発見できないのさ! そういうものを発見し、愛せる特殊な能力を我々は持っているのさ!」というような奇妙な特権意識みたいなものを持っているね、骨董好きの人間は。
 そうはいっても、「歪んでいたり、汚らしいところ」に惚れ込んでしまったために、どうも、「お前の年代判定を誤ったかな?」と思っているんだ(>_<)

ブドウ: それはどういうことですか?

主人: うん。どうしても、歪みがひどかったり、カキット焼き上がっていないトロントしてしっとりとした地肌を見ると古格を感じてしまうんだよね。肉眼では。それで、まぁ、江戸中期は十分にあるだろうと思って買ったんだ。お値段もそれなりのものだったしね。最近、古伊万里はずいぶんと安くなっているようだけど、当時はけっこう高かったんだ。
 でもね~、裏の「銘」を見ているとね~、どうなのかな~? と思うようになってきたんだよ。江戸後期になってしまうのかな~とね(>_<)

ブドウ: それには何か根拠があるんですか。

主人: そうなんだ。裏の「銘」は、なんとなく「乾」の「銘」に見えてくるんだよ。はっきりと「乾」ではないんだが、「乾」の流れのように見えてくるんだよね。勿論、「乾」は中国清朝の乾隆帝の時代からとったものだ。この「乾」の銘はよほど人々に愛されたとみえ、古伊万里には多く登場してくるんだ。理論的に考えれば、乾隆帝の時代は1736年~1796年だから、1736年から古伊万里の「銘」に登場することが可能だけれど、実際には1790年代頃からしか登場してこないようだね。その頃からず~っと幕末まで盛んに使われている。

ブドウ: そうしますと、「乾」銘は1790年代~1860年代の間に登場するんですね。

主人: そうなんだ。その間でいくら早くみても、どうしても江戸後期ということになるわけだ。

ブドウ: そうなんですか・・・・・。

主人: 正直、ちょっとがっかりしたな。なかなか時代判定というものは難しいものだよ(>_<)

 

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